あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「57秒 復讐のタイムループ」 (2023年) 57秒だけ時間を戻せたら、どうする?

2023年 99分 アメリカ 
監督:ラスティ・カンデッフ
出演:ジョシュ・ハッチャーソン、 モーガン・フリーマン

タイムリープもの。 ★★☆

 

ジャーナリストのフォックス(ジョシュ・ハッチャーソン)の妹は鎮痛剤の副作用で亡くなった。
そこで彼は製薬会社などの取材を続けてきた。
妹の恨みを晴らすために、製薬会社の暗部を明らかにしてやるぞ。

 

ここで登場してくるのが発明実業家のバレル(モーガン・フリーマン)。
彼の健康維持発明品の講演会場で、フォックスは不思議な指輪を手に入れる。
それは57秒だけ時間を戻せる指輪だったのだ!

 

タイムループものなのだが、戻れるのが1分にも満たない57秒というところがこの映画のミソ。
57秒しか戻れないのでは大したことはできないのでは、と思ってしまいそうだが、おっとどっこいなのだよ。

 

考えつくのはそりゃお金儲け。
カジノのルーレットに出向いて、結果を知ってから57秒さかのぼって勝ち目に一点張りをすればいいだけ。
フォックスは周りのみんなが驚くような連勝をして(当たり前だ!)、大金を手にする。
しかし、そんなに勝ち続ければ、なにかあるぞと怪しまれるだろうに。
少しは節度をもてよ。浅はかな奴だな、フォックスは。

 

恋の駆け引きだって、失敗すれば57秒さかのぼって、彼女の気に入られる道筋を探る。
そりゃ上手くいくよな。

 

タイムループものは好きなので、この手の映画はよく観る。
代表的なのはビル・マレー主演の「恋はデジャブ」、それにアクションものではトム・クルーズの「オール・ニード・イズ・キル」だろうか。
映画全体の感触が似ているものとしてはニコラス・ケイジの「ネクスト」というのもあった。

 

さて。本題の憎き製薬会社への復讐劇は・・・。
バレルの協力も得て、フォックスは製薬会社に潜りこみ、鎮痛剤の危険性を知っていたのに販売した、という証拠を探る。
よき協力者役のモーガン・フリーマン。背筋もぴんと伸びていて格好いい。
でもさすがにお顔は老けてきていた。まあ、87歳というご高齢だしね。

 

金庫の暗証番号を聞き出すために、なんども同じ時間を繰り返したりする。
タイムループの定番ともいえるコントまがいの件もある。ここはなかなかに楽しい。

 

製薬会社の悪行をあばいて、めでたし、めでたし。
ところで、あの57秒戻れる指輪はどうなったんだっけ? 大金持ちになったんだっけ?

 

100分という小品ながらそつなくまとめていた。
この手のお話が好きな方にはお勧めできます。充分に楽しめる作品でした。

 

 

「エクスポーズ 暗闇の迷宮」 (2015年) これは神の啓示か、それとも?

2015年 102分 アメリカ 
監督:デクラン・デイル
出演:キアヌ・リーブス、 アナ・デ・アルマス

サスペンスもの。 ★★☆

 

喧噪の街ニューヨークを舞台に、二人の人物の物語が交互に描かれていく。
一人は相棒の刑事ジョーイが何者かに殺された刑事のスコット(キアヌ・リーブス)。
もう一人は中近東の戦線に出征している夫の帰りを待つイザベラ(アナ・デ・アルマス)。

 

ということで、またまたキアヌ・リーブスとアナ・デ・アルマスの共演もの。
2人は以前からこんなに共演していたんだね。

 

殺されたジョーイのカメラにはイザベラの写真があった。スコットは犯人の手がかりを得ようと、そのイザベラを捜す。
なぜ、ジョーイはイザベラの写真を撮っていた?
そのイザベラは、最近になって身の周りに不可解な人物を見るようになっていた。

 

始めのうちは、この映画はキアヌが主人公の刑事ものだと思いながら観ていた。
しかしそのうちに、主人公はアナ・デ・アルマスの方だということが判ってくる。
原題も「神の娘」である。

 

イザベラは、地下鉄のホームで宙に浮く人を見てしまう。えっ?!
さらに、時折り彼女を見つめる全身が白い人を見たりもする。その人は他の人には見えていないようなのだ。
この映画はオカルトものだったのか?

 

さらにさらに、イザベラは妊娠するのだ。夫は出征中なのに、だよ。
これは奇跡だわと喜ぶ彼女に、夫の家族は一斉に非難の眼を向ける。
そりゃキリストではあるまいし、処女懐胎など起こるはずはないと誰だって思うわけだ。
この映画、オカルトもの?

 

アナ・デ・アルマスはこの映画の時は27歳。
同じくキアヌ・リーブスと共演したあの「ノック・ノック」の1年後で、この映画にはキアヌに誘われて出ることになったとのこと。
映画の出来はともかくとして、アナ・デ・アルマスの可憐な美しさといったら、そりゃあもう。
彼女を観るだけで元は取れた気になる(喜)。

 

さて一方のジョーイ殺しの捜査を進めていくスコットだが、ジョーイには悪い噂ばかりがあった。
そしてジョーイが殺されたのはイザベラがいた地下鉄の駅だったのだ。これは・・・。

 

(以下、ネタバレ)

 

いろいろな謎は最後に結びついていく。
イザベルの前にあらわれた神とも死に神ともつかぬ人物の真相も明らかにされる。
しかし、このやり方ってちょっとずるいんではないかい。これを使えばどんな突飛な物語だって作れてしまうのだし・・・。

 

なあんだ、という気持ちで見終えた。
評価はアナ・デ・アルマスが可愛かったので☆おまけです。



「リベンジ・オブ・ウォー」 (2024年) マルタ島の地下道は迷路だよ

2024年 95分 アメリカ 
監督:アイザック・フロレンティーン
出演:フランク・グリロ、 ローナ・ミトラ

傭兵の復讐アクションもの。 ★★

 

映画冒頭で、アメリカの工作員だった傭兵のライター(フランク・グリロ)は、マルタを訪れているアメリカ大統領を狙撃する。
ビルの屋上からの大型狙撃銃での狙撃場面は、スナイパーものが好きな者にはたまらない絵柄である。
しかもライターはわざと急所を外して撃つのだ。
これは・・・?

 

そこから物語は半年前にさかのぼる。ライターがなぜアメリカ大統領を狙撃することになったかの物語となるわけだ。
ライターたちは、リビアの軍事指導者暗殺の任務指令を受けて敵拠点を急襲する。
ところが敵の完璧な待ち伏せに遭ってしまう。ライター以外の仲間はみんな死んでしまう。
こんなはずでは・・・。なぜ情報が敵にもれていたんだ?

 

悪役はライターの上司のハート大佐だった。
彼はライターたちの襲撃情報をリビア側に密告し、リビアの軍事指導者取り入っていたのだ。
彼はライターの仲間の身重の奥さんも情け容赦なく撃ち殺してしまうような奴。
しかし彼は大統領の側近中の側近。簡単には悪事を暴けないぞ。

 

ここで登場してくるのがライターの元カノのセリーナ(ローナ・ミトラ)。
なぜか彼女は裏組織を仕切っているような女親分。
(彼女の背景とか、ライターとどういういきさつがあったとか、そんなことは一切説明なし。とにかくそういうことになっている。汗)
彼女の組織の協力で冒頭の大統領狙撃となるわけだ。

 

フランク・グリロはそれほど大物俳優ではないが、この手の映画ではよく見る顔。
イケおじという感じでなかなかに渋い。
お相手のローナ・ミトラは姐さんという雰囲気の女優さん。
これまで知らなかったのだが、かなり好い! これからチェックしていこうかなと思わされたぞ。

 

さて。ここからの逃亡劇は見応えがあった。
わざと負傷させた大統領を偽の救急車に収容し拉致しようとする。
当然マルタ島中のパトカーが追跡してくる。狭い島中でのカーチェイス。
これは逃げ切れないぞ・・・。

 

とここでマルタ島の地下道が大きく意味を持ってくる。
マルタ島には無数に張り巡らされた地下道があるのだった。

車の床に開けた穴から、そのちょうどしたにあるマンホールへと逃げ込む(このやり方は何かの映画にもあったよな。)

地下道に入ってしまえば、もう追っては来られないだろう。
なるほどね。

 

拉致した大統領にかくかくしかじか。

側近だった悪役はアート大佐の罪も暴かれて、めでたしめでたし。
まあ、B級アクション映画と言っていいのだろう。
しかしあまり期待していなかったせいもあって、充分に楽しむことは出来た。

 

「クリーナー 復讐の女神」 (2024年) 狂気の復讐殺人鬼

2024年 103分 トルコ 
監督:ジャン・エヴェノル

バイオレンス・アクションもの。 ★★

 

先日観たトルコ映画「卵」はタルコフスキー監督を思わせるような詩情溢れるものだった。
しかしトルコ映画にも、あたりまえのことだけれど、いろいろあるのだなあ。
本作は詩情の欠片もないバイオレンス・アクションもの。
すごいよ。

 

サヤラはスポーツジムで働く清掃員(つまりクリーナー)。
無口で人付き合いは悪そうなのだが、幼い頃から父に仕込まれた軍隊格闘術サンボの達人だった。
そのサヤラの姉ヨンジャが、浮気男とその仲間に暴行を受けて殺された。

 

浮気男は政府高官の息子だったようで、父親の権力をかさにきて姉の死も自殺ということにされてしまった。
くそっ、あいつら、絶対に許さないっ。姉さんの仇を取るわよ。

 

ここからは、もうぶっ飛んだとしか言いようのないバイオレンスの嵐。
浮気男とその仲間だけにターゲットを絞ると思いきや、その邪魔になる奴は容赦なく殺していく。
姉の死には無関係な浮気男の奥さんやお手伝いさんまで躊躇なく殺していく。
浮気男たちが逃げ込んでいる豪邸に向かったサヤラは、門番まで血祭りに上げていく。
おいおい、いくら何でもやり過ぎだろ。

 

サヤラが駆使するサンボについてはよく知らなかったのだが、関節技が主体のようだ。
ソ連の軍隊格闘術として発展してきたとのこと。
道理で実戦的なわけだ。確かに技が決まれば手や足は折れてしまう。痛そう。
しかし寝技も多く、(跳び蹴りだとか、回し蹴りなどに比べると)絵柄的には地味な感じであった。

 

クライマックスは、姉に暴行をして殺した5人への一部屋内での復讐場面。
彼らを拘束したサヤラは、”1対1で勝負しろ、誰か1人でも私に勝ったら許してやる、と言い始める。
うむ、見せ場を作るために制作者も考えたな。

 

しかしここからのバイオレンスぶりは半端ではない。
脳みそが当たりに飛び散るほどに踏み潰すわ、動脈血がぶわーっと吹き出るほどに首筋を噛みちぎるわ・・・。
指でぐりぐりと眼球を破壊するに至っては、もうホラー映画かと思うほどのすさまじさ。
(この手の映像が苦手な方は要注意ですよ)

 

ちなみに、ポスターにあるような掃除道具で闘うという展開はなし。ポスターに偽りあり!

で最後は、あ~あ、こんなことになっていったのか・・・。

 

どこまで行くのだと思わず観てしまった。吹っ切れているよ。
驚いたことに、この物語は実話に基づいているとのこと。
本当にこんな復讐殺人鬼がいたのか? それもうら若き女性で・・・。ひえぇ~。

 

「ヒットマンズ・ボディガード」 (2017年) 悪人を殺す奴と、悪人を守る奴と、どちらが善人だ?

2017年 118分 アメリカ 
監督:パトリック・ヒューズ
出演:ライアン・レイノルズ、 サミュエル・L・ジャクソン、 サルマ・ハエック

コメディー・タッチなアクション逃亡劇。 ★★★

 

ブライス(ライアン・レイノルズ)は腕利きのボディガードだったのだが、ある失敗をきっかけに第一線を退いた。
平凡な日を送っていた彼は、かつての恋人であるアメリアから助けを求められる。
インターポールの捜査官である彼女は、殺し屋キンケイド(サミュエル・L・ジャクソン)の護送をしていたのだが武装襲撃をされたのである。

 

インターポールには内通者がいるわ、外部者のあなたが頼りなの。助けてちょうだい。
実はキンケイドは、国際司法裁判所で裁かれる独裁者を有罪に出来るただ1人の証人だったのだ。
キンケイドを亡きものにしようとする大悪の組織が容赦なく襲ってくるのだ。
なんとしてでもキンケイドを、ロンドンからアムステルダムまで護送しなければならない。

 

というわけで、凄腕殺し屋とそのボディガードの、襲撃から逃げながらの旅が始まる。
ライアン・レイノルズは、なんといっても「デッド・プール」で一皮剥けたように思っている。
この作品でもそのノリで痛快に見せてくれる。
相手役もひと癖もふた癖もあるサミュエル・L・ジャクソンだから、これはノリノリになるわけだ。

 

基本的には善人でお人好しのプライスと、口が悪く意地悪な(でも、本質的なところでは人間味がある)キンケイドの、丁々発止のやりとりが楽しめる。
二人とも腕は立つのだから、次々と襲ってくる敵を、憎まれ口をたたき合いながらやっつけていく。

 

ところどころで顔を出すのがキンケイドの奥さん(サルマ・ハエック)。
彼女がまた女だてらにキンケイド以上に肝の据わった大物。
そしてキンケイドはこの奥さんにぞっこんなのだ。彼が証言台に立つことにしたのも、拘留中の彼女を釈放するとの交換条件でだったのだ。

 

面白かったのは、ふとした拍子にキンケイドが洩らしたこと。
それはプライスが失職した原因となった暗殺阻止失敗事件の真相。
ああ、あれは俺が撃ったんだよ。
なにぃ,お前があの暗殺事件の犯人だったのか、くそ、お前のせいで俺は・・・。
まあまあ、もういいじゃないか・・・。

 

アクションも、銃撃戦はあるわ、カー・チェイスはあるわで、まったく飽きさせない。
しかも、決められた時間までにキンケイドは司法裁判所にたどり着かなくてはならないというタイムリミットもあるのだ。
敵もしつこいぞ、果たして間に合うのか。

 

4年後に作られた続編が「ヒットマンズ・ワイフズ・ボディガード」。
この続編でも主役二人の掛け合いは面白かったのだが、それに輪を掛けてぶっ飛んでいたのがワイフ役のサルマ・ハエックだった。
二人を喰ってしまうような大暴れぶりを見せてくれた。好い続編でした。

 

「卵」 (2007年) 静かな抒情詩

2007年 トルコ 97分 
監督:セミフ・カプランオール

「詩人ユスフ3部作」の第1作。 ★★★☆

 

冒頭に、広い畑の中の道をゆっくりと歩いてくる老婆をカメラはとらえる。
老婆はカメラの前を横切り、ゆっくりと遠ざかっていく。この老婆がユスフの母親だったようだ。
少し靄がかかったような、この冒頭のゆっくりとした場面からとても美しい。この映像にまずやられた。

 

映画は全編を通してとても静か。
そう、映画全体の空気感は、アンドレイ・タルコフスキー監督やテオ・アンゲロプロス監督の作品に通じているものがある。
彼らの影響を受けた監督なのだろうか。あれらが好きな人だったら、絶対に気に入る監督である。

 

イスタンブールで古本屋を営んでいたユスフは母の訃報を受け取り、久しぶりに故郷の町へと帰郷する。
古びた実家ではアイラという美しい従姉妹が待っていた。彼女が母の面倒を見てくれていたのだ。

 

ユスフと母親の間にはなにかしらの確執があったようで(このあたりについては第2作の「ミルク」で描かれているようだ)、故郷にもあまりよい感情は抱いていないようだ。
ユスフは儀礼的に葬儀を済ませると、早々にイスタンブールへ戻ろうとする。
しかし、母親が願かけに羊を生贄にしようとしていたのをアイラに教えられ、完遂するまで滞在することになる。

 

ほとんど説明なしに、深層風景のような場面があらわれる。
たとえば、ユスフは突然倒れたり(持病があるのか?)、井戸にはまった男が助けを求める夢を見たりする。
繊細な感性が細やかにつづられていく

 

ユスフは母親が冷蔵庫のドアに留めていた新聞記事の切り抜きを見つける。
それはユスフが出した処女詩集が文学賞を取った記事だった。
母は息子を誇らしく思っていたのだろう。
親と子どもが互いに抱く感情のすれ違いが切ない。

 

静かな映画である。音楽はなにも流れない。物音もかすかに聞こえるものばかり。
会話も少なく、画面は静謐が支配している。
映画の中でゆっくりと時が流れ、観ている者の時間もゆっくりと流れる。そんな映画である。

 

終盤近く、イスタンブールに戻ろうとしていたユスフが野原で夕陽を眺めていると野犬に襲われる。
ユスフはそのまま犬と一緒に野原で夜をすごす。
そのときに、たったひとりでユスフは泣くのだ。

 

タイトルの「卵」なのだが、ユスフが手にした卵が落ちて割れる場面がある。
卵は親に暖められている存在。そして親から離れるときにその卵の殻を割るわけだ。
ユスフは母の死によって卵の殻がなくなったことを知ったと言うことなのだろうか。

 

最後、飼っている鶏が産んだ卵をアイラが持って来てユスフに渡す。
なにを意味しているのかはよくわからないのだが、何故か心が落ちつく場面だった。

 

この三部作は、主人公ユスフの人生を追っているのだが、彼の成長を逆にたどる構成となっている。
この「卵」では大人になっているユスフだが、第2作の「ミルク」では青年期、第3作の「蜜蜂」では少年期が描かれているとのこと。

第3作「蜂蜜」はベルリン映画祭で金熊賞を受賞しているとのことです。

 

「秋のソナタ」 (1978年) “女たちの世界は私の世界だ” by ベルイマン

1978年 92分 スウェーデン 
監督:イングマール・ベルイマン
出演:イングリッド・バーグマン、 リブ・ウルマン

母娘の確執ドラマ。 ★★★★

 

よく世の中で一番きついのは家族の問題だという。
家族なので言いたいことを言って深く傷付き、逆に家族故に言いたいことも言えずにいつまでも残る。
さらに、どんなに傷ついても家族という関係を消すことは出来ない。その抱えた問題はいつまでも残る。

 

この映画でベルイマン監督は、奔放に生きた芸術肌の母と、そんな母に不満を抱えつづけてきた娘の葛藤を描いている。
烈しくも、なんだか気持ちが暗いところへ落ち込んでしまうような、そんな映画である。

 

牧師の夫と暮らすエバ(リブ・ウルマン)は、ある日、著名なピアニストである母シャルロッテ(イングリッド・バーグマン)を自宅に招待する。
母娘は7年ぶりの再会だった。
始めはぎごちないながらも互いを思いやる言葉を交わしていたのだが、そのうちに・・・。

 

エバには脳性麻痺の妹ヘレナがいたのだが、母親であるシャルロッテはそんな妹を施設に入れてしまい、何もかまおうとしなかったのだ。
エバは自宅に引き取っているヘレナを母に会わせる。
ヘレナを邪魔者扱いしていた母は、ヘレナの前では一転して娘を慈しむようなふりをする。
その冷酷な母の本音に薄寒いものを感じてしまう。

 

娘たちが幼い頃から、母は二人のことをピアニストとしての自分の生活の邪魔になる存在だと思っていたようなのだ。
それでも娘たちは母を慕っていた日々があったのだ。
成長した今、母と娘が傷つけ合う。お互いを責め、自分をも責める。

 

ヘレナは自由にならない身体でベッドから転げ落ち、這って母親の愛情を求めにいく。
一方で、エヴァにさんざんなじられて逃げ出すように帰っていく母は、あんな娘(ヘレナのこと)は死んでしまえばいいのに、と漏らすのだ、
この母娘の感情の落差はどうだ。虚しさを超えた悲しみを感じる。

 

バーグマン自身も、ハリウッドでの成功後に妻子あるイタリアの映画監督と恋に落ちている。
そして自分の夫と子供を捨ててイタリアに渡ってしまっている。
まるでこの映画の母と同じように、自分の愛のために家族を捨てる生き方を選んでいた。

 

母親たるもの(父親でも同じことだが)、家族のためには自分の夢を諦めなければならないのか?

自分を優先させることは他人から非難されることなのか?

家族の立場から考えれば、自分たちのために母親(あるいは父親)の夢を諦めさせてしまって、それは許されることなのか? それは家族として当然の権利なのか?

 

難しい。普遍的な正解など求むべくもない問題である。あなたならどう考える?

 

基本的に二人の女優の会話劇であるが、その二人の激しい感情の発露には圧倒されてしまう。
この映画の時、イングリッド・バーグマンは63歳。最後の映画出演作だった。
そして対するリブ・ウルマンが負けじとすごい迫力だった。

 

さすがにベルイマン監督。並の映画は撮らないな。