あきりんの映画生活

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「わが友イワン・ラプシン」 (1984年) ラプシンは刑事で、失恋もする

1984年 100分 ソ連 
監督:アレクセイ・ゲルマン
出演:アンドレイ・ボルトネフ

ゲルマン監督第3作。 ★★★

 

舞台は1930年代半ば、スターリン粛清前夜のソビエトの地方都市。
物語は語り手が自分の子供時代を、父とその友人たちを描くことによって回想するという形を取っている。
アレクセイ・ゲルマン監督の父が書いた小説が原作であるとのこと。

 

本作の主人公とも言うべきイワン・ラプシンは父の友人。
彼は有能な刑事で、その立場を巧みに利用してわりと好き勝手に振る舞う人物のようだ。
悪人を糾弾するときも証拠などないのにただ脅して証言を引き出したりしている。
その存在自体が社会主義のメタファーだという解釈をしている感想もあった。なるほど。

 

ゲルマン監督には遺作ともいうべき「神々のたそがれ」で打ちのめされた。
ものすごいカオスの中に秩序や権力に対する渇望と反発が渦巻いているような作品だった。
彼は単独監督作として5作を撮っているが、これはその3作目。「神々のたそがれ」の約30年前のもの。

 

映像は、父がラプシンたちと同居していた狭い官舎の中での些細な出来事を丹念に描写している。
台詞も動作もまったくの日常といった雰囲気で淡々と続く。
寂涼感が漂う荒々しい映像でもある。謎めいた雰囲気もある。

 

退屈かといわれると否定は出来かねるのだが、かといって観るのを止めようという気にはならない。
なにか、エンタメ的な面白さとは異質の、有意義な映画鑑賞をしているという緊張感を味わっているのだ。

 

厳しい独裁政治下の社会。民衆は無力で、それでも悲喜交々としながら生きていく。
人々は自殺を図ったり、犯罪にはしったり、あるいは国家を称賛して軍歌を高らかに歌ったりしている。

 

ある時ラプシンは、役作りのため売春婦に会いたいという女優ナターシャと出会う(警察署には売春で捕らえられた娼婦が大勢拘留されている)。
ラプシンは彼女の便宜をはかっているうちに魅かれていくのだが、ナターシャが愛したのはラプシンの友人のハーニンだった。
しかしハーニンはモスクワへと旅立ち、ナターシャの恋も実ることはなかった。

 

ラスト、駅にはスターリンの肖像を機関車の前に掲げた列車が止まる。
その後ろには軍歌を演奏する楽団員が乗っており、カメラが彼らの顔をパンしながらとらえた後に、また列車が走り出す。

 

全体の重苦しい抑圧的ななかに(軽妙とは言い難いのだが)ユーモア感覚も混じっているよう。
しかしそれはソ連民衆が自虐的に祖国を見ている苦さとも感じられるものだった。

結局、なんだったんだ、この映画は?