2011年 フランス
監督:エリック・トレダノ / オリビエ・ナカシュ
出演:フランソワ・クリュゼ、 オマール・シー
ヒューマン・ドラマ。 ★★★★
これは素直に好い映画だったなあと思える作品。
いわゆる身障者ものなのだが、この映画は単にそれを見せるのではなく、それを乗り越えた先にあるものを見せてくれる。
大富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)はパラグライダーの事故で首から下のすべてが麻痺してしまっている。
動くのは顔だけ。
誰かの介護がなければなにもできない。椅子に座っていることさえ、ベルトで固定しないとできない状態。
これは辛い状態。
しかし、彼には卑屈なところはなく、明るい。すごい。
フィリップの介護人の募集面接に現れたのが、スラム街に住む黒人青年のドリス(オマール・シー)。
彼は、失業手当をもらうために職を探して面接を受けているという書類だけがほしくてやって来たのだった。
しかし、フィリップはそんな彼を採用することにする。
下心なしのドリスが痛快。
見栄も張らず、取り繕ったりすることもしない。本音で接してくる。
普通の人だったら絶対に口にしないような、フィリップの身体の不自由さをからかったりしたりもする。
フィリップは、ドリスを雇うことにした理由として障害者に同情していないのが好い、と言う。
言われてみれば、なるほどと思う。
同情というのは、裏を返せば同じ位置に立っていない者が見下ろしている感情。
しかも大金持ちなら、同情に加えて下心もつきまとってしまいやすくなるからなあ。
一番よかったのは、ドリスが初めてフィリップを車に乗せて出かけようとする場面。
いつものようにフィリップは、ワンボックスカーの後部に電動リフトで車椅子ごと乗せてもらおうとする。
ドリスは、そんな家畜を乗せるようなやり方は嫌だ、と言って、フィリップを抱えて高級乗用車の助手席に乗せるのである。
そりゃ誰だって後部座席に後ろ向きのままで乗っているよりは、助手席で前を向いて流れる景色を見る方がいいに決まっている。
そんな当たり前のことを、これまでの介護者は誰も気づいてくれなかったのだ。
身障者の介護の既成概念にとらわれすぎて、フィリップの人間としての尊厳に気づかなかったのだ。
これは大事なことだよなあ。
クラシック風の音楽がしっとりとした情感を出していて、ちょっとユーモラスな映画の裏にあるものを上手くあらわしていた。
この映画は実話に基づいているとのこと。
エンドクレジットのときに、実際のフィリップとドリスの映像も出た。
ドリスと巡り会えたフィリップは、お金などには代えられない大事な関係が築けたわけだ。
それはそれは奇跡にも近いような幸せなことだったと思える。
立場の違う相手をいかに受け入れて、思いやることができるか。
上から目線の同情ではなく、同じ地平に立った共感をもって相手に接することができるか。
この映画はそんなことを、あらためて考えさせてくれました。