
2024年 112分 日本
監督:若松節朗
出演:本木雅弘、 小泉今日子、 中井貴一、 石坂浩二
絵画にとって美とはなにか。 ★☆
脚本の倉本聰が長年にわたって構想していたという物語ということで鑑賞。
しかしなあ。物語の展開がふらふらしていて、どうにも入り込めなかった。
世界的な画家・田村(石阪浩二)の展覧会で、彼は作品のひとつが贋作だと言い始める。
これは私が描いた絵ではない。
しかしその絵は真筆を凌ぐような作品だったのだ。田村自身もそのことが判ったようなのだ。
この絵を描いたのは誰だ? 何のために描いたのだ?
この映画は、本物と見間違えられるような、あるいは本物よりも優れているような作品は、果たして”贋作”として無価値なのか?といった問題点を突きつけてくる。
”本物”の価値は一体どこにあるのか? 作者のサインに価値がある? そんな馬鹿な・・・。
この”贋作”の作者は、かつては田村以上の才能と目されていながらある事件を切っ掛けに画壇から去った津山(本木雅弘)だった。
彼は名声や評価とはまったく無縁のところで、ただおのれの美を追究しつづけていたのだ。
というようなことなのだが、この映画はどうもごちゃごちゃしすぎていた。
”贋作事件”と平行して、小樽で全身に刺青を彫った女性の殺人事件が起こる。
被害者が津山の知人だったことから、その謎解きも彼に絡んでくる。
さらに、田村の妻(小泉今日子)はかつての津山の恋人だったりするので、”儚い男女関係”も彼に絡んでくる。
絵画における美とはなにか、という問題点だけに絞って物語を展開すれば、かなりの映画になったのではないだろうか。
(あまり関係のないことだが、吉本隆明は「言語にとって美とはなにか」という上下2冊に及ぶ論考を書いていたりする)
大体が、刺青がどうしてこの物語に絡んでくる? 必然性がまったく見えなかったぞ。
(誰か、刺青が登場したわけを考察してくれ)
付け加えれば、小泉今日子との破れた恋物語の件も不要だったなあ。
好かったのは、田村が贋作と騒いだ絵のキャンバスには、かつて津山が描いた傑作「海の沈黙」が描かれていた、というところ。
津山は一生の大傑作を塗りつぶして新しい絵を描いていたのだ。
登場人物の誰だったかの台詞は、美はその人の記憶の中にだけ残ればいい・・・。
こうなるともう、美とは物質的な存在ではないのだ、という地点に立脚することになるな。
贋作を足がかりにして、”象徴としての美”に迫っていれば・・・。
妙なことを付け加えなければ、もっと傑作になっていただろうに。惜しい映画だった。