2013年 イギリス 107分
監督:テリー・ギリアム
出演:クリストファー・ヴァルツ、 メラニー・ティエリー
不条理映画。 ★★★★☆
ギリアム監督の感性をこれでもかと見せつけてくる作品。
合わないときはまったくその世界に入り込めないギリアム監督作だが、こちらの感性に合ったときにはすごく好い。
この映画、不思議な不条理感に酔ってしまった。
コンピュータ社会となっている近未来。
巨大企業マンコム社で働くプログラマーのコーエン(クリストフ・ヴァルツ)は、”ゼロの定理”を発見しろとの指令を受ける。
そして、彼はいつかかかってくるはずの(希望の)電話を待ち続けている。
コーエンの自宅は古い修道院跡。
外光を遮断した広い部屋では、頭部にモニターカメラをつけた聖像が彼を常時映している(誰が監視している?)。
そして重い扉を開けて一歩外へ出れば、そこには近未来の街風景の喧噪が広がる。
「ブレードランナー」の湿った未来風景にも魅せられたものだったが、こちらの街風景は情緒感をまったく排したもの。
けばけばしくて、キッチュで、自分には無関係な情報が溢れている。
これも魅力的な風景だった。
コーエンは、スラム街の中に建つ廃墟のようなビルの中での、やはり喧噪に溢れたパーティ会場でベインズリー(メラニー・ティエリー)に出会う。
可愛らしくて、コケットリーで、謎を秘めたベインズリーは、親しげにコーエンに接近してくる。
彼女は一体何者?
コーエンがひたすらノルマを課せられておこなっている数式の解析も、独特の映像で視覚化される。
数式は画面のなかを飛び回り、正解を見つけると、まるでテトリスのように、そびえ立つ建物の壁面にぴたりと収まる。
失敗すると建物が崩れ落ちる。
抽象的な数式というものを、映像として見せてくれて、これには感心した。
ベインズリー演じるメラニー・ティエリーがとても魅力的。
モデル出身の彼女は「海の上のピアニスト」や「バビロンAD」(駄作だった)にも出ていたらしい。
気がつかなかったなあ。
実は彼女はマンコム社から差し向けられた娼婦、それも肉体は提供しない”精神的娼婦”だったのだ。
コーエンは電脳世界のなかの浜辺でベインズリーとデートをする。
二人だけの浜辺では夕陽はいつまでも沈まない。
このとてもわざとらしい人工的な場面も、映画の設定とよく合っていた。
この映画には、おや!というような人物も出演していた。
マンコム社の健診医の一人にベン・ウインショー。本当のちょい役だった。
眼鏡をかけたマンコム社のマネージメント(社長)が誰かに似ているなあ、思っていたのだが、なんとマット・デイモンだった。へえぇ。
そしてコーエンのカウンセリングをする奇妙な精神科医にティルダ・スウィントン。
彼女は「スノーピアサー」での滑稽な大臣役といい、こういうぶっとんだ役が好きなのだろうか。
さて、コーエンは生きる目的を探し求めて、孤独なのだ。
彼の心の中では、いつもブラックホールが不気味な入り口を見せている。
それは”無”の世界につながっているようで、ゼロの世界とも関わってくるようだった。
ということで、すっきりとした物語性を持った映画ではない。
とても抽象的なことを何とか視覚化してあらわそうとしているような映画。
だから好きな人はとても魅せられるし、そこに入り込めなかった人にはとてもつまらない映画だろう。
ベインズリーが去ってしまったラストは、電脳世界のあの浜辺。
いつまでも落ちなかった夕陽がすとんと落ちて、あたりは闇に閉ざされていく。
しかし、エンドロールにかぶさるように、コーエンを呼ぶベインズリーの声が聞こえてくるのだ。