あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「盲目のメロディ」 (2018年) これがインド流コーエン兄弟映画だ

2018年 インド 138分 
監督:シュリラーム・ラガバン
出演:アーユシュマーン・クラーナー、 タブー

ブラック・コメディ。 ★★★☆

 

ピアニストのアーカーシュ(アーユシュマーン・クラーナー)は、実は目が見えるのに盲目のフリをしている。
音楽を極めるために聴覚だけで生活をして、感覚を研ぎ澄ましているのだ、というのがその理由。
ふ~ん、芸術家は大変なのだな。

 

副題は「インド式殺人狂騒曲」。そしてこの映画はインド版コーエン兄弟映画といわれている。
たしかに、どこかがちょっと奇妙な感じを与える登場人物たちがあたふたと事件を起こしていく。
それが当人たちの思惑からずれた方へずれた方へと転がっていくのだ。

 

アーカーシュはある日、大スターのプラモードから自宅での演奏依頼を受けて訪問する。
すると妻のシミー(タブー)だけがいて、主人は夜まで不在だという。
演奏依頼を受けたのにおかしいな・・・。
そして彼は見てしまったのである、部屋の片隅に殺されたプラモードの死体が転がっているのを。
おまけにその犯人が銃を構えて息を殺しているのを。

 

どうやらシミーは不倫をしていて、その不倫相手が夫を殺してしまったようなのだ。
これは何も見えないふりをつづけて、何も気づかなかったふりをして、逃げ出さなくては。
でないと自分まで殺されてしまうぞ。

 

という具合に事件が始まる。
アーカーシュが急いで警察署へ行くと、何と! そこの署長こそ先刻のシミーの不倫相手ではないか。当の殺人犯!

 

こりゃ駄目だ。
署長が陣頭指揮を執ってプラマーシュ殺しの捜査をしているぞ。
自分は何も見ていなかったふりをつづけて、なんとか署長に見てしまったことを気づかれないようにしなければ・・・。

 

シミーが徹底的に悪女。
夫殺しの目撃者である隣人をベランダから突き落としたりもする。
演じているタブーという女優さんが一見上品そうな美女なので、怖ろしさが倍加している。

 

愉快だったのは、アーカーシュが本当に盲目なのか疑ってシミーがいきなり妙なお面を被ってみせるところ。
あれ、普通の人だったら驚いてなにか反応してしまうところだよね。
アーカーシュはよく我慢したなあ。

 

そしてアーカーシュも結構な悪人だったのだよ。
怪しい医者や三輪タクシーの運転手、掃除のおばさんと手を組んで、悪女のシミーを誘拐して大金を横取りしようとしたりする。
もうこうなると悪人くらべ。どちらの悪さが上回っている?

 

物語は二転三転。シミーに毒を盛られたアーカーシュは本当に盲目になってしまうのだよ。
この映画、どこまで行くんだ? 面白いなあ。
でも、本当に見えなくなった?

 

冒頭にキャベツ畑で退治されそうになる兎が映っていた。
あれは何なのか?と思っていたのだが、ラストで見事に回収されていた。
あ、なるほど、そういうことだったのね(正直なところ、兎のことは忘れていたのだけれど 汗)

 

念のためのお断り。
主人公がピアニストなので劇中に歌はふんだんに出てきます(それもかなりよい曲ばかり)。
でも、みんな大好きな踊りは全く出てきません。インド映画なのに、ですよ。
そこは覚悟しておきましょう。

 

「彼女のいない部屋」 (2021年) 家出してもお母さんはすぐ近くにいるわよ

2021年 97分 フランス 
監督:マチュー・アマルリック
出演:ビッキー・クリープス

人間ドラマ。 ★★★

 

この映画についてはあまり多くを語ることはためらわれる。
物語の展開自体にこの映画の大きな狙いがあるので、それを未見の人に知らせてしまうわけにはいかないのだ。
実際にフランスでの劇場公開前に明かされていたのは「家出をした女性の物語、のようだ」ということだけだった。

 

ということで、監督(個性俳優でもあるマチュー・アマルリックである)の意図を侵害しない範囲内で書き始めてみる。
途中で「以下、ネタバレ」を入れるので、未見の人は絶対にそれ以後は読まないようにしてほしい。
いいですね、念を押しましたよ。

 

夫、二人の子どもと暮らしていたクラリス(ビッキー・クリーブス)は、ある夜明け前に小さな鞄に身のまわりの品を入れて家を出る。
書き置きを残そうかともするのだが、結局は何も残さずに家を出る。

 

映画は、クラリスのそれからの行動と、家に残された家族を交互に映していく。
クラリスは一人車を駆って行く先も決めないままに遠くへ行こうとしているようなのだ。
一方家では、朝になって起きだしてきた弟が、お母さんは?と尋ね、姉はジョギングに行ったのよと答え、父親は買いものに行ったんだろうと答える。

 

映画を観ている者は、はて、クラリスは何故家族を捨てて家出をしたのだろうと思いながら映画を観ることになる。

 

途中では、観ている者はあれ?と思う場面も出てくる。
残された夫と子供たちの会話や行動をクラリスは知ることができるようなのだ。そして独り言のように口をはさんだりするのだ。はて、これはどういうこと?

 

そして時間の流れはかなり前後する。
はて、これはいつの出来事なのだ? クラリスが家出をする前の状況? それにしてはつじつまが合わないところもあるぞ。
不可解な映像が挟み込まれるのだ。はて?

 

(以下、ネタバレ)

 

終盤近くになって物語の構造が明らかになる。
そうだったのだ、夫と子ども二人はすでに雪山での事故で亡くなっていたのだ。
残されたクラリスは一人彷徨い、もう今はいない家族の言動を彼女が妄想していたのだ。

 

だから彼女がいない場での家族の言動をクラリスは感じることができ、目の前にいない家族に話しかけたりもできたわけだ。
なるほど、喪失感にうちひしがれた精神がなんとかバランスをとろうとしていたのだな。

 

現実空間、妄想空間が入り混じり、さらに時間もシャッフルされていたために、物語の構造は複雑に見えていた。
主人公の演技が好くて、つい引き込まれてしまった。
こういった設定の作品はこれまでもあったわけだが、好く出来ていた。

 

この構造を知った上で、もう一度鑑賞する? そうすれば、異なった作品として観ることができる?

 

「パスト・ライブス/再会」 (2023年) 少女の私をあなたに置いてきたわ

2023年 106分 アメリカ・韓国合作 
監督:セリーヌ・ソン
出演:グレタ・リー、 ユ・テオ

恋愛もの。 ★★☆

 

家庭の海外移住のために離れ離れになった幼なじみ二人の物語。
24年が経ってニューヨークで再会した二人が過ごす7日間の物語。
甘~い恋愛ものかと思っていたが、結構シビアな内容だった。

 

韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに幼い恋心を抱いていた。
しかし、ノラ一家はアメリカに海外移住してしまう。
12年後にノラのことが忘れられなかったヘソンはSNSで彼女を探す。そしてオンラインで再会を果たした24歳の二人は、昔話で盛り上がる。
しかし、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた二人の関係はそこまでだった。

 

さらに12年が経ち二人は36歳となっている。
ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、二人はやっとめぐり合う。

 

二人はおずおずとハグをするのだが、それは愛情ではなく友情のハグ。
しかし、人妻になっていると知りながらわざわざ会いに来るヘソンて、どういう心境だったのだ?
ノラの夫になっているアーサーだって困るよなあ。どう接すればいいんだ?

 

ヘソンとノラが楽しそうに交わす韓国語が判らないアーサーは蚊帳の外。少し可哀想。
それにしても、言葉にはしないまでもヘソンがいまだに自分に気持ちを寄せていることを感じながらも、はっきりとは拒まないノラもどうだかなあ。

 

タイトルのパスト・ライブスは”前世”ってこと。
そして”イニョン”という言葉が会話の中に出てくる。これは日本語で言えば”縁起”のことで、輪廻転生の概念に近いような気がする。
しかし、ヘソンとノラにイニョンがあるのだったら、アーサーとノラにだってイニョンがあるはず。
アーサーをないがしろにするのはおかしいのではないかい。

 

ということで、私はあまりこの物語には惹かれなかった。
まあ、ヘソンが女々しい。未練たらたらなのが丸見え。
それに引き替えナヨンはある部分を残しては醒めている。
別れた男はいつまでも過去を振り返り、別れた女は明日しか見ない、という諺がある。
その通りなのだよな。

 

最後近く、ヘソンが昔の幼い恋心のことを蒸し返す。
ナヨンが答える、あの頃の私はもういないわ、少女だった私をあなたに置いてきたのよ。
これは好い台詞だな。

 

ポスターの惹き文句には「今年のアカデミー賞最有力作」とあったが、それほどのもの?
それほど突出した作品には思えなかったのだが・・・。

 

「オッペンハイマー」 (2023年) 

2023年 180分 アメリカ 我々は(世界を)滅ぼしてしまった・・・
監督:クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィ、 エミリー・ブラント、 ロバート・ダウニー・Jr.、 マット・デイモン

実録伝記もの。 ★★★☆

 

原爆の父と言われたオッペンハイマーの人生を描く実録もの。
日本人にとっては否応なしに広島、長崎と結びついている人物である。どんな立場で鑑賞すればよいのか? いささかの迷いはあった。
あらかじめNHK映像の世紀オッペンハイマー」で予習をしたうえでの鑑賞だった。

 

ノーラン監督と言えば「ダークナイト」、「インターステラー」、「インセプション」、「TENET テネット」といった映像美にも凝った作品を撮ってきている。
そんな中で本作は「ダンケルク」でみせた史実に基づく骨太なものに通じる作品だった。

 

映画はオッペンハイマーキリアン・マーフィ)が共産主義国のスパイではないかとの疑いで開かれている聴聞会の場面から始まる。
そこから回想のようなかたちで時間軸がさかのぼり、過去と現在が交互に映し出されていく。
このあたりはノーラン監督の持ち味といった感じだった。

 

オッペンハイマーはとにかく傑出した才能の持ち主だったようだ。
第2次世界大戦中に彼はその才能をみこまれて、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画の責任者に任命される。
ナチスが原爆を完成させそうなのだ、それより早く作ってドイツを攻撃しなければ・・・。

 

学者というのは、自分の才能が発揮できる場を与えられると、その研究自体の是非を問うことを忘れて研究してしまうという話がある。
それと同じように、軍人は新しい武器を与えられると、とにかくそれを使いたくなるのだとか。
どちらも恐ろしい話である。人間の悲しい性なのか。

 

映画はカラーとモノクロが混在してあらわれる。
どうやらオッペンハイマーによる視点がカラー映像で、本人以外の、たとえば彼と敵対するルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)などの視点がモノクロ映像だったようだ。

 

研究が着々と進み、いよいよ核爆発の実験の日となる。
爆破シーンはほぼ無音で、それが逆に恐怖を感じさせていた。
実験の成功に関係者たちは大喜びする。そりゃ、当事者としてはそうなのだろうけれど、自分たちが作ってしまったものが持つ意味を想像することはしなかったのだね。

 

やがてすでに敗戦は既定事実だったような日本に2発の原爆が落とされる。
原爆が落とされた広島の惨状をまったく語っていないという批判もあった。
しかしオッペンハイマー自身は広島の惨状を見ていないわけだから、それを映像で映さなかったことは理解できた。
彼が幻覚として見る映像は挟み込まれており、そこにはノーラン監督の反核思想があるように感じた。

 

オッペンハイマーは実際に使用された原爆の威力にあらためて衝撃を受けている。
被害国の人間としては、そんなことぐらい、核爆発実験のデータから判っていたことじゃないか、と言いたくはなる。
戦後、さらに激しい威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになったのが、彼の人間性だったのか。
アインシュタインと会った彼は、我々は(世界を)滅ぼしてしまった・・・といった意のことを言っている。

 

戦後のアメリカでは反共運動が大きな波となる。アカ狩りがおこなわれる。
彼の弟が共産党員であり、妻(エミリー・ブラント)も元党員であったりしたことから、オッペンハイマー自身も共産国のスパイではないかと疑われるわけだ。
(彼を蹴落とそうとしたストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)は本当に腹が立つ奴だったな。)

 

映画自体は彼の人間性を鋭く描いていて、確かにすごい映画であった。
オッペンハイマーという人物に対する思いと、ノーラン監督が撮った映画そのものの評価は切りはなして考えるべきだ、という正論が当然ある。
しかし同時に、日本人なら当然抱くであろう複雑な感情もついてこざるを得ない映画、でもあった。

 

アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞しています。

 

「ウィ、シェフ!」 (2022年) 厨房ではシェフが絶対なのよ

2022年 97分 フランス 
監督:ルイ=ジュリアン・プティ
出演:オドレイ・ラミー、 フランソワ・クリュゼ

料理人ドラマ。 ★★☆

 

料理人や厨房を舞台にした映画は好みである。
食が人間の根源的な欲望に結びついているせいか、登場人物が生き生きと描かれていることが多い。
幸せのレシピ」「シェフ 三つ星フードトラック始めました」などはほのぼの系だったし、「ディナーラッシュ」などは普段はうかがい知れないレストランの裏側ものだった。

 

この映画のヒロインは腕はいいのだが人間関係が下手な女性シェフのカティ(オドレイ・ラミー)。
一流レストランのスーシェフ(副料理長のようなものらしい)だったカティは、シェフと味付けのことで大喧嘩をして辞めてしまう。
さあ、これからどうしようか。でも私の腕なら働き口に困るはずはないわ。

 

このヒロインは確かに腕はよくて、それゆえのプライドも高い。
自分の料理には妥協しないし、他人に文句も言わせない。
料理を食べた人は高評価をするのだけれども、人間関係を築くのがとてもへた。だから人生損ばかりしているような人。

 

さて。カティがやっと見つけた職場は、あれ?こんな職場? それにこんな厨房?
そこは大勢の移民少年たちが暮らす支援施設だったのだ。

 

移民大国のフランスにはこういう施設があるのだね。
成人になるまでにちゃんと修学できないと強制送還をされてしまうようなのだ。
少年たちも不安な毎日を送ってる。少年たちの行く末を心底心配している施設長のロレンゾ(フランソワ・クリュゼ)も一生懸命がんばっている。

 

しかし案内された厨房は荒れた感じの場所。
ロレンゾも言う、若者たちの食事なんて時間通りにおなかがいっぱいになればいいのさ。
冷蔵庫の中はレトルト食品の缶詰ばかり。
なによ、これ! 私がちゃんとした食事を作ってあげるわ!

 

当然のことながら少年たちはさまざまな事情を抱えている。
そんな彼らがおずおずとカティの料理作りを手伝うようになる。料理の面白さにみんな夢中になっていく。
カティの作る料理が美味しかったことはもちろん魅力だったのだろうが、その人柄も彼らに受け容れられたのだろう。
実はカティ自身も天涯孤独で施設で育った過去があったのだ。

 

料理を教えながらカティが少年たちに言う、厨房で返事をするときは、ウィ、シェフ!よ。

 

気になったのは食費も随分と限られていたのではないだろうかということ。
おそらく公共施設か、あるいはボランティア施設であるだろうし、運営資金がそれほど潤沢とは思えない。
材料費などどうしていたのだろうな。

 

まあ、それはさておき。
クライマックスは、TVの料理番組「クック」へのカティの出演。
応募した料理人たちが技を競って勝ち抜いていくという、日本でも時に観る料理番組の形式。
勝戦に残ったカティはTV番組の影響力に目を付け、移民少年たちの実情を訴え、彼らのための料理学校開設を訴える。

 

実際にモデルになった人がいたようだ。
その後、見事に料理学校を開設して少年たちに修学の実績を作って強制送還から救い、生きていくためのスキルも身につけさせた。

 

立派な事をなしたわけだが、人付き合いの苦手だった彼女もまた子ども達のおかげで生きる意味を見つけた面もあるのだろうな。
やはり美味しい料理は人を幸せにするのだよ。ウィ、シェフ!

 

「チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル」 (2003年) グッドモーニング、チャーリー!

2003年 アメリカ 106分 
監督:マックG
出演:キャメロン・ディアス、 ドリュー・バリモア、 ルーシー・リュー、 デミ・ムーア

健全お色気アクションもの第2弾。 ★★☆

 

美女3人のお気楽アクション映画の続編。
例によって3人のエンジェル、ナタリー(キャメロン・ディアス)、ディラン(ドリュー・バリモア)、アレックス(ルーシー・リュー)に新たな指令が下る。

それは、テロリスト集団に拉致された要人をモンゴル奥地のアジトから救出せよ、というもの。
そこでいつものように得意の変装でアジトに潜入し、華麗な(?)武術を駆使して任務を遂行する。

 

証人保護プログラムで匿う重要証人リスト。そして、そのリストにアクセスするための指輪など、それなりの物語はある。
それにディランの元彼なんかも絡んでくる。
と書いたが、まあ、ストーリーなんてどっちでもいい映画(汗)。

 

無駄なコスプレいっぱい、まったく強そうに見えないアクションもいっぱい。
それがこのシリーズの持ち味。
お馬鹿な3人のちょっと間の抜けたアクションを何も考えずに楽しむ、それが正しい鑑賞方法なのだよ。

 

前作もそうだが、彼女たちのアクションは銃をはじめとした武器を使わない。必ず肉弾戦なのだ。
もちろん彼女たちの(格好いい?)アクションを充分に見せるためであるのだが、この殺伐としたご時世に一切血を見せないというところが好い。

 

愉快だったのはアレックスのパパが娘の仕事を勘違いする件。
アレックスは仕事の内容を真面目に説明しているのだが、それはまるでポルノ女優のように思えるものになっているのだ。
娘にはっきりとは問いただせないで焦りまくるパパが可愛いかった。

 

余談。
17歳ぐらいのシャイア・ラブーフが出ている。
それに教会のシスター役でキャリー・フィッシャーも出ていた。こちらはスターウォーズレイア姫で人気者になった後だった。

 

クライマックスでは伝説のエンジェル(デミ・ムーア)が悪役だったことが判り、3人と対決する。
憎々しげなデミ・ムーア、本当に悪人風だった。よくこの役を引き受けたなあ。

 

お気楽映画として楽しめばよいのだが、正直なところ、前作よりはテンションは下がっていたかな。
ゴールデンラズベリー賞で最低続編賞を受けています(苦笑)。

 

「デューン砂の惑星 Part2」 (2024年) 見事なSF映像世界

2024年 166分 アメリカ 
監督:ドゥニ・ヴィルヌーブ
出演:ティモシー・シャラメ、 ゼンデイヤ、 レベッカ・ファーガソン、 ハビエル・バルデム

SF大作第2章。 ★★★★

 

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作を初めて観たのは「灼熱の魂」だった。
想像を完全に上回ったどろどろとした人間ドラマに驚嘆し、すっかりやられてしまった。
それ以来の注目監督だったのだが、その後の映画は私が期待していたのとはまったく異なる方向へ向かったものだった。
特に「メッセージ」以後のSFものでは、あれ、こんな路線に行くんだ?と思ったものだった。

 

しかし本作は素晴らしかった。
ブレードランナー2049」で築いたSF映画路線を、本作でほぼ完璧なものにしたのではないだろうか。

 

F・ハーバートの原作小説は長い(私も途中で挫折した 苦笑)。
その大河小説の映画化なので、前作のPart1ではどうしても物語世界の説明にある程度の時間を割いていた。
本作はPart1で示されていたそれらを引き継いだところから始まるので完全に物語にのめり込める (本作を楽しむためにはPart1の事前鑑賞は絶対に必要ですよ!)。

 

スパイスを算出する砂の惑星アラキス、そのスパイスの発掘権をめぐる貴族の争い、砂漠に生息する巨大生物サンドワーム、アラキスの先住民族フレメン・・・。
さらにベネ・ゲセリットという(超能力宗教的な?)謎の組織・・・。
さあ、どう展開するんだ?

 

前作で生き延びたポール(ティモシー・シャラメ)と母親ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)。
フレメンからはじめは拒絶されていた二人だったが、部族長のスティルガー(ハビエル・バルデム)が受け入れてくれる。
彼らこそが我々を救ってくれる言い伝えの救世主だっ!

 

ポールとチャニ(ゼンデイヤ)の恋心、アトレイデス家とハルコンネン家の覇権争い。
クライマックスの敵役フェイド=ラウサとの一騎打ちも迫力があった。

 

本作の魅力は、雄大な物語もさることながら、その映像美にもあった。
どこまでもゆるやかにうねりがつづく砂漠。そこからあらわれるサンドワーム。そのサンドワームに乗り進撃するポールたち。
オーソドックスな展開ながら、わくわくするではないか。
こういった物語をきちんと見せるのが監督の力量というものだよ。

 

レア・セドゥが出ているなと嬉しく思ったのだが、あれ、これだけ? 
いくらなんでも彼女の無駄使いじゃね?
なに、アニヤ・テイラー=ジョイも出ていたって? どこにいた? 気がつかなかったぞ。

 

まだはっきりとは告知されていないようだが、これ、Part3、あるよねえ。
期待して待っているぞ。