1961年 フランス 94分
監督:アラン・レネ
形而上的な映画。 ★★★★☆
豪華な装飾の城館のようなホテルで、男Xは女Aに、去年マリエンバートでお会いしましたね、と話しかける。
女Aは、そんなことはなかった、と否定するのだが、男Xは執拗に去年の思い出を語る。
しだいに女Aの記憶が甦ってくる・・・。
脚本は、ヌーヴォー・ロマンの旗頭といわれたアラン・ロブ=グリエ。
伝統的な小説なんて振り払っているのだから、一筋縄ではいかない代物。
彼によれば、黒澤明の「羅生門」に触発されているとのこと。
ひとつのできごとが、発話者の記憶によって全く異なるものとして存在しているわけで、物語も非常に錯綜している。
記憶されていない過去にはどんな意味があるのだろうか、また、嘘の記憶を植え付けられたらその過去はその人にとっては本物になるのだろうか。
そんなことまで考えてしまうのだが、そこまでいくと、それはもうフィリップ・K・ディックの世界になってしまう。
観念的な主題は、美しい非現実的な映像であらわされている。
物語の舞台となる城館の庭は幾何学的なフランス庭園で、この庭園の情景はこの作品の象徴的な映像だろう。
規則正しく並ぶ円錐形の樹木の影がくっきりと映しだされるのだが、その影は妙に放射線状にのびている。
解説をみると、樹木の影は人工的に付けられたもの(地面に影を描いたらしい)とのことだった。
すごい美意識である。感嘆!
装飾過多の衣服を着た人々が(衣装デザインはココ・シャネル)静かに移動していたり、動作を止めていたりする。
これは絵画でいえばポール・デルヴォーの奇妙な世界を思わせるような、計算され尽くした様式美であった。
どこまで行っても物語は錯綜している。
男Xが女Aに話しかけている現在、Xの記憶のなかにある去年、Aの記憶のなかにある去年、それにAの夫Mの現在だか過去だかわかりにくい行動、それらがモザイクのようにつなぎ合わされて提示される。
Aの衣服は時間軸によって変化しているので、わずかに判別の手がかりにはなっている。
しかし、物語を解明するのが目的であるような映画ではない。
理屈による意味など、はじめから放棄したところで作られているのだろう。
記憶は、夢か現実か判然としないところにあるのだから。
今回、十数年ぶり(それ以上?)に映画館で観ることができた。良かった。