あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「スミス都へ行く」 (1939年) 純粋青年議員の孤軍奮闘劇

1939年 129分 アメリカ 
監督:フランク・キャプラ
出演:ジェームズ・スチュアート、 ジーン・アーサー

社会派ドラマ。 ★★★

 

あの名匠と言われているフランク・キャプラ監督作。
恥ずかしながら、彼の映画は初鑑賞。さあ、どんなだ?

 

スミス氏(ジェームズ・スチュアート)は急死した上院議員の後任として担ぎ出された、政治に関してはいわばずぶの素人。
知らなかったのだが、アメリカでは上院議員が急死したときは、その州の州知事が独断で後任を指名できるらしい。
で、汚職まみれの州知事が、自分の言いなりに操れるだろうとまったくの素人のスミス氏を指名したわけだ。

 

スミス氏は元々はボーイスカウトのリーダーだった青年。
正義感あふれる彼は、どす黒い政界の裏事情には無頓着に、積極的に政治活動を始める。
さあ、みんなに喜んでもらえるような政策を実行していくぞ。

 

この映画のときはジェームズ・ステュアートは31才。若いな。
彼を助けてくれる秘書役にジーン・アーサー。
まったく知らない女優さんだったが、クレジットではジェームズ・スチュアートの前に名前が出ていた。
スチュアートよりも有名な女優さんだった?

 

スミス氏は少年たちのためにキャンプ場を作る議案書を作製して会議に提出する。
ところがその場所は、議会の黒幕たちが秘かにダム建設を計画していて、それにともなう土地取引で莫大な利益を得ようとしていた場所だったのだ。
こりゃまずい。あの若造の提案などぶっつぶしてしまわなければ・・・。
ここからがスミス氏と黒幕たちの議会でのせめぎ合いとなる。

 

ジーン・アーサー扮する秘書は、始めは田舎者のスミス氏を小馬鹿にしていたのだが、そのうちに彼のひたむきさにほだされていく。
いろいろと作戦を考えてくれたり、意見陳述の示唆をしてくれる。

 

さあ、スミス氏と腐敗議員たちの戦いはどうなる?
議会の様子と、悪議員たちが画策する妨害の様子を描いて、緊張感が続いていた。

 

印象的だったのは上院議長。
他の議員たちがスミス氏に対立的な態度を取るのに、議長だけは微かに微笑みながらスミス氏の肩を持ってくれるのだ。
スミス氏が会議で長演説をすることができたのも彼のおかげだ。
好い人なのだな。

 

腐敗した政界に立ち向かった新人議員の奮闘を描いて、見応えがあった。
そうか、これが名匠フランク・キャプラ監督の作品か。
これはぜひとも名作の誉れ高い「素晴らしき哉、人生!」も観なくては。

 

「ハリーとトント」 (1974年) 道連れは愛猫のトントだよ

1974年 116分 アメリカ 
監督:ポール・マザースキー
出演:アート・カーニー

老人のロード・ムービー。 ★★

 

72歳になるハリーはニューヨークの古いアパートに暮らしていた。
アパートの取り壊しが決まり、退去せざるをえなったハリー(独りで最後まで抵抗したりする)は愛猫のトントと一緒に長男の家へ。
しかしなんとなく居心地が悪く、ハリーはトントをつれてシカゴに暮らす娘を訪ねることにする。

 

飛行機に乗ろうとしたのだが、動物はケージに入れないと乗せられないと断られるハリー。
そんな可哀想なことが出来るものか。よし、陸路で行こう!
という設定で始まる老人と猫のロード・ムービーである。

 

この映画は猫好きな人にはきっとたまらないものがあるのだろうと思う。
冒頭ではトントに紐を付けて一緒に街中を散歩していた。
あいにくと私は猫にも犬にもまったく興味がないので(汗)、その点では刺さるものは何もなかった。

 

さて。ハリーは年に似合わず好奇心旺盛。
見知らぬ人に対してもフレンドリーに接する。
それにダンディなのである。イケオジならぬイケジジイなのである。
そんなハリーだから、車で旅する間に様々な人々と出会う。

 

たとえば、家出娘のジェシー。
遠い地でのコミューンみたいなところに参加するのだという。大丈夫か?
でもハリーはそんなジェシーの意思も尊重して一緒に旅を続けたりする。

 

そして老カウボーイやネイティブアメリカンの酋長とも交流する。
ハリーは、体の不調なところを祈りと共に施されるマッサージをしてもらったり。

 

という具合に、大きな事件が起きるということもなく、短い交流が積み重なっていく。
それによってハリーの人柄や考え方などが自然に伝わる作りになっている。
感督の狙いもそこに在るのだろう。
しかし、言っては何なのだが、やや単調だったきらいはあった。
(車に乗せてくれた美女にハリーが、あなたは女優さんかい?と尋ねると、私は高級娼婦なのよ、最後に楽しんだのはいつ? と答えて、二人で丘の向こうへ消えて行く逸話があった。)

 

結局ハリーは折角尋ねた長女のところにも長居はせずに、次男の元へ。
ところがこの次男も駄目だめな生活を送っていたのだ。
ちょっと小津 安二郎の「東京物語」を思わせたりもするのだが、それほどの情感はなかった。
ハリーは基本的に淡々としているのである。

 

(以下、最後のネタバレ)

 

トントは旅の終わりに死んでいく。
11歳だったというから猫としては大往生なのだろう。
残されたハリーは独り夕暮れの浜辺にいる。するとトントに似た猫を見かけるのだ。
その猫を愛おしげに撫でる映像で映画は終わっていく。

 

アート・カーニーがアカデミー賞主演男優賞を受賞している。
ハリーは72歳という設定だったが、カーニーはこの時まだ56歳だった。演技力だね。

 

「サイレントナイト」 (2022年) この日に全員ぶっ殺す!

2022年 アメリカ 104分 
監督:ジョン・ウー
出演:ジョエル・キナマン

リベンジ・アクションもの。 ★★

 

息子をギャングの流れ弾で亡くした男ブライアン(ジョエル・キナマン)の復讐劇。
本人も喉を銃で撃たれて声が出なくなってしまった。そこでほとんど全編で台詞なしの映画となっている。
タイトルも、悲劇の起こった日がクリスマスイブだったことも引っ掛けて「サイレントナイト」としている。上手い。

 

ブライアンは息子の復讐を誓うわけだが、彼はあくまでも一般人。
リベンジものにありがちな、実は主人公は元特殊部隊員だったとかいう設定はなし。
だから、ギャングがナメてた親父が途端にぶち切れて大暴れするという展開にはならない。

 

大怪我をさせられたブライアンがリハビリをして、それから毎日トレーニングを始める日々から始まる。
目標は1年後の息子の命日、サイレントナイトでの完全復讐。
壁一面にギャング団のメンバー写真を貼り付け、闘志をみなぎらせる。
カレンダーの12月24日には「全員ぶっ殺す!」と書きこんで、執念のトレーニングをしていく。

 

古いムスタングを購入して、運転技術も磨いていく。
ドリフト走行はもちろんのこと、アクセルターンの練習もしていく。
もちろん射撃訓練もおこない、始めはまったく当たらなかった銃弾もついには心臓部に集中するようになる。

 

この段階は結構ていねいに描かれる。
人によってはまだるっこしいと感じるかもしれないが、私としてはこういった用意周到な準備段階を観るのは好きである。

 

そして決行の日がやってくる。
拳銃を用意し、腰にはサバイバルナイフを素早く斬りつけられるように逆さまに取りつけ、上着にはショットガンをぶら下げ、信管を付けた爆薬まで用意する。
いいねえ、こういう準備状態にはわくわくさせられるよ。

 

激しいカー・アクションがあり(訓練したものねえ)、アジトに乗りこんでからの銃撃戦がくり広げられる。
ジョン・ウィックの制作陣が関わったということで、すさまじい銃撃戦である。
主人公も決して無双親父ではないので防弾チョッキを着ていても次第に傷ついていく。

