あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「ランボー ラスト・ブラッド」 (2019年)

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2019年 アメリカ 101分
監督:エイドリアン・グランバーグ
出演:シルベスター・スタローン

ランボー・シリーズの第5作目。 ★★☆

 

このシリーズの第1作が作られたのは1982年、38年前だった。
ジョン・ランボーが登場したとき、ベトナム戦争のトラウマに悩む彼の存在は、社会問題も投げかけるものだった。秀作だった。
その後、このシリーズは傭兵のような立場での活躍を描くアクションものになっていた。

 

で、「最後の・・・」でもう終わったのだろうと思っていたランボーだったが、今度は「ラスト」で再びあらわれた。
ランボーがあらわれれば、やはり観に行かなければなるまいて。

 

初老となったランボーは故郷のアリゾナの牧場で平穏な日々を送っていた。
災害が起きればボランティアとして救出にも赴くという善良な村人だ。
そんなランボーの趣味は巨大な地下壕を作ること。
何故にこんな本格的な地下壕を? これは絶体に後半に意味を持ってくるよねえ(笑)。

 

しかし、わが子のように慈しんできたガブリエラがメキシコの人身売買カルテルに拉致されてしまった。
単身でメキシコの怪しげな街に乗りこむランボー
しかし、悪の組織の暴力性は半端ではなかった。その悪はもう非人間的と言っていいほど。
怒っていいぞ、ランボー

 

ストーリーは一直線で、捻りは一切なし。
裏切りとか、手の込んだ策略をおこなうとか、一切なし。
善人はどこまでも善人、悪人は典型的な悪人。判りやすい。
我慢に我慢を重ねた主人公が最後に大暴れして敵を完膚なきまでに叩きのめすという、言ってみれば高倉健さんの世界。
(ちょっと違うか・・・ 汗)

 

だから、終盤の30分にこの映画のすべてが詰まっている。
それまではここにいたるまでのお膳立てだったと言える。
あの地下壕にヴェトナム戦線で学んだトラップの数々を仕掛るランボー
敵を地下壕に誘い入れて殺しまくっていくランボー

 

そうか、あの地下壕は今もランボーにとりついているヴェトナム戦争の悪夢が作らせたものだったのか。
悪夢から逃げられなかったランボーは10年間もかけてあの地下壕を作った。
だから、ランボーはあの地下壕で戦うしかなかったのだ。

 

(余談)
重機関銃を抱えたランボーがバンダナを巻いてくれると、嬉しかったのだが。
しかし73歳のランボーには、もうバンダナも似合わなかったか・・・。

 

エンド・クレジットのときに、これまでのランボー・シリーズの場面がフラッシュ・バックされる。
ああ、スタローンもあんなに若かったんだ、と感無量となる。
本当にこれで終わるのだろうな・・・?

 

「夜のバッファロー」 (2007年)

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2007年 メキシコ 103分
監督:ホルヘ・エルナンデス・アルダナ
出演:ディエゴ・ルナ

若者の愛と性。 ★★☆

 

先日観た「ナイン・シガレッツ」が思いの外に好かったので、同じディエゴ・ルナ主演の本作を鑑賞。
脚本は「バベル」や「21グラム」の脚本も担当したギジェルモ・アリアガ。
さあ、どうだろう。

 

マヌエル(ディエゴ・ルナ)の親友グレゴリオは精神を病んでいた。
入退院をくり返していたのだが、ある日、自殺をしてしまう。
マヌエルに奇妙な言葉を書きとめた紙片を何枚も残して。

 

実はマヌエルは、ガブリエルの妹とは恋人同士だった。
しかしマヌエルはガブリエルの恋人だったタニアにも惹かれていき、ついに深い仲になってしまう。
なんと無節操なマヌエル・・・。

 

ところがマヌエルは実にあっけらかんとしている。
元カノにタニアの居場所を尋ねたり、タニアを誰よりも愛していると言ったりするのだ。
まったく悪びれるところがない。
こいつ、どこまでデリカシーのない奴なんだ。

 

この映画でもルナ・ディエゴは格好いい。
まあ、モテるのも判るな、と納得させられてしまう。
タニア役の人(ポスターの女性)は、ちょっとペネロペ・クルスを思わせて、彼女を若く初々しくした感じ。
マヌエルの相手となる他の2人の女性も可愛い。

 

結局のところ、若者の自由奔放な性愛を描いた作品、ということになりそう。
女の子たちのきれいな胸は、幾たびとなくあっけらかんと差し出されてくる。
マヌエルは彼女たちのそのきれいな胸を、分け隔てなくやさしく愛撫している。

 

思わせぶりなタイトルは、「夜のバッファローに夢で見られた者は死ぬ」というガブリエルの台詞から来ているよう。
しかし、それが何のことかは判らずじまい。
単に、精神を病んだ者の妄想台詞だった?

 

未だ熟れきっていないような初々しいきれいな膨らみの胸は、充分に堪能できます。
しかし、それだけの映画だった、というのは少し言い過ぎ?(汗)

 

「ナイン・シガレッツ」 (2003年)

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2003年 メキシコ 90分
監督:ウーゴ・ロドリゲス
出演:ディエゴ・ルナ

悪いことが連鎖するサスペンス。 ★★★☆

 

メキシコのある街の一夜の出来事。
9人の男女が煙草を吸ったり、我慢したりしながら、不幸の連鎖を繰り広げていく。
原題は「ニコチン」。
この不幸はすべてニコチンがもたらしたのか? まさかね。

 

ちょっと内気なロロ(ディエゴ・ルナ)は腕のいいハッカーで、隣の住人アンドレアに片思いをしている。
どれぐらいの片思いかというと、彼女の部屋に隠しカメラを仕掛け、盗聴器を仕掛け、生活をのぞき見しているぐらい。
おいおい、そこまでやったのではヤバイいんじゃないの。
しかし、ディエゴ・ルナがイケメンなので許されてしまいそう(汗)。

 

そのロロに、ネネは巨大銀行の口座のアクセスコードを盗むことを依頼する。
ネネとその仲間のトムソンは、そのアクセスコードと引き換えにロシア・マフィアとダイヤを交換する手はずになっていた。

 

こうして悪事に荷担する人たちが夜の中で蠢く。
ところが盗映がアンドレアにバレてしまったロロは、慌てた拍子に銀行のアクセスコードの入ったCDとアンドレアを隠し撮りしたCDを間違えてしまう。
それとは知らずにマフィアとの交渉現場に赴いたネネたち。

 

おい、これは違うんじゃねえか、こらっ。俺たちを舐めてんのか、こらっ。
その結果、ネネたちはマフィアに追われて夜の街を逃げ回る。
ごめんよ、僕が持ってくるCDを間違えたんだ。ちょっとした間違いだったんだよ。

 

悪事を描いたサスペンスものなのだが、どこかユーモラスに物語は進む。
時に画面分割があったりして、同じ時刻にこちらではこんなことが起こっていて、という見せ方もする。
またポイントになる部分(こっそり鍵をかけた手、とか、警官が見つけそうな現場に垂れた血、とか)は判りやすく注意を促してくれる。
テンポもよく物語は進む。小気味よい。

 

さて、マフィアに撃たれて怪我をしたネネは夫婦で営業しているドラッグ・ストアに逃げこむ。
禁煙中でイライラして妻に暴言を吐きつづける夫と、静かに耐えている妻。
そこにもマフィアはやってきて・・・。

 

一方、こちらも怪我をしたマフィアの一人がたまたま入った理容室。
ここの煙草好きの奥さんは不甲斐ない亭主に愚痴ってばかりいる。
で、この理容室でも、ちょっとした気の迷い、手違いからとんでもない不幸が連鎖していって・・・。

 

それまでまるで無関係に暮らしていた人々が、ある事柄をきっかけに次々に関係していく。
こうした形の群衆劇は好きである。
それにしても、たまたまパトロールしていた警官はお気の毒。
それに、魔が差したのだろうが、ダイヤを独り占めしようとする理容室の高飛車な奥さん、怖い!


次々にみんな死んでいってしまう。
さて、取引に使われようとしていたダイヤはどうなった?
一人生き残って部屋に戻ってきたロロはどうなった?

実は冒頭で、ロロが無意識におこなう煙草を吸いながらのある行動が映っていた。

最後にロロのその行動がすべてに決着をつける。なるほど。

 

 

あまり評判にはならず、我が国では劇場未公開だったようですが、これは掘り出し物でした。
メキシコでは、映画界最高の賞で12部門ノミネート、6部門で受賞したとのことです。
また、メキシコ映画ジャーナリスト賞では最優秀作品賞も受賞しています。

 

レンタル屋さんで見つけたら、ぜひ観ましょう。
損はしませんよ。

 

「天空の草原のナンサ」 (2005年)

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2005年 ドイツ
監督:ビャンバスレン・ダバー

モンゴルの遊牧民一家の暮らし。 ★★★☆

 

ドイツ映画ということになっているが、題材はモンゴルの風物詩。
監督はモンゴルのウランバートル出身で、今はミュンヘンに住んでいるとのこと。

 

移動式住居ゲルに暮らすモンゴル遊牧民一家の生活を描いている。
父は羊の放牧をして、その乳でチーズを作る母、そして6歳の少女ナンサとその妹、弟。

 

ドキュメント映画といってもいいほどに、淡々とした映像が流れる。
ある日、ナンサはお使いの途中でかわいい子犬を見つける。
ナンサは子犬をゲルに連れて帰るのだが、オオカミの仲間かも知れないといって父は飼うことを許してくれない。
しかし、ナンサは隠れて子犬を飼い始める。

 

とりたてての事件が起きるわけでもなく、ともすれば退屈になりがちなところだが、ゆったりと流れる日々の有り様をを観ていると、癒やされるような気になってくる。
モンゴルの広々とした風景も美しい。
まったく演技をしているようには見えない一家の様子にいつしか見入ってしまう。

 

乾燥した羊の糞は燃料にするようだ。
糞を集める手伝いをするナンサなのだが、背中の籠に投げ入れたはずの糞は籠を飛び越えていたりする。
一生懸命なナンサが可愛い。

 

素朴な生活。
プラスチックの柄杓一つでも、町へ出たついでに買ってこなければならない。
小さな風車が回っていて、わずかな電気は起こしているようだった。

 

ナンサは老婆から輪廻転生の話も聞く。
人間の前世は動物で、善行を重ねたものだけが人間として生まれてくる。これは大変な奇跡なのだよ。
そうか、モンゴルの大平原でそんな風に思って人生を生きていくのか。

 

終盤に、一家がゲルをたたんで次の土地に移住する場面となる。
家財道具のすべてをまとめて、ゲルを解体する。
なるほど、ゲルはこんな風に組み立てられていたのか。
もちろん風力発電の羽根を廻していた長いポールも持っていかなくてはならない。

 

映画の最後に、バットチュルーン一家の協力に感謝する、という意の謝辞が出た。
すると、これは実際の一家をモデルに撮ったということだろう。

 

どこまでも自然体の映画だった。
とにかく観終わった後に、気持ちがきれいに洗われたような気になる。
しあわせな気分で満たされる作品だった。

 

 

「リアリティのダンス」 (2013年)

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2013年 チリ 130分
監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:ブロンティス・ホドロフスキー、 アレハンドロ・ホドロフスキー

悪夢のような自叙伝、前編。 ★★★

 

初めて観たホドロフスキー監督の作品はあの「エル・トポ」だった。
そして仰天した。こんな映画があるのか!
それ以来、(体調のいいときをねらって)ホドロフスキー監督の作品は追いかけてきた。
これは、84歳になったその監督が、自伝を元に23年ぶりに撮った作品。

 

1920年代、軍事政権下のチリの田舎町。
アレハンドロ少年は、ウクライナからの移民である両親と一緒に暮らしていた。
原色が溢れているような街で、近くの炭鉱では伝染病が発生したりしている。
もうこの舞台からして半ば悪夢を観ているような光景である。

 

女性下着店を営む父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー、監督の息子である)は厳格で横暴であり、アレハンドロ少年の怪我も厭わずにしつけようとする。
一方で母サラ(パメラ・フローレンス)は、アレハンドロ少年を自分の父の生まれ変わりと信じていて、過剰な愛情を押しつけてくる。
豊満な肉体の母親は、すべての台詞を歌で伝えてくる。そして少年に金髪のカツラを被ることを強要している。

 

田舎町は幻想的なイメージの舞台でもある。
四肢を欠損した人たちや小人症といったフリークスは、ホドロフスキー監督映画ではよく登場する。
サーカスに集う人もあらわれる。
主人公と仲良くなる半裸にピアスの行者も、フリークスといえるかもしれない。
親友に高価な靴をあげたことによって、その親友が海で死んでしまったりもする。

 

映画の中盤からは、少年の視点を離れて父親の物語となっていく。
ユダヤ人の父は共産主義者で、家の壁にはスターリン肖像画が飾られていた。
そして、チリの独裁者イバニェス大統領の暗殺をおこなうべく首都へと向かうのだ。

 

しかし、その暗殺計画も、あんた、何やってんのといった展開なのだ。
挙げ句の果てに父親は記憶喪失となって彷徨ったり、ナチスに捕まってグロテスクな拷問(あれは痛いなんてものじゃないだろうな)を受けたりする。
気のよい女に拾われたり、家具職人に助けられたりする。

 

父親を究極的に救うのは、豊満な妻(少年の母親)である。
ペストに罹り、死が目前の状態で帰還した父親を、全裸になった妻は自分の聖水をかけることによって治してしまうのである。
このあたりには何か宗教的な寓意が込められていたのかもしれない。
そんなことは判らないままに、呆気にとられて映画を観ている私がいる(笑)。

 

母親は、暗闇を怖がる主人公に、自分も闇になってしまえばよいのよ、と歌いながら全身に黒の塗料を塗る。
母自らも全裸になって塗料を塗って真っ黒になる。
どこか突きぬけた母親である。

 

この両親は、どちらもどこか極端な愛情でアレハンドロ少年に接している。
両親は幼い少年の目にはこのように映っていたわけだ。
そしてそれは、84歳になった今の自分が、少年の日の自分はこのように両親を捉えていたのだろうなと解釈しているわけだ。
アレハンドロ監督は、自伝なんて今の自分が作り上げた虚構さ、とでも言っているようだ。

 

映画の最後に、3人の家族は田舎町を離れて船に乗って旅立とうとしている。
2016年にはこの続編にあたる「エンドレス・ポエトリー」が作られている。
さてアレハンドロ少年は、このあとどんな悪夢世界の住人として成長したのだろうか。

 

「橋の上の娘」 (1999年)

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1999年 フランス
監督:パトリス・ルコント
出演:ダニエル・オートゥイユ、 バネッサ・バラディ

官能的な男女物語。 ★★★★

 

パトリス・ルコント独特の少し捻れた愛を、これも少し尋常ではない官能表現で描いている。
ストイックな愛なのに、とてもエロティックである。
さすが、ルコント監督、本領発揮である。

 

映画はモノクロで描かれる。
アデル(ヴァネッサ・パラディ)は行きずりの男に惚れてはすぐ捨てられてしまう人生だった。

そんなことに絶望した彼女はセーヌ川に身を投げようとある橋の上に立つ。
そんな彼女に、「馬鹿なことをしそうだな」と声をかけたのが、ナイフ投げのガボールダニエル・オートゥイユ)。
アデルを助けたガボールは彼女を”ナイフ投げの的”としてスカウトする。

 

このふたりの関係が微妙。
ふたりはまったくストイックで、アデルは旅先で知り合う男たちとすぐに恋に落ちる。
ガボールはそんなアデルに何も言わずにただ見ているだけ。

 

それなのに、ナイフ投げの場面になると一転する。
女に向かって男の投げるナイフの一投一投はまるで愛撫のよう。
そして女は、自分をめがけて男が投げたナイフへの恐怖が官能の歓びとなっているよう。
もうふたりの性愛行為を見ているような気にもなってくる。

 

ヒロイン役のヴァネッサ・パラディは、今はジョニー・デップと結婚しているはず。
かってはシャネルのモデルもやっていたとか。
華のある人生を歩んでいる人なのだな。

 

ふたりの出し物は行く先々で喝采あびる
そしてカジノのルーレットでも大勝をしたりする。
肉体関係以上に強く惹かれ合っているふたりのようだったのだが・・・

 

アデルがまたまた男に惹かれて、ガボールの元を去ってしまう。
しかし彼女はすぐに自分の行為が浅はかなものだったことを痛感する。
一方、取りのこされたガボールもまったく人生に絶望してしまう。
橋の上に立つガボールに背後から声がかかる、「馬鹿なことをしそうね」・・・。

 

そしてアデルは言うのだ、「私に投げるナイフがあるなら一緒に行きましょう」。

 

ひとつだけ、苦情を。
冒頭のアデルのインタビューのような場面、あれはまったく不要に思えたのだが・・・。

 

仕立て屋の恋」や「髪結いの亭主」にも通じる捻れた愛が描かれていた。
単純な普通の愛よりも、捻れていると愛は強くなる?

 

「マラソン・マン」 (1976年)

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1976年 アメリカ 125分
監督:ジョン・シュレシンジャー
出演:ダスティ・ホフマン、 ローレンス・オリビエ、 ロイ・シャイダー

巻き込まれ型サスペンス。 ★★★

 

ジョギングが趣味の大学院生ベイブ(ダスティン・ホフマン)が、思わぬ事件に巻き込まれていく。
それも並の事件ではなく、どんどん人が殺されていくような、そんな一大陰謀に巻き込まれていく。
どうして自分がこんな目に?

 

映画の前半では、学生時代を謳歌しているベイブが彼女(マルト・ケラー)に一目惚れをして猛烈にアタックしたりする。

それに、なにやら不穏な雰囲気のドイツ人とユダヤ人の諍いが描かれたりする。
これはどんな風につながっていくんだ?

 

まあ、有名な話なので要点を書いてしまうが、この映画はナチ残党の野望に巻き込まれた青年、ということだったのだ。
そのナチ残党というのは、”白い悪魔”と呼ばれたゼル博士(ローレンス・オリビエ)。
主人公は、ゼルがアメリカに密輸されていたダイヤを入手しようと画策した騒動に巻き込まれていくのだ。

 

このゼルという人物は、実在したナチスのメンゲレ博士をモデルにしたとされる。
冷酷非情な悪人だが、さすがローレンス・オリビエ、見事に演じている。

オリビエといえば、同じネオナチを描いた映画「ブラジルから来た少年」では、ナチの戦犯を追跡するユダヤ人リーダーを演じていた。
あちらではグレゴリー・ペックが演じるメンゲレ博士と対決していた。
さすが名優、ナチスユダヤ人も、チャンと演じてしまう。

 

さて。
実はデイブのお兄さん(ロイ・シャイダー)は、ゼルを追いかけていた秘密捜査官だったのだ。
そのお兄さんの正体がばれて、殺されてしまう。
そしてデイブもゼル一味に狙われることに・・・。

 

さあ、ここでデイブが受ける拷問場面は、かなり有名だろう。
拷問といえば、古典的なところでは鞭打ちとか、水攻め(本作でもちょっと出てくる)だが、この歯医者さんごっこの拷問はすごい。
それというのも、ゼルは歯科医だったのだ。
歯を神経が露出するまで削るぞ、なんて、誰でも容易に想像できる痛さだから、現実的に怖ろしい。もう、嫌だあ。

 

不満を一つ。
タイトルが「マラソンマン」で、たしかに主人公は熱心にジョギングもしているのだが、マラソン自体が物語に絡むことがなかった。
途中でデイブが必死に追っ手から走って逃げる場面があるが、ジョギングが活かされたのはあそこだけ(苦笑)。

 

それはさておき。
驚いたことに、主人公も驚いたのだが(汗)、彼の恋人は実はゼルの手先だったのだ。
主人公の懐に入りこむ役割だったのだ。
えっ、そんなあ。猛烈にモーションをかけたのはベイブの方だったのだが。
ま、彼女も寝返ってくれて、ベイブを助けてくれることになる。よかったね。

 

印象的な場面があった。
雑踏の中でゼルを見かけたユダヤ人の老婆が、白い悪魔がいるわっ、彼は白い悪魔よ、誰か捕まえてっ、と半狂乱になって叫ぶのである。
今でも逃げのびているナチスの戦犯は実際にいるのだろうな。

 

最後はベイブとゼルの対決となる。
こはちょっと演出をやり過ぎたのではという感じがしないでもなかった。

 

しっかりとした土台の上に作られたサスペンスであった。
3人の名優の共演も見応えがありました。