あきりんの映画生活

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「そして父になる」 (2013年)

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2013年 日本 120分
監督:是枝裕和
出演:福山雅治、 尾野真千子、 リリー・フランキー、 真木洋子

新生児取り違え事件。 ★★★☆

 

是枝監督は家族とは何か?という問題点をいくつもの映画で問いかけてきている。
今作は新生児取り違えによって生じる親子の問題を描いている。
親子とはいったい何なのか? 親子の関係はどