あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「淵に立つ」 (2016年)

f:id:akirin2274:20200512181357j:plain

2016年 日本 119分
監督:深田晃司
出演:筒井真里子、 浅野忠信

それは罪なのか、罰なのか。 ★★★★☆

 

先日観た「よこがお」はじわりと感情に染み込んでくるものがあった。
そこで、同じ深田晃司監督、筒井真里子主演の今作を鑑賞。
結論から言えば、この映画でも差し出してくる深い暗さに引きずりこまれた。
邦画特有の、いつまでも乾かない湿った暗さであった。

 

小さな金属加工工場を営む利雄と妻の章江(筒井真里子)は、10歳の娘の蛍と、平穏な毎日を送っていた。
ある日、利雄の古い友人らしい八坂なる人物(浅野忠信)が現われる。
利雄は章江に断りもなく、最近出所したばかりの彼を雇い、自宅の空き部屋に住まわせる。
利夫と八坂にはどんな関わり合いがあったのか?

 

実は、小説「淵に立つ」を先に読んでいた。
小説は原作というわけではなく、脚本も書いた監督の深田が後でノベライズしたもの。
それにしては(というと失礼だが)小説も高い水準のものだった。

 

最初は当惑していた章江も、礼儀正しく、蛍のオルガン練習も手伝ってくれる八坂に次第に好感を抱くようになっていく。
男女間の感情さえ匂わせるような雰囲気になっていくのだ。おいおい、いいのかい。

 

しかし、どうも八坂は何事かを心の奥に秘めているような雰囲気を観る人に伝えてくる。
八坂はなにか不気味さを漂わせているのだ。
八坂役の浅野忠信はずっと白のYシャツにスラックスという、きちんとした身なりをしている。
どこかとってつけたような違和感を抱かせる身なりなのだ。
八坂という人物の立ち位置を良く映像化していた。
彼は章江たち一家にとっては溶けこむことのない存在だったのだ。

 

利雄と2人きりになった時に、八坂が豹変する場面がある。
自分だけが刑務所に行き、利雄は平穏に家庭を築いたことを詰る。
これが八坂の本質だったのか、と怖ろしさが突きつけられる。

 

しかし、もっと怖ろしかったのは、その詰問の直後に、八坂は冗談だよと笑顔を見せたところだった。
瞬時に悪意と善良さが切り替わるようで、見えているものが信じられなくなる怖ろしさだった。

 

映画中盤で惨く辛い事件が起きる。
映された状況から見れば、八坂が犯人と思えてしまうのだが、証拠場面が提示されているわけではない。
彼が単に第一発見者だったという可能性もあったわけだ。
しかし、彼はそのまま行方をくらませてしまう。それじゃ、やはり・・・。

 

筒井真里子は「よこがお」で初めて観たのだが、すごい女優さんがいるものだなと思った。
今作でもクレジットでは浅野忠信が一番目だったが、内容的にはまったく彼女の映画だった。
後半、夫がかっての事件の真相を語る場面がある。
カメラは妻の顔を正面から捉えるのだが、そのときの筒井の表情の深さはすばらしいものだった。
深い二重まぶたと泣き顔のような眉の曲線がすさまじい内面の葛藤をあらわしていた。
そして妻はいきなり自分の頬を自分で叩き始めるのだ。

 

物語は8年後になる。
かっての日に河原にピクニックに行き、皆で寝転がる場面があった。
まだおだやかで、一家が幸せだった(どことなく不穏な空気はあったのだが)頃だ。
そして8年後、同じような構図の俯瞰ショットが映される。
そこには八坂の代わりに彼の息子が映っているのだ。
それは簡単には説明できない人の心がもたらした荒涼たる世界のようだった。

 

タイトルの「淵に立つ」は、どうやらニーチェの「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返す」という言葉から来ているらしい。

 

カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞しています。
筒井真里子は、毎日映画コンクールヨコハマ映画祭、高崎映画祭で主演女優賞を取っています。

 

「キャラメル」(2007年)

f:id:akirin2274:20200510211714j:plain

2007年 レバノン 96分
監督:ナディーン・ラバキー
出演:ナディーン・ラバキー

エステサロンでの人間模様。 ★★★

 

イタリア映画、スペイン映画、メキシコ映画と来て、今回はレバノン映画(笑)。

レバノン、そしてベイルートといえば、中近東の紛争地帯のイメージがある。
この映画はそんな街での市井の人々の生活を描き、そこに生きる女性たちの人間模様を描いていた。

 

ベイルートの一角にあるエステサロンが舞台。
そこで働く3人の女性、1人の常連客、そして店の向かいに住む老婦人、この5人の人生ドラマである。

 

店のオーナーであるラヤールは不倫の恋に陥っている。
妻とは別れるという男の言葉を信じて、彼からの電話があれば、仕事の途中でも会いにいってしまう。
しかし彼はいつまでも奥さんとは別れてくれない。

 

店で働くニスリンは結婚が決まり、その準備で気持ちも浮き立っている。
しかし彼女は処女ではないことをフィアンセに隠していた。どうしよう?
どうもレバノンでは新婦が処女であるということはかなり大事なことらしいのだ。
日本でいえばいつの時代の倫理観念だ?(苦笑)

 

店で働くもう一人のリマは男っぽい雰囲気。
と、彼女を指名してやってくる美しい女性があらわれる。お互いに惹かれ合っていくようだぞ。
レバノンの同性愛事情は判らないのだが、映画では二人の淡い感情しか描かれない。

 

その他には常連客で(ちょっと図々しい)女優志望のジャマル認知症の姉の面倒をみるために人生を諦めている初老のローズが登場する。

 

オープニングに何かを煮詰めたようなどろどろの粘いものが映る。
これがタイトルにもなっている「キャラメル」で、砂糖とレモン汁を煮詰めて水飴状にしたもの(日本語風にいえばカラメルだな)。
甘くて美味しいらしいのだが、中東では脱毛処理に使うとのこと。
まだ熱いキャラメルをムダ毛の部分に塗って、ムダ毛と一緒に勢いよく剥がす。結構痛そう。

 

彼の誕生日を祝う二人だけのパーティをホテルの一室でしようとするラヤール。
しかし、ホテルの部屋を取ろうとしても、レバノンのきちんとしたホテルでは正式な夫婦でないと男女は一緒に泊まれないようなのだ。
身分証明書を要求されて断念するしかないラヤール。
やっと部屋が取れた売春宿のような薄汚れたホテルの一室を、隅々まで掃除をして汚れを落とし、飾り付けをするラヤール。
それなのに、彼からは、やっぱり行けない、という電話が来てしまう・・・。

 

ラヤールはキャラメルを使って、彼の奥さんへのささやかな意地悪をしたりする。
ニスリンの処女膜再生手術の騒動や、ローズの初めてで最後の恋、なども描かれる。

 

主演のラヤール役が目鼻立ちが濃くて美しい女優さんだなと思っていたのだが(ポスターの左側の女性)、なんと監督自身だった。びっくり。
なんでも「世界で最もパワフルなアラブ人100人」で女性トップに選ばれているとのこと。なるほど。
脚本も彼女自身が書いている。才色兼備の人なのだな。

 

最後、長かった黒髪をリマにショートにカットしてもらった美しい女性が浮き立つような足取りで街を歩いていく。
ショーウインドウにその髪型の自分を映しては嬉しそうに微笑む。
そしてローズは、路上に落ちている紙を拾いあつめようとする姉の手をやさしく引いて街中を歩いていく。

 

登場人物を見つめる視線がやさしい。
それぞれの女性の生き方を女性監督らしく捉えていた。佳い映画でした。

 

「タブロイド」 (2004年)

f:id:akirin2274:20200508175546j:plain

2004年 メキシコ 98分
監督:セバスチャン・コルデロ
出演:ジョン・レグイザモ

TV報道サスペンス。 ★★☆

スペイン映画、イタリア映画と来て、今度はメキシコ映画メキシコ映画なんてこれまでなんて観たことがあっただろうかと思ってしまう。
ところが意外にたくさんあったのだ。


まずは、なんといってもアレハンドロ・ホドロフスキーがいた。
それにアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥギレルモ・デル・トロなどのメキシコ人監督の作品のいくつかはメキシコ映画であった。
どれも濃いのが特徴だなあ。

 

TVレポーターのマノロジョン・レグイザモ)は、子どもばかりを狙う連続殺人鬼“モンスター”の取材でエクアドルへやって来た。
被害者の子どもの葬儀を取材中に、彼らは被害者の兄弟が車にひかれる現場に居合わせる。
運転していたのは真面目な聖書販売員のビニシオ。
ビニシオは怒りに興奮した群衆に集団リンチに遭い、それから逮捕されてしまう。

 

実はこのビニシオなる人物は、冒頭から少し不思議な行動をしているところが写されていた。
海で身体を洗っているのだ。どうして? 何をしたあとなの?
いつも笑顔を絶やさない聖書販売人のビニシオなのだが、観ている者はその笑顔の陰に何かありそうだと思ってしまっている。
映画はそれほど繊細な作りではなく、どちらかといえば無骨な感じなのだが、このあたりは不穏なものを感じさせて上手い。

 

さて、留置場を訪れたマノロに、ビニシオは番組の力で釈放させて欲しいと懇願する。
そうしてくれたら、“モンスター”に関する極秘の情報を提供するよ。
どうしてあんたがそんな情報を持っているんだ?
モンスターに会って打ち明け話を聞いたんだよ。ほら、犯人て誰かに秘密を打ち明けたくなるものだろ。

 

本当かなと思いつつもTV報道番組をしたマノロの行為で、結果的にビニシオは釈放される。
このマノロの行為は、彼がスクープを狙ったために真実とは異なる印象操作をしてしまった、とも言えそうだ。
どこの国でもマスコミの影響力は大きいのだな。
そのあたり、どこの国のTV番組は(ワイドショーも)よく自覚して放送して欲しいものだ。

 

ビニシオが聖書販売人であるというところが微妙である。
彼は、うわべを見れば善良そうで、妻を愛し、その連れ子も可愛がっている。
とても極悪非道なことをしそうな人物には見えない。
しかし、観ている者は疑心暗鬼に駆られて映画を観ているよ。
そのうちに、マノロもビニシオがモンスターではないかと疑い始める。

 

警察への告発か、それともスクープか。
結局マノロはそのままマイアミの本社へと帰っていく。

 

(以下、ネタバレ)

 

その頃、ビニシオの小学生ぐらいの義理の息子は、お父さんがモンスターなのではないかと疑い始めている。
最後、ビニシオはその義理の息子を家から連れ出す。
そして廃墟へと連れて行く。
そこで映画は終わっていく。ビニシオがその後何をしたのかは観る人の想像に任されている。

 

ビニシオが実際にモンスターだったのかどうかは最後まで明かされない。
しかし普通に考えれば、ビニシオが犯人であり義理の息子までも・・・と、誰でも思う結末は一緒だろう。
とても後味の悪いものだった。

 

メキシコ映画、たしかに濃い。
ひと味違うサスペンスものを探しているあなたにお勧め(苦笑)。

 

「愛と銃弾」 (2017年)

f:id:akirin2274:20200506150329j:plain

2017年 イタリア 134分
監督:マネッティ兄弟
出演:ジャンパオロ・モレッリ、 セレーナ・ロッシ

異色ノワール・ミュージカル。 ★★★☆

 

スペインの恋物語にに続いて、今度はイタリアの恋物語。さて、どうか?

開けてびっくり玉手箱!といった感じの映画だった。
なにがって・・・、オープニングはマフィアのドンを思わせる人物の荘厳な教会葬。喪主の妻は棺に取りすがって泣いている。
ところが、棺の中に横たわった死体が突然歌い出す! 俺はなんで死んじゃったんだろ~
えっ?

 

こりゃ尋常な映画じゃないな、と気分を引き締めて、以後を鑑賞。
なにが起こっても驚かないぞ。
結果的にはこの決意があって好かった。これがなかったら、乗り遅れて取りのこされていただろう。

要するにこの映画、ギャング抗争もの+敵に追われる恋人たちの逃避行+ところ構わず歌い出すミュージカル(+B級映画)、なのだ。

 

敵組織との戦いに嫌気が差したドンは、何から何まで濃い奥さん(!)にそそのかされて死んだことにする。
身代わりの死体(始めに書いた歌い始める死体、ね)は用意した。
跡目も譲ったし、事業も腹心の部下に分け与えた。
これで自分たち夫婦はこれまでに稼いだ大金を手にして、どこか外国で余生を送るぞ。

 

ところが、生きている自分を看護師のファティマ(セレーナ・ロッシ)に見られてしまう。
こりゃいかん、細工がばれてしまう。彼女を消せっ。
ところが、差し向けられた二人の殺し屋の中の一人チーロ(ジャンパオロ・モレッリ)は、ファティマとはかって恋人同士だったのだ。
燃え上がる二人。お前のためなら俺は命をかけるぜ。

 

ということで、二人を殺そうとやってくるかっての仲間たちをチーロはバンバン殺していく。
義理よりも愛だっ、恩義よりも愛だっ、友情よりも愛だっ。
愛こそすべて! 愛のためには何だって許される!
さすが情熱の愛の国イタリア映画だ。

 

そしてこの映画、いきなり始まる歌がかなり好いのである。
それも主役だけではなく、代わる代わる登場人物が歌い始めるのである。みんな上手い。
なかでもドンの後継者は、渋いだみ声で味のある歌を聴かせてくれた。
華やかな場面で、おや、この歌は?と思ったら、「フラッシュ・ダンス」の替え歌だったりもした(嬉)。

 

ときには歌う人の背後でいきなり踊りも始まる。
たとえば病院の廊下では点滴している患者たちがいきなり踊り始める。
たとえば銃を構えて対峙する一人が歌い始めると、彼がこれまで殺した人達が血まみれの姿で並んでリズムを取ったりする。
すごいでしょ。もうインド映画もびっくり!のエンタメぶりである。

 

真面目なミュージカル映画は苦手なのだが、インド映画とか、この映画などのミュージカル場面は楽しくて好い。
といって不真面目というわけでもない。ちゃんとやっている。
ただ、そのちゃんとぶりが少し外れているのだ。そこがなんとも楽しい。

 

(以下、ネタバレ気味)

 

最後にいきなり思わぬ展開を見せる。さすがにそれはないだろ、という強引ぶりだった。
えっ、えっ、その終わり方はいくらなんでも不味いんじゃないの。
・・・と思っていたら、見事にやられた。
ちゃんとオチが用意されていたのだ。おお、おお、やってくれるじゃないですか。

 

2時間半越えの尺なのだが、めくるめくような展開に長さは感じない。
イタリアのアカデミー賞にあたるヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞など5部門を受賞してます。

楽しいエンタメ映画を観たいと思っている方にはお勧めですよ。

 

「シルビアのいる街で」 (2007年)

f:id:akirin2274:20200504181551j:plain

2007年 スペイン 85分
監督:ホセ・ルイス・ゲリン
出演:グザビエ・ラフィット

妄想男の彷徨い。 ★★

 

あの「ミツバチのささやき」や「エル・スール」のビクトル・エリセ監督が絶賛したというので、鑑賞。
スペインの若き新鋭監督作だとのことだった。

 

舞台はフランスの古都ストラスブールドイツ国境に近い位置らしい。
市内電車がゆっくりと走る石畳の街並みは美しく、道端のカフェの様子もお洒落そのもの。
まるで観光プロモーション・ビデオを観ているような気になってくる。
それというのも、事件らしいものは何も起きない85分なのだ(苦笑)。

 

冒頭、ベッドの上に座った青年(グザヴィエ・ラフィット)の姿が映る。
地図を眺めて街の様子を確認したりする様が4分間ぐらい、なんのセリフもなく映る。
なんだ、こりゃ?

 

やがて青年はカフェテラスで行きかう人々を眺める。
青年はビールを飲みながらあたりの女性をノートにスケッチする。
そしてカメラはその様子を、延々となんの説明もなしにただ写し続ける。
なんだ、こりゃ?

 

あらかじめの情報として、何も起きない映画だということは知っていた。
そのことを知っていてよかった。
でなければ、いつまで観ても何も起きないので、あれ?と思うところだった。

 

やがて青年が6年前に一度会ったきりの女性シルビアを探してやってきたことが判ってくる。
シルビアの面影を求めて、それで青年は目に留めた女性のあとをつけたりもする。
それもかなり執拗にあとを追う。

おいおい、それじゃまるでストーカーじゃないか。
(柔らかい髪が風になびいているような美青年だから許されてしまうかな?)

 

街を過ぎるいろいろな人も画面に捉えられる。
足の悪い花束を抱えた男性がゆっくりと去っていく。この男性は何度も画面にあらわれる。
ベルトやライターを売りつけようとする男も、何度も登場する。
ときには、主人公が角をまがって去っていった路地を、そのまま延々と写し続けたりもする。

 

青年はシルビアにめぐり会うことはない。
そもそもシルビアなる女性が本当にいたのかどうかもあやふやになってくる。
青年の妄想ではないのか、彼はその妄想を追い続けているだけではないのか。

 

何事も起こらなかった街並みが映る、路面電車がゆっくりとまがっていく。
そして映画は終わる。
滅茶苦茶はまって絶賛する人が2割、なんだこれは?と思う人が8割・・・。そんな風にも思える映画でした(汗)。

 

「スタンリーのお弁当箱」 (2011年)

f:id:akirin2274:20200502185954j:plain

2011年 インド 96分
監督:アモール・グプテ

少年たちの友情物語。 ★★★

 

インド映画だが、お馴染みの歌もなければ踊りもない真面目な(汗)映画。

 

スタンリーは、なにか家庭の事情があるらしく、お弁当を持ってこられない。
昼食の時間になると、友だちには売店で何か買ってくると言って教室を抜けだし、水道の水を飲んで空腹をしのいでいた。
日本で言えば小学校高学年ぐらいかと思える年頃なのだが、こんな状況に置かれている子どもの姿を見るのは切ない。
スタンリーが純真無垢そのものといった子どもなので、その健気さがなおさら切ない。

 

やがてそのことに気づいたクラスの仲間は、自分たちの弁当を少しずつスタンリーに分けてあげることにする。
卑下することもなく、素直に喜ぶスタンリー。
クラスメートもそうすることが当たり前だとでもいった風で、みんな好い子なのだ。
苛めなどとは無縁の子どもたちだ。
ところが信じられないような意地悪教師が登場する。

 

国語教師のヴァルマー先生は、漫画かと思うほどに食い意地が張っている。
お昼時になると教師仲間の弁当をつまんでばかりいる。
さらに、スタンリーの友だちが持ってくる美味しそうな弁当が欲しくてたまらない。
なんとかスタンリーに分けられた弁当を横取りしようとする。
なんて酷い教師だ。

 

インドのお弁当といえば、何段にも重ねた丸い容器に入れている。
映画「めぐり逢わせのお弁当」で出てきていた。
それぞれの容器にカレーやナンやサラダが入っている。
あれは開けるのが楽しいだろうなあ。

 

さて、そんないけ好かないヴァルマー先生なのだが、なんと演じていたのは監督自身だった。へえ~。
さらに、主役の少年スタンリー役は監督の子供だった。へえ~。

 

スタンリーの家庭はどうなっているのだろうと、映画の始めから気になっていた。
お母さんがお弁当を作れない何か事情があるのだろうか、ひょっとしてスタンリーは家庭では虐待されているのではないだろうか・・・。

 

映画の後半になってその事情が明らかになる。
ああ、そうだったのか。
そしてスタンリーにお弁当を作ってくれる人があらわれる。よかったね。

 

この映画は、協力をもらった小学校で、1年半の日にちをかけて撮影したとのこと。
休みの日にだけ撮影をしたので、出演した子どもたちは1日も学校を休むことはなかったとのこと。
なるほど、子どもたちに配慮した好い撮り方だな。

 

無垢な子どもたちを描いて、なんとなくハッピーエンド的な雰囲気で映画は終わっていく。ホッとした気分になる。
しかし、よく考えればスタンリーのこれからの人生は、やはりかなり困難なことが推測される。


映画の最後には、インドで労働に従事しなければならない子どもたちの数が告げられる。
やはり貧富の差が大きく、貧しい子どもたちが多い国だったのだ。
頑張れ、スタンリー。

 

「グレート・バトル」 (2018年)

f:id:akirin2274:20200430220444j:plain

2018年 韓国 136分
監督:キム・グァンシク
出演:チョ・インソン、 ナム・ジュヒョク

歴史ものアクション。 ★★★

 

600年代、唐は20万人の大軍勢で高句麗に攻め入ってくる。
この映画は、高句麗の小さな出城である安市城を5000人で守り抜いたという話。
まるで韓国版「のぼうの城」だが、映画の雰囲気は大違いで、全編これ悲壮感にあふれている。
城主のヤン・マンチュン(チョ・インソン)は実在の人物とのこと。

 

高句麗の内紛のようなものもある。
民を思って負け戦には出兵しなかったマンチュンは、国主からは裏切り者と思われ、彼の安市城には援軍は来ず見捨てられる。
そればかりか、マンチュン刺殺の命を受けた若者サムルまで派遣される。
孤立無援、おまけに暗殺者まで紛れ込んでいる状況で、マンチュンはどう闘う?

 

暗殺の命を受けて安市城にやって来たサムルの視点でマンチュンが描かれるところが上手い演出だった。
偉ぶることなく、民に慕われ、そのうえ知略に富んでいる。
あんた、神様かよ、と言いたくなるぐらいに欠点のない英雄像(苦笑)。
ま、格好いいから許してしまおう。

 

そのマンチュン役のチョ・インソクが誰かに似ているなあと思いながら観ていたのだが、ああ、そうだ、ケイン・コスギだ。
かってはTV番組「筋肉番付」で活躍し、リポビタンのCMでお馴染みだったが、今はどうしているのだろう?

 

城攻めでは投石機が活躍する。効果がありそう。
しかし、実際にあんな大きな重い石を勢いよく飛ばせたのだろうか。
長い梯子をかけて城壁を上っていくというのも定石。
しかし、あの先頭に上っていく人は怖いだろうね。たいていやられちゃうものね。

 

攻城台という高い櫓のようなものもすごい代物。なるほど、これなら高い城壁を攻め落とせそうだ。
さあ、どうする? と思っていたら・・・。
まさか空中高く放り投げた油壺を矢で射抜いて、炎を降らせるとは。
やるなあ、マンチュン。

 

ということで、戦闘場面は迫力あるものだった。
さらにマンチュンを支える部下もよく描かれていた。
表面上は仲が悪いけれども実は気心が通じている剣と斧の使い手、とか。

 

ツッコミどころはいくつもあるのだが、まあ、映画だからね。
しかし、敵が築いた山に穴を掘って崩してしまおうという作戦だけは、いくらなんでもあんなに早くは掘れないでしょ、と言いたかった。
それに見事に敵の施設が壊れた後の山は、きれいな形のままだったなあ(苦笑)。

 

戦争ごっこが好きな男子向けの映画でした。
暇な休日にでも、余分なことを考えずに楽しむ映画です。