1994年 イギリス 115分
監督:ミルチョ・マンチェフスキー
3つの恋と死の物語。 ★★★☆
マケドニアの村とロンドンの街を舞台にした3つの物語が絡みあう。
画面はとてつもなく美しく、静か。
それでいて非情な人間の死が平然と描かれる。
その居直ったような激しさが、ぬるま湯ののような日常を送っている私には戦慄であった。
第一部「言葉」の舞台はマケドニアの山岳地帯。
時代は中世ではないかと思えてしまうような修道院で、沈黙を守る若い僧がいる。
夜空にかかる無数の星と巨大な月の景色が異様な美しさで、現実ではないような感じで迫ってくる。
そこへ、民族間の争いごとから追われた少女ザミラが逃げ込んでくる。
民族が異なれば言葉も異なる。そして非情な死。
マケドニアといえば、古くはアレクサンダー大王ゆかりの地。
しかしここは、その後、常に民族紛争の場ともなっている。
セルビア、ユーゴスラビア、ギリシャ、そしてアルバニアとコソボ。
島国の日本では思いを馳せることもできないような対立と闘争がくり広げられてきているのだろう。
第二部「顔」の舞台は、山岳地帯から遠く離れた大都会のロンドン。
女性編集者と、その愛人でカメラマンのアレックスの様子を描く。
しかし、この大都会でも突然の死は訪れる。顔は失われてしまうのだ。
第三部「写真」では、アレックスが故郷のマケドニアの村へ戻ってくる。
初恋の相手に会おうとするのだが、その彼女は敵対するアルバニア人だったのだ。
アレックスの従兄弟がアルバニア人の娘ザミラに殺されるのだが、それはアレックスの初恋の彼女の娘だったのだ。
こうして物語がつながっていく。
物語の時間軸としては、第二部のロンドンでのアレックス、次にアレックスが故郷へ戻る第三部、そしてそのマケドニアで起こる物語の第一部となるはず。
ところが、なぜか第二部の中で、第一部で起こる事件を写した写真が出てくる。
物語の時間が微妙に捻れている部分がある。
三つの話のいずれもに、それぞれ許されない恋と殺人による人の死が描かれている。
愛と死は、1枚の紙の表と裏のようにつながっているようだ。
映画の物語の舞台をマケドニアからロンドンへ、そしてもう一度マケドニアへと変化させる。
登場人物も交錯させる。
時間軸を入れ替えることによって、舞台や登場人物が円環しているように思えてくる効果が出ている。巧みである。
映像は美しく、説明を省略した心理描写は細やかです。
ヴェネチア映画祭で金獅子賞など10部門で受賞しています。