2017年 レバノン 113分
監督: ジアド・ドゥエイリ
ちいさな諍い、大きな溝。 ★★★★
レバノン映画は初めて観た。
中東の国レバノンは、イスラエル、シリアと国境を有しており、多くのパレスチナ難民がいる。
宗教問題や、人種問題、それから生じる様々な対立があるようで、物語の背景は容易には理解しにくい。
中でも、宗教や政治が複雑に絡まったパレスチナ情勢は難しい。
そんな国で、個人と個人の小さな諍いが、宗教や政治問題を背景にした法廷闘争へと発展していく。
日本人の私にはあいまいな知識としてしかない事柄ばかりで、抱えている問題の深刻さはとうてい理解できていないだろう。
それでもぐんぐんと引き込まれる映画だった。
舞台はレバノンの首都ベイルート。
パレスチナ難民でイスラム教徒のヤーセルは住宅の補修工事の現場監督をしている。
真面目で、基本的には他人の心情もくみ取れるような人物像。
すると、キリスト教徒のトニーのアパートの排水トラブルから水をかけられてしまう。
自動車修理工場をやっているトニーは、かなり短気で自分勝手な面が多分にある人物。
ここからトラブルが始まってしまう。
トニーの行為に暴言を吐いたヤーセルは、上司に説得されてトニーへ謝罪に行く。
しかし、トニーの侮蔑的なある一言でヤーセルは怒りの感情が抑えられなくなり、暴力をふるってしまう。
侮辱的な言葉を吐いたトニーも、暴力をふるったヤーセルも、どちらも引かない。
ついに2人の対立は法廷で争われることになる。
しかし2人とも自分の行為はそれぞれやむにやまれぬものだったのだ。
この争いに大きな影を落としているのが、歴史的な次の二つの事件。
1976年1月18日、レバノンのキリスト教徒の民兵組織が1500人のパレスチナ人とイスラム教徒を殺害した。
その2日後に今度は、レバノン国民運動と提携したパレスチナ人の民兵がダムール村で500人のキリスト教徒を殺害した。
トニーはそのダムール村の惨劇の生き残りの少年だったのだ。
自分の存在理由にも関わるような、絶対に引けない理由をそれぞれが抱えている。
そしてそれはどうしようもなく個人の上にのしかかっている。
こんなことをいろいろと書いたりしているが、その自分はまったく安全な位置にいて、ただ映画として楽しんでいる。
・・・こんなことを言っても仕方が無いことではあるのだが。
最後近く、裁判所から和解勧告のために呼び出される2人。
やはりどちらも納得はしない。
裁判所から出てきた二人なのだが、ヤーセルの車が故障してエンジンがかからなくなってしまっている。
いったんは立ち去ったトニーだったが、戻ってきて何も言わずにヤーセルの車を直してやる。
そして2人は別れていく。
同じ中東のアスガー・ファルハディ監督の作品にも雰囲気は似ていて、見応えのある映画だった。
原題は、内容をそのまま表している「この侮辱」。
しかし、邦題では”希望”? その兆しなど容易には見つからないぞ。
アカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされています。