2013年 カナダ 90分
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ジェイク・ギレンホール、 メラニー・ロラン、 サラ・ガドン
不条理な哲学劇? ★★★
こりゃ、何だ?
呆気にとられて見終わった。・・・なんだ、こりゃ?
歴史の講師をしているアダム(ジェイク・ギレンホール)は、DVDで観ていた映画の中に自分とそっくりな俳優を見つける。
こんなに自分と似ている他人がいるのか?
執拗に調べたアダムは、彼がアンソニー(ジェイク・ギレンホールの二役)という俳優であることをつきとめる。
よく、世の中には自分とそっくりな人が3人いる、と言われる。本当かなあ?
それはさておき、自分とうり二つな他人がいたら、そりゃ驚く。それ以上に気持ち悪いかもしれない。
しかもこの二人、生まれたあとについた傷跡まで同じところにある。これはどういうこと?
かといって、この映画、提示された謎が解き明かされていくわけではない。
最後まで観ても、ああ、そういうことだったのかと明快な答えが差し出されるわけではない。すっきりするわけではない。
観た人が勝手に考えなさいよ、と突き放される。そこを、面白いと取るか、何だ、こりゃ?と取るか・・・。
真面目で堅物なアダムには美しい恋人(メラニー・ロラン)がおり、俳優という浮き草稼業のようなアンソニーには身重の妻(サラ・ガドン)がいる。
(この組み合わせがちょっと逆に思えるところが、ミソなのでしょう。)
冒頭で、主人公は奇妙なセックス・パーティに参加している。
悪夢を示唆するような場面であり、その後に象徴的にあらわれる蜘蛛も登場してくる。
歪んだような性的衝動もからんでくる。
(以下、ネタバレ)
対峙したアダムとアンソニーだったが、ついには、アンソニーはそれぞれのパートナーを交換して寝ようと提案する。
二人がそれぞれのパートナーの前に入れ替わってあらわれようというわけだ。
逡巡の後にアダムもその提案を受け入れる。
アダムとアンソニーの身重の妻は激しく求め合うが、アダムの恋人はアンソニーを偽物だと見抜いて拒否をする。
そして、アンソニーとアダムの恋人は事故で死んでいく。
一方、アダムの前にはアンソニーの妻が巨大な蜘蛛に変身してあらわれる。
ありゃ、これは何だ?
とこうくれば、私の解釈は、アダムとアンソニーは二重人格だった、あるいは想念が生み出したもうひとりの自分だった、というもの。
で、これは、恋人と身重の妻との三角関係から生じた妄想映画だった、といったこところか。
物語は感情を抑えた地味なものだったが、意味不明な謎が不気味で面白い。
二人の女優もそれぞれにきれいでした。