2018年 日本 120分
監督:堤幸彦
出演:篠原涼子、 西島秀俊
脳死をめぐる家族ドラマ。 ★★★
薫子(篠原涼子)は、ITメーカー社長の夫・和昌(西島俊秀)との離婚準備中だった。
そんなある日、娘の瑞穂がプールの事故で意識不明となってしまう。
瑞穂は脳死状態であることを医師から告げられる。
一度は臓器提供に同意した薫子だったが、やはり娘はまだ死んでいないと考えを翻す。
人の死は、脳死か、心臓死か。このどこまでも割り切ることのできない問を突きつけてくる映画だった。
原作はこれも東野圭吾。
彼はどんなジャンルの小説でも読ませる力を持っている。すごいなあ。
和昌は自分の会社で研究されていた新技術を娘の身体に応用しようと考える。
それは脳に電気刺激を与え、手足や身体を動かすというもの。
手が動いたとしても、もちろんそれは単なる電気刺激による筋肉の収縮反応なのだが、あたかも自発運動をしているように見える。
それを見た薫子は次第にのめりこんでいく。
瑞穂はまだ生きているっ!
電気刺激で娘の笑顔まで作ろうとする薫子。
いくら肉体に血が流れ、呼吸をしていても、脳が死んでいれば、それは人間としての死?
頭で理性的に脳死を考えようとしても、感情とは乖離する。
対象が愛する我が子であれば、なおさらに、どこまでも結論が出せない疑問となる。
クライマックスは瑞穂の弟の誕生日。
家族のそれぞれの思いが噴き出す。そして半狂乱になっていく薫子の姿がリアルだった。
瑞穂はもう死んでいるんだ、と妻を説得しようとする和昌。
ついに、薫子は包丁を持って瑞穂を刺そうとする。瑞穂をあらためて殺そうとする。
この子がもう死んでいるなら、包丁で刺したって殺人罪にはならないんでしょっ。
自分が娘を刺して有罪になるなら、それは娘が生きていたということでしょ。
もしそうなら、私は喜んで罪を受けるわ。瑞穂を生きてる死体にしておかないから!
この場面での篠原涼子はすさまじかった。
自分なら、自分のわが子なら、どうしただろう?
夫婦はどんな結論を出したのか。
重い問題意識を提示しながら、しっかりと魅せる映画になっていた。