あきりんの映画生活

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「あの日のように抱きしめて」 (2014年) 強制収容所から生還して・・・

2014年 ドイツ 98分
監督:クリスティアン・ペッツォルト
出演:ニーナ・ホス、 ロアンルト・ツェアフェルト

哀しい運命の人間ドラマ。 ★★★

 

舞台は1945年6月、敗戦直後のドイツ、ベルリン。
強制収容所から奇跡的に生還を果たした元歌手のネリー(ニーナ・ホス)だったが、顔には深い傷を負っていた。
彼女は顔面の修復手術を受け、ピアニストの夫ジョニー(ロアンルト・ツェアフェルト)のもとへ帰ることを夢みていた。

 

この頃の、ナチに迫害されてきたユダヤ人の思いは特に複雑だっただろう。
ネリーを助けてくれていたのは同じユダヤ人の弁護士レネ。
彼女はもうドイツになんかいたくない、新たにできるユダヤ人国家パレスチナに一緒に行こうと誘う。
いいえ、私は元の顔を取り戻して愛する夫の元へ帰るわ。

 

夫のジョニーは、ユダヤ人の自分を釣り小屋に隠して、必死に自分を守ろうとしてくれたのよ。
結局はナチに見つかって収容所へ送られてしまったけれど、でも、優しかった夫の元へ帰りたいわ。

 

ニーナ・ホスは、同じ監督作の「東ベルリンから来た女」で観て注目した女優さん。
あの映画も東西に分断されたドイツの社会情勢を背景にした物語だった。

 

この映画の冒頭ではネリーは顔中を包帯で巻かれた姿で登場する。
砲撃の際に受けた傷とのことだったが、痛々しい。
やがて顔の包帯が取れるのだが、手術跡が残り、絆創膏も貼付したネリーの顔は、やはり痛々しい。

 

包帯の取れたネリーは、ベルリンの酒場で働くジョニーを見つけ出し、募る思いで声をかける。
しかし、なんということか、彼は目の前にいるのが妻のネリーだとは気づいてくれないのだ。
ネリーは収容所で死んだと思い込んでいるのだ。
えっ、私だと判らないの?

 

そればかりか、あなたは死んだ妻に似ている、妻が生きていたことにして彼女の財産を一緒に相続しよう。妻のふりをして欲しい。
えっ、私にそんなことを言うの? 私がその妻なのよ・・・。 
これは辛い。
本当の妻なのに、愛する夫は妻のふりをしている別の女性だと思いこんでいる。

 

そしてかっての隣人たちの話しを聞いているうちに、ネリーは当時の夫の言動に違和感を覚えはじめる。
えっ、ナチに逮捕された夫は数日で保釈されてきた? そして隠れていた私はその直後にナチに見つかってしまった?
これって、もしかしたら・・・。

 

ネリーは妻のフリをして友人たちの待つ駅に帰還してくるお芝居をする。
ネリーの周りには、夫も含めてドイツ人ばかりだったようだ。
だから、ネリーが列車から降りたって生還してきた姿をみたときの友人たちの反応には、微妙なものがあったのだろう。
戦争は終わったが、自分たちはネリーを始めとしたユダヤ人を迫害した側なのだ、という罪の意識があっただろう。

 

(以下、最後の展開に触れます)

 

明るい庭先で、知人たちが集まってネリーの帰還を祝ってくれる食事会がおこなわれる。
ネリーはみんなに言う、部屋に入って欲しい、1曲歌うから聞いてちょうだい。
そしてピアニストだったジョニーに「Speak low」の伴奏を頼むのだ。

 

ネリーは1番は歌わずに歌詞を朗読する。そして2番から静かに歌い出すのだ。
その歌声を聴いたジョニーの表情が変わる。
まさか、この声は、この歌い方は・・・。まさか、彼女は・・・。
そしてネリーの腕に強制収容所でつけられた鑑別番号の入れ墨を見つけるのだ。
妻のふりをして欲しいと頼んだこの女性は、実は、本当に・・・。

 

ジョニーの伴奏は途絶える。
その後をアカペラで歌い終わると、ネリーは静かに部屋から明るい庭に歩み去るのだ。

 

それにしても邦題は酷い。まったく映画の内容と合っていない。
この邦題では、まるで純愛悲恋もののようではないか。
原題の「フェニックス」は夫が働いていた店の名前。
おそらくは、それにネリーが再び生きることを始めるという不死鳥の意味を重ねたのだろうと思う。

 

ネリーが愛していたジョニーは、実はネリーを裏切っていた。
しかし、誰がジョニーを責めることができるだろうか。
おそらくジョニーは激しい拷問をナチから受けたのだろう。そして我が身の無事と引き替えにネリーの隠れ場所を白状してしまったのだろう。
その罪の意識から、ネリーが生きているとは考えることができなかったのだろう。

 

ペッツォルト監督は、大戦時におけるドイツという国が何をおこなったのか、それによって人々はどうなったのかを、問い続けている。
この映画も、辛く哀しい運命を味わった女性の物語であった。
しみじみとした余韻を残して映画は終わっていく。