あきりんの映画生活

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「アルファヴィル」 (1965年)

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1965年 フランス
監督:ジャン・リュック・ゴダール
出演:エディ・コンスタンティーノ、 アンナ・カリーナ

ゴダールの近未来SFもの。 ★★★★

星雲都市都市アルファヴィルは、地球(外界)から9000キロもはなれており、コンピューターによって管理されているという設定。
ということだったが、モノクロの映像は冒頭から、あれ、60年代そのままのハードボイルドではないか、という感じですすむ。
風景はまったく当時のパリで、探偵風の主人公はトレンチコートを着て煙草をくわえ、服装もまったく60年代そのまま。

しかしSFなのだ。なにしろ会話がSFしているのだ。
遠隔通信であるとか(画像はただの公衆電話ね)、記録装置とか(画像はただのフラッシュのついた当時の小型カメラね)、第2級誘惑婦がでてきたり(つまり売春婦のようなものね)とか。

これは非常に面白い作り方で、映画である以上は、これは未来世界だ、と言われれば、60年代のパリでも未来都市でありうるわけだ。
今見ると、奇妙に古ぼけた大型のコンピューター装置などが、かえってSF的に思えてくる。
画面がモノクロであることも、観ている側の想像力がひろがって効果的である。

圧倒的な画像はいたるところで観られる。
なかでもプールでの公開処刑場面は印象的だ。
死刑囚は飛び板の上に立たされて射殺されるのだが、罪状は、たとえば妻の死に涙を流すなどの、非論理的な行為をおこなったからというものなのだ。
プールに落ちた死刑囚は泳ぎ寄ったシンクロナイズド・スイミング風の5人の女性がにしたナイフでとどめを刺される。
この場面だけを見ても、ゴダール独特の美意識が感じられる。

この都市の住人の挨拶文句もおもしろい。「元気です、ありがとう、どうぞ」というもの。他人との接点としての会話を戯画化したものといえるだろう。
さらにこの都市で聖書と言われているものは、実は辞書で、毎日言葉が削除されていっている。
だからこの都市の住人は次第に言葉を失っていく。
アンナ・カリーナもどうしても”意識”という言葉を思い出せなかったりする。

(余談)新しい聖書を持ってくるホテルのボーイが、なんとジャン・ピエール・レオだった。かれはこの場面にだけ登場する。

ゴダールの映画のご多分に漏れず、この映画でも哲学的な台詞が主人公のモノローグとしてこれでもかと語られる。
都市を支配しているコンピューターの言葉がそこにおおいかぶさる。
聞いていると、哲学的と言うよりも詩的であるようだ。
作中でも「光に必要なのはポエジーだ」と言っている。よくはわからなかったが、どうやらエリュアールの詩も引用されているようだ。

アンナ・カリーナはとても美しい。
最後近くになり、アルファヴィルの住民はよろけるような奇妙な苦しみ方をはじめ、次々と死んでいく。
これはおそらく文明間の戦争が始まったことの暗喩であろう。
主人公の運転する車で脱出したカリーナは、必死に言葉をさがす。
そしてついに「あなたを愛している」という言葉にたどりつく。

この映画はあの「気狂いピエロ」と同じ年につくられている。
あちらに比べればこちらはゴダールにしては意外に分かりやすく、見やすい作品となっている。
それでいてたしかにゴダールだと分かる作品になっているところが凄い。

独特の映像美も楽しみましょう。