あきりんの映画生活

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「悲しみが乾くまで」 (2008年)

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2008年 アメリカ 118分
監督:スサンネ・ビア
出演:ハル・ベリー、 ベニチオ・デル・トロ、 デヴィット・ドゥカヴィニー

悲しみとそこからの再生の人間ドラマ。 ★★★★

子ども達と幸せな生活を送っていたオードリー(ハル・ベリー)の夫が、ある日、行きがかりで殺されてしまう。
夫の親友だったジェリー(ベニチオ・デル・トロ)と葬儀の日に再会した彼女は、彼が相変わらずドラッグ中毒で廃人同様の暮らしをしている事を知りながら、家の離れで暮らすことを提案する。

二人はお互いに傷を舐めあうように暮らしはじめる。
孤独に耐えかねたオードリーが寝室にジェリーを招き、抱いてもらう場面がある。
ジェリーは、オードリーが寝静まったところでそっとベットから離れていく。
見方によってはオードリーが挑発しているようにもとれるのだが、二人は性的な関係にはならない。
女性監督ならではの展開だろう。

オードリーの言動はかなり自己中心的で、ジェリーに対してひどい行動をとる。
たとえば、夫の代わりにあなたが死ねばよかったのだ、と面と向かって言い放ったりする。
息子のビリーは生前の夫が教えてもプールの水に頭をつけられなかったのだが、ジェリーはそれをさせてしまう。
すると、オードリーは、急に怒りだす。
息子にとって、夫よりもジェリーの存在が大きくなってしまったような気がしたのだろう。
オードリーの夫への思いの深さと、それを失って自分でも整理の付かない苛立ち、それはよく伝わってくる。
それにしても、勝手だ。

挙げ句の果てにジェリーを家から追い出してしまう。
ジェリーもまた弱い人間だ。彼はふたたび麻薬に溺れてしまう。
オードリーよ、あまりにもひどい仕打ちじゃないかい。

画面は顔の極端なアップが多用される。
これはスザンネ・ビア監督の得意の手法らしいが、顔の半分だけが光に照らされて、残りは闇に隠れている、あるいは眼差しのクローズアップ。
それらは主人公二人の心の陰影を反映していて、映画に奥行きを与えていた。

二人をとりまく人々は心優しい。
オードリーの太った弟は真剣に心配してくれるし、隣人ハワードはジェリーに無償の善意の手を差し延べる。このハワードがほのぼのとした感じでとても良かった。
それに二人の子ども達はあっという間にジェリーになつく。
ちょっと出来すぎている感がしないでもないが、題材そのものがあまりにも暗いのでバランスをとったのかもしれない。

とにかくジェリー役のデル・トロが素晴らしい。
額にしわを寄せた少し困惑したような表情が印象的。
これまでにも何本かの出演作を観ていたが、これほどよい俳優だとは思っていなかった。
すっかり見直してしまった。

原題を直訳すると「火事で私たちが失ったもの」となる。
これは、まだ夫が生きていた頃にガレージで起きた漏電火災でいろいろなものが燃えてしまったエピソードからきている。
夫は、「燃えたのはただの物であって、私たちは生き残っているじゃないか」と言う意味のことを言ったのだ。
ラスト近く、オードリーは火事で燃えてしまった物のリストを見つけて号泣する。
オードリーが失ったものは物ではなく、夫はもう生きていない、ということを改めて受け入れなくてはならなかったのだ。

邦題の「悲しみが乾くまで」は良いタイトルだと思う。
通常では「悲しみの涙が乾くまで」となるところだが、「悲しみ」という抽象語に直接動詞をつなげて新鮮な響きをとっていいる。

オードリーはジェリーによって癒されたのであり、彼もまたオードリーや二人の子ども達の存在で麻薬中毒から立ち直っていく。
お互いが、相手を癒すことによって自分が救われていく。
作中で「善意を信じろ」という台詞が出てくるが、これが土台にあるために、悲惨な状況を扱っている作品なのだがこれから向かう方向を信じてみることができる。

人の心の深いところまで降りていくような、そんな重厚感があって、良い映画を観たなあと思える作品です。