 

ジョン・ウー監督なので出るかなと思っていた二丁拳銃はクライマックスで登場。
しかし使ったのは主人公ではなく、助っ人にあらわれた刑事と、敵役だった。あれ?
それにお約束の白い鳩は本作では飛ばなかったなあ。

 

小難しい物語はなし。
クライマックスは単純明快なカーチェイスと銃撃戦の怒涛の展開だった。
ジョン・ウー+ジョン・ウィック制作陣という顔ぶれに期待するものは、充分に満たされる映画でした。

 

「湖の女たち」 (2024年) 湖に飛び込んで死んで見せろ

2024年 141分 日本 
監督:大森立嗣
出演:福士蒼汰、 松本まりか

捻れた男女の愛憎劇。 ★★★

 

湖畔に建つ介護施設で、100歳の老人が何者かに殺害された。
若手刑事・濱中(福士蒼太)とベテラン刑事・伊佐美(浅野忠信)は、施設関係者の中の容疑者に執拗に取り調べを行なっていく。
こんな老人を殺すなんてどんな理由があったのだ?
原作は好きな作家の一人の吉田修一の同名小説。

 

全体に沈んだ調子の画面が、物語全体に漂っている人の心の曖昧な感じとよく合っていた。単純には説明できない男と女の心の深みを感じさせる。
この感じは、ああ、そうだ、同じ原作者、監督コンビの「さよなら渓谷」に共通しているものだった。
あの映画も普通ではない男女の感情交差が描かれていた。

 

濱中は施設の介護士である佳代(松本まりか)に対してある感情を抱き始める。
湖で朝釣りをしていた濱中は、事件の朝に近くに停まっていた車の中にいた佳代を見かけていたのだ。
二人は次第に歪んだ性欲の関係に陥っていく。
このなんとも説明しがたい男女の因縁のようなものが、どろどろと淀んでいく。

 

ということで絵柄や雰囲気には大変に惹かれるものがあった。

 

ただ、物語にはいろいろな出来事が詰め込まれていて、やや混乱していた。

実際に滋賀県で起こった老人ホームでの殺人事件や、社会問題にもなった血液製剤の薬害事件なども題材に取り入れている。
そこからつながるものとして、太平洋戦争時の731部隊の人体実験も大きな要素となって入ってくる。
いささか焦点がまとまり切っていない感じがした。

 

佳代役の松本まりかは多分初めて見たと思うのだが、この役には好く合っていた。

線が細い、か弱そうな感じなのだが、男に対して挑戦的になってみたかと思うと、すがるような視線を投げかけてくる。ある種の”魔性の女”である。

 

湖に浮かぶ小舟の上で、手足を縛りあげた佳代に、濱中は水に飛び込めと強要する。どうしてそんなことを言うの・・・?

そして命じられるままに湖に飛び込む佳代。すぐにあとを追って飛び込む濱中。どういう関係なんだ、この二人は・・・。

 

これはミスキャストだろうと思ったのは、週刊誌記者役の福地桃子。
まったくリアル感がなく、物語から浮いてしまっていた。
週刊誌記者は後半の主要登場人物だったのに、なんとも残念だった(ファンの方、ごめんなさい)。

 

ゆがんだ支配欲にかられた男と、これもまた歪んだ支配されることに喜びを覚える女。
この男女関係が映画の軸なのだが、そこに先に書いた実際の事件を絡ませてしまった。
その兼ね合いがうまくいっていなかった。残念。

 

 



「地獄のデビル・トラック」 (1986年) おい、機械のくせに人間様の言うことが聞けないのかっ!

1986年 アメリカ 98分 
監督:スティーブン・キング
出演:エミリオ・エステヴェス

SFカルト映画。 ★★

 

SF仕立てのトンデモ映画である。
なんの前触れもなくいろいろな機械、たとえば自動販売機や給油機、それにあらゆる車が、勝手に暴走しはじめる。
そして機械に襲われた人はあっけなく死んでいく。
おいおい、どうなっているんだ?

 

実はこの怪奇現象は地球が彗星の尾におおわれたことによって始まっていた。
そして地球への移住を考えたエイリアンが、先住民(要するに、人間ね)を駆逐しようとして機械類を暴走させたのだ。
という(無茶苦茶な)ことなので、この映画は徹頭徹尾B級映画である。

 

この映画はあのスティーブン・キングの原作なのだが、なんと監督も彼自身がしてしまったのだ。
キングは、あの名作の誉れ高い「シャイニング」の映画の出来には満足していなかったとか。
彼にしたら、ちょっと高尚になりすぎているんじゃね?と思ったのか・・・?
自分の小説はこんな風に映画化するんだぜ(と、言ったかどうか・・・)。

 

アメリカの町はずれのドライヴ・インでも、機械類が暴走をはじめていた。
20台もの大型輸送トラックが無人のままでいっせいに動き始める。
居合わせた人々は容赦なく轢き殺されてゆく。

 

アホな人がいて、給油をしようとしたホースからガソリンが出てこない、そこでホースをのぞき込む。
案の定、ガソリンが勢いよく吹き出してアホな人の眼は見えなくなってしまう。

 

ドライブ・インに閉じこめられた人々は出るにでられず、どうしよう?
この映画では、大空港シリーズとかでよく見られた偶然に居合わせることになった人たちの人間ドラマなんか描かないよ。
そんな高尚なドラマは振り捨てたところでこの映画は成り立っているんだぜい。

 

え~と、観ている人は誰でも思うことなのだが、大型トラック群はどうしてドライブ・インに突っ込んでこないのだろうか?
そうすれば、あっけなく片が付いてしまうと思うのだが・・・。
それを言ってはいけないのかな?(苦笑)

 

ついにはマシンガンを装備した軍用車までやってきて、ドライブインめがけて銃弾を浴びせる。
どうすればいいんだ。
一歩でも外へ出ればマシンガンの標的になってしまう。
そうだ、汚水を流すトンネルが道路の向こうに通じているはずだ。そこをくぐって脱出しよう!

 

この奇怪現象は世界中で起こっているはずなのに、映画が取り上げているのはアメリカのごく狭い地域のことだけ。
というか、ひとつのドライブ・インでの様子だけ。
これ、めちゃくちゃ手抜きだよねえ。

 

ラストは単に字幕で彗星が去り、事態が収まったことを告げる。
こんなんで終わっていくんかい。
ツッコみだらけのトンデモ映画。それを覚悟して鑑賞しましょう。

 

「陪審員2番」 (2024年) 真実と正義は一致するのか?

2024年 114分 アメリカ 
監督:クリント・イーストウッド
出演:ニコラス・ホルト、 トニ・コレット

法廷サスペンス。 ★★★★

 

ついに監督業から引退すると宣言したクリント・イーストウッド。
本作は2年前の94歳時の作品。
とてもそんなご高齢の方の作品とは思えない鋭さがあった。
すごい感性だよなあ。まだまだ撮れたのではないかい?

 

ジャスティン(ニコラス・ホルト)は激しい雨の夜に車で何かをひいてしまう。
車を停めて確認したが周囲には何もなかった。
なあんだ、鹿にでもぶつかったのかな。

 

その後、ジャスティンは、恋人の殺害容疑をかけられた男の裁判での陪審員になってしまう。
あるバーで恋人と喧嘩になった容疑者は、怒って店を出て行った恋人を追いかけていったのだ。
そして実際に殺人がおこなわれたと推定される現場は、あれ、俺が鹿をはねたと思った場所じゃないか?
えっ、あそこの道路下に撲殺された遺体があったって? もしかすると・・・。

 

実はジャスティンはアルコール中毒となっていて、そこから抜け出すための禁酒に必死だったのだ。
そんな彼は事件の夜に、お酒を前にして例のバーにいたのだ。
俺は鹿をはねただけだよな。でも、・・・もしかすると・・・。

 

陪審員裁判は全員の評決が一致しないと有効ではないようなのだ。
陪審員の中には、もう、用事があるのよ、ちゃちゃっと評決してしまいましょ、というような(無責任な)おばさんもいる。
しかし、評決の結果で、もしかすれば無実の人に重い刑罰を与えてしまうかもしれないのだよ。

 

もしかすれば・・・。安易な評決を出すことに戸惑いを覚えるジャスティンは、異例の陪審員全員による現場検証を希望して、それが実行される。
ああ、この場所はやはり・・・。

 

ジャスティンは悩む。
被害者を死にいたらしめたのは自分なのだと真実を告白すれば、妻と生まれてくる子供を苦しめるこtになる。
家族を守ろうとすれば、無実の男が罪を背負わされる。
どうすればいいんだ、どちらを選んでも必ず誰かを傷つける。
逃げ場のない葛藤にジャスティンは悩む。

 

女性検事役のトニ・コレットがさすがの存在感だった。
ほんの脇役で、J・K・シモンズやキーファー・サザーランドの顔も見えた。

 

この映画は、基本的に善人である人物が(善人であるが故に)追い詰められていく物語だった。
ジャスティンが戦い続ける相手は、他でもない”自分の良心”だったわけだ。
さて判決はどうなったのか。

 

(以下、ネタバレ)

 

おそらくこれを観た人は皆、自分だったらどうする?と考えるはず。
ただ答えを出せる人はいるのだろうか。

 

最後、女性検事がジャスティンの家を訪ねてくる。
ドアを開けたジャスティンが女性判事と顔を見合わせる場面で映画は終わっていく。
二人ともに同じことを言いたいわけだが、もう言葉にすることはできなくなっていたのだ。
余韻の残るエンディングだった。

 

さすがイーストウッドだね。
この映画が彼の最後の監督作となった。

 

 

 

「ドラブル」 (1974年) あなたがスパイなんかしているから息子が誘拐されるのよ

1974年 106分 イギリス 
監督:ドン・シーゲル
出演:マイケル・ケイン

サスペンス・アクション。 ★★☆

 

主人公のタラント少佐(マイケル・ケイン)は、イギリス諜報機関の工作員。
そのタラントの息子が誘拐され、ドラブルと名乗る犯人は身代金としてダイヤモンドを要求してきた。

 

しかし、そのダイヤモンドは内部の者しか知らないものだった。
タラントは上司ハーパーに自作自演でないかと疑われてしまう。
くそ、こうなれば自分一人で事件を解決しなければ・・・。

 

マイケル・ケインといえば、「サイダーハウス・ルール」での慈悲深い医師のイメージ。
そんな上品なイギリス紳士然とした彼が、それこそジェームズ・ボンドのような役どころ。
しかし、それはそれで悪くなかった。

 

才人ドン・シーゲル監督だが、この映画についてはヒッチコック風味を感じた。
大監督に対するリスペクトがあったのかもしれないと思ったりもした。
そのせいかどうか、この映画に関しては彼独特の彼独特の野性味にはいささか欠ける気がした。

 

それでもちゃんとサスペンスもしている。

犯人たちがタラントを陥れようとして彼の部屋に侵入して犯人仲間の女性シールの全裸写真を撮ったり、逆にタラントが貸金庫に収められたダイヤモンドを取り返す場面などがある。
最後にはドラブルに扮したタラントが真犯人を誘き寄せる。

 

映画の原題は「黒い風車」と、誘拐された子供の居場所そのものだった。
いささか安直な感じもあって、実行犯の名前にした邦題は案外好かったのではないだろうか。

 

驚いたのはシールを演じた女優さん。
デルフィーヌ・セリッグという方なのだが、なんと、アラン・レネ監督の「去年マリエンバートで」(1961)のあの神秘的女性役だった!
こんなところでお見かけするとは。

 

ドン・シーゲルにしては凡庸ではあるのだが、退屈することはなく見終えた。