2016年 日本 124分
監督:西川美和
出演:本木雅弘、 竹原ピストル
ヒューマン・ドラマ。 ★★★☆
西川美和監督は、「ヘビイチゴ」「ゆれる」で瞠目した。
どちらの作品でも、描かれる人間像は、どこか単純には割り切れないものを抱えていた。
しかし、「ディア・ドクター」「夢売るふたり」は表面上の物語に凭りかかりすぎているようで、私的にはもうひとつだった。
この映画では、自分の中の理性と感情が食い違ってしまって、自分の気持ちに自信が持てない主人公の心理が、ていねいに描かれていた。
人気作家の衣笠幸夫(本木雅弘)には、まだ売れなかったころから連れ添ってきた妻(深津絵里)がいる。
しかし、幸夫が浮気密会をしている間に、妻は旅先バスの事故に遭い、親友とともに亡くなってしまった。
醒めた感情しか持てない幸夫は妻の死を悲しむことができずにいた。
う~ん、これはどういった心理状態だったのだろう?
夫婦仲が冷えきっていたとはいえ、妻との思い出はたくさんあっただろう。
その相手が死んでしまったとなれば、何らかの感情の波立ちは起こるのが普通だろうが・・・。
他人用の悲しみの素振りの奥の、自分の感情の無さに苛立つ幸夫を、本木雅弘が好演していた。
幸夫は同じバス事故でやはり妻を失った旧友の陽一(竹原ピストル)と再会する。
彼は幸夫とは正反対の人物像として描かれている。
すなわち、単純明快な思考、感情の持ち主の肉体労働者で(意図的に典型的な人物像としているようだ)、なによりも妻を深く愛していた。
この映画の登場人物は、やや誇張はされているものの、ああ、こういうことってあるよな、と思わせる。
それも、あまり人にはあからさまにはしたくないような心の動きである。
たとえば、世間体を気にしてマスコミ報道に応える幸夫は、こっそりと”自分の名前”と”可哀想”というキー・ワードでネット検索をしたりする。
妻を亡くした夫がこんな事をするのは、きっと恥ずかしいことであるだろう。
でもそんなことをしてしまう幸夫の心理状態も、この映画ではよく判るのである。
さて、幸夫は、家を留守がちにする陽一の子供たちの面倒をみることを申し出る。
その申し出は、幸夫のほんの気まぐれのような思いつきだったのかもしれない。
おそらくはこれまで他人と親身につき合ったことなどなかったであろう幸夫は、子供たちとの触れあいもぎごちないもので始まる。
しかし次第に陽一の子供たちとの触れあいが幸夫にとっても大切なものとなっていく。
この過程は微笑ましく、観ている者の気持ちも和ませてくれる。
タイトルの”永い言い訳”とは、誰に対する何の言い訳だったのだろうか。
旧友の子供たちの面倒をみることが”言い訳”になったのだろうか。
そのあたりはよく判らない。
亡くなった妻の遺品であるスマホには、幸夫宛のメールの下書きが残っていた。
そこには「もう愛していない。ひとかけらも。」とあった。
これは辛い。呆然ととするよなあ。
もう妻に問うこともできないし、話し合うこともできない。
ただ、こういう思いのままで妻はあの世へ旅立ってしまったのだという事だけが残っているわけだ。
しかし、もしかすればこのメールは「(あなたは)もう愛していない。(私を)ひとかけらも。」だったのかもしれない。
それでも、なあ。
最後、妻の遺品を整理している幸夫の目にうっすらと涙が出ている。
はっきりとした解釈ができる映画ではない。
あやふやな、自分でも捕らえきれない心の揺れを巧みに描いている。
西川美和監督、これからも観ていきます。