2018年 アメリカ 132分
監督:アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベイル、 スティーブ・カレル、 エイミー・アダムス
実録伝記物。 ★★☆
この映画の前に「記者たち」を観た。
アメリカのイラク侵攻がねつ造された根拠によるものだったという、ときの政権の嘘を暴いた内用だった。
本作は、その政権時に副大統領だった人物の伝記物。
我が国でディック・チェイニーの名前を覚えている人は少ないのではないだろうか。
しかし、本人もあまり自分のことは語らなかったらしい。
だからこの映画のどこまでが真実かは判らないのだが、かなりの遣り手であったことは確かなようだ。
それもアメリカ社会を手玉にとるような、かなり危ない方面で・・・。
若かった頃のチェイニー(クリスチャン・ベイル)はどうしようもないダメ青年。
そんな彼を目覚めさせ、あれよあれよと成功者の道を歩ませたのは、なんといってものちの奥さんのリン(エイミー・アダムス)の叱咤激励に拠るところが大きい。
チェイニーは政治家を目指し、下院議員ラムズフェルド(スティーブ・カレル)の元で着々と地盤を気づいていく。
ある意味でチェイニーは己の資質をよく理解していたと思える。
彼は決してトップは目指さないのだ。
トップを支える役回りを選び、そのトップを自分の思惑で操ろうとする。
巧妙というか、狡知というか、陰で暗躍する、そしてちゃんと自分の利権は確保する、といった人物だったように思える。
奥さんがまたすごい人物像である。
私の存在意義は夫の出世と共にある、と言わんばかりの生き方で、ときに気弱になる夫を叱咤激励したりする。
この奥さんあっての夫だったのか・・・。
映画のなかほどでは、政界を離れたチェイニーはその後は田舎で暮らしたというフェイクのエンドクレジットが流れる。
めでたし、めでたしといった感じなのだが、どっこい、彼の本領発揮はそこからだったのだ。
副大統領への就任を打診された彼は、副大統領なんて縁の下の力持ちでつまらんぞ、という声を他所にその役を引きうける。
そして彼は副大統領の権限を一気に絶大なものへと拡大してしまうのだ。
やるなあ。
タイトルの”ヴァイス”という言葉だが、接頭語として使うと「副」である。
つまりヴァイス・プレジデントといえば副大統領のこと。
しかし、単独名詞では「悪」とか「非行」なのである。
上手い使い方だよなあ。
クリスチャン・ベイルの役者ぶりがすごい。
とても精悍で悲愴なあのバットマンを演じた人とは思えないほどに、違っている。
なんでもこの役のために20kgの体重増加をしたというのだからすごい。
あとは「新聞記者たち」で描かれたイラク侵攻の裏側の物語となっていく。
こう書いてくると堅苦しい政治映画かと思われるかもしれない。
しかし違うのである。
チェイニーは悪賢い人物だし、それを支え続けた(というか、夫を操った)奥さんもかなりの人物である。
映画はそんな彼らをブラック・コメディ風に描いているのである。
だから、あまり堅苦しい映画ではない。はっきりとエンタメになっているのである。
ここは監督の手腕というべきだろう。