1990年 アメリカ 113分
監督:ポール・バーホーベン
出演:アーノルド・シュワルツネッガー、 レイチェル・ティコティン、 シャロン・ストーン
偽の記憶ものSF。 ★★★☆
お断り:これは、シュワルツネッガー主演のオリジナルの方についての記事です。
記憶の混乱とか、夢世界との融合とか、とにかくそういった脳内世界に構築されるものをあつかった作品は好きである。
だから、SF小説ではフィリップ・K・ディックはお気に入りの作家。
この映画は、その彼の短編小説「追憶売ります」を映画化している。
偽の記憶を植え付けて、あたかも実際に旅行に行ってきたように思わせてくれる未来の旅行会社リコール。
そこを訪れた貧しい労働者のシュワルツネッガーは、火星旅行の記憶を植え付けてもらおうとする。
ところが、その操作中に異常事態が・・・。
今のシュワルツネッガーの記憶は、あとから植え付けられた偽の記憶だった事が判明する。
では、本当の自分の記憶は・・・?
一般的に言えば、その人のそれまでの人生はすべてその人の記憶の中に在る。
自分が覚えているか、あるいは周りの人が君の小さいころはこうだったよと教えてくれる記憶、思い出が、その人の生きてきた道筋になる。
それがすべて人工的に操作できるとしたら、その人の人生は何だったのだ?ということになる。
これは考えはじめるととても面白い問題である。
この映画の主人公、シュワルツネッガーも混乱する。
偽の記憶を植え付けられる前の自分が、今の自分に対してメッセージを残している映像も出てくる。
本当の自分はこうだったのだと教えてくれる。
自分が言っているのだから、きっと本当のことなのだろう・・・? しかし・・・。
途中で一番面白かった場面は、敵を相手に大活躍をしているシュワルツネッガーのところへリコール社の者だという人物が尋ねてくるところ。
彼は言う、「今、君がおこなっている行動はすべてリコール社の椅子の上で眠っている君の偽物の記憶の世界なのだよ。」
これは面白いなあ。
どちらが現実で、どちらが虚構なのか。
脳内世界が現実世界を凌駕しているというマトリックスの世界を、先取りしてもいたわけだ。
しかし、この映画では記憶の錯綜による混乱は、比較的あっさりと描かれている。
とても判りやすいものとなっている。
代わりに軽快なアクション場面をふんだんに取り入れている。
シュワルツネッガーを起用したのもそんな狙いからだったのだろう。
シャロン・ストーンが前半では大活躍をする。やはり彼女は”腹に一物ある美人”というイメージなのかな。
それに比べてヒロイン(レイチェル・ティコティン)があまりぱっとしなかったのが残念。
当時のSFXを駆使した映像も好くできていて、軽快な娯楽作品となっていた。
20年あまりを経て、先頃、同じタイトルでリメイクもされている。
次はそれも観てみよう。評判はどうなのだろ?