1998年 スペイン 101分
監督:ペドロ・アルモドバル
出演:セシリア・ロス、 マリサ・パレデス、 ペネロペ・クルス、アントニオ・サン・ファン
★★★★☆
女性が生きていく姿というのは、男性には感覚的に判らない部分がある。
生きていくのにこれさえあれば大丈夫、といった心の支えのようなものが、男性の場合とはどこか違う。
そんな女性の姿をすごいなあ、と、賞賛しながら観た。
一人息子エステバンと暮らしていたマヌエラ(セシリア・ロス)は、息子に父親のことを話そうとしていた矢先に、その息子を事故で失なう。
マヌエラはかつて青春時代を過ごしたバルセロナへ旅立ち、そこでさまざまな人と出会い、新たな生き方を始めていく。
と書くと、真面目な人生ドラマか、と思われてしまいそうだが、そんな内容ではない。
マヌエラの前にあらわれるのは、一筋縄ではいかないような、言ってみればアングラ的な人たちばかりなのである。
再会した旧友のアグラード(アントニオ・サン・ファン)は性転換手術をしたゲイであるし、マヌエラが付け人になる大女優のウマ・ロッホ(マリサ・パレデス)は女性しか愛せないでいる。
そのウマの恋人は麻薬中毒者であり、ゲイを救済しようとしていた修道女ロサ(ペネロペ・クルス)はバイ・セクシャル者の子を身ごもっている。
一般常識からすると性的に変わったとしか言いようのない登場人物ばかりなのだが、皆、自分を生きることに必死である。
彼らは倒錯した性を恥じている部分はなくて、逆に自分の生き方の核にしているとも言えるほど。
アルモドバル監督自身がゲイだとのことなので、そのあたりも関係しているのだろう。
映画のストーリーは大きくうねる。破綻をきたす一歩手前までいくほどだ。
予定調和的なものを意図的にはずしているかのようだ。だから洗練された感じには乏しいのだが、それが逆に人生の波のようなものを感じさせてもいる。
物語の展開に理屈ではない力強さがある。
ペネロペが若々しい。同じ監督の「ボレベール<帰郷>」では強く生き抜いている母親を演じていたが、あの母親像もマヌエラとはまた違った意味でたくましかった。
あの映画でもペネロペが母親と再会する場面が重要なクライマックスになっていた。
うがって考えれば、ゲイは女にはなれても母親にはなれないわけで、アルモドバル監督には母親という属性に対する憧れがあるのかもしれない。
ヒロイン役のセシリア・ロスの落ち着いた強さもよかったのだが、この映画で特に印象的だったのは、”フェラチオの女王”のゲイ役を演じたアントニオ・サン・ファン。
彼女の破天荒な強さは笑いを誘いながら、観ていて気持ちの良いものだった。
映画の完成度、なんてものは無視した力強さのある作品です。
女性が観れば、また違う視点での印象になるのでしょう。