あきりんの映画生活

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「マトリックス」 (1999年) 仮想世界を描いた記念碑的作品

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1999年 アメリカ 136分
監督:ウォシャウスキー兄弟
出演:キアヌ・リーヴス、 キャリー・アン・モス、 ローレンス・フィッシュバーン

驚異の仮想世界。 ★★★★★

 

まもなく新作が公開されるとのことで、第1作を3回目の観賞。
公開されてもう20年以上が経つのか、と思う。

 

脳内に展開される仮想世界というものは、それまでにもいくつかの作品でもあったのだが、ここまでくっきりと視覚化して見せてくれたことは驚きだった。
それに、香港映画に代表されるワイア・アクションの格闘場面や、スローモーションを多用した銃撃戦を、完成した美しさで見せつけてくれた作品の先駆けでもあった。

 

マトリックスの世界では、実際の人間の肉体は無数に並んだ培養液のタンクの中に横たわっている。
脳細胞が感じているのは、プログラムでつくられた仮想現実である。
ネオ(キアヌ・リーヴス)たちは、このマトリックスの世界から肉体を解放した反逆者なのであり、ネオたちと敵との格闘は、ネオたちの脳細胞の思考と、コンピューターの作り出したプログラムとで行われている。
そうした形而上的な争いを、肉体を借りた具体的な映像として視覚化している。 

 

この世界観には物事の認知の問題がある。
肉体の各部分は自らは認知する能力を持たないので、脳細胞に情報を伝達し、脳細胞がその情報を認知することによって初めて物事が認知される。
私たちが認知するということは、すなわち脳細胞がそのように認知したということに他ならない。
逆に言えば、脳細胞に認知されない限り、肉体としての認知もないわけだ。

 

たとえば、痛覚神経麻痺の人では痛みという情報が脳細胞に伝達されないために、痛みという感覚は存在しない。出血している自分の手を見て、初めて自分が怪我を負ったことを知るわけだ。
その網膜に映った物体も、視神経を通して脳細胞が認知しない限り、見えてはいないのだ。

 

昔からくり返し言われているように、認知されていないものは存在していない。
よく考えれば、こんな恐ろしいことがあるだろうか。
 (あなたがある人のことを忘れてしまったら、その人は世界から抹消されるのだ。)

 

逆が必ずしも真ではないが、このことを逆に言えば、”認知されたものは存在する!”ということになる。
マトリックスの世界では、培養液のタンクの中に浮遊する脳細胞が認知している限り、電気信号によって認知された世界がその人の”現実世界”となる。

 

この映画で特異的なことは、プログラムと戦っている脳細胞の思考が負けると、脳によって支配されている実際の肉体も傷ついてしまうことだ。
(ここは「インセプション」の世界と大きく異なるところだ)
いわば、仮想世界の結果が現実の肉体の状態に反映されるわけである。
見方によっては、現実世界が仮想世界に隷属しているようにもとれる設定である。これは究極の仮想世界のあり方であるだろう。

 

これらの仮想世界でのアクション場面は美しかった。
有名な、飛んでくる銃弾を身を反らせて避ける場面(銃弾の軌跡も連続写真のように描出される)や、壁を走り、空中を走って繰りだす蹴り技、それにすさまじい数の弾丸が壁を粉にして飛び散らせるスローモーション画面。
これ以後のアクション映画で影響を受けていない作品は、まずないだろうと思える。

 

今になれば(当時から?)いろいろな評価があるが、この映画が見せつけたものは、やはり記念碑的だったと思う。
ロングコートにサングラス! 
キアヌ・リーブスキャリー・アン・モスも、今観ても、なんて格好良いんだ!

 

ちなみに監督のウォシャウスキー兄弟は、二人とも性転換してしまったので、今はウォシャウスキー姉妹である。
まもなく公開の「4」での表記はどうなっている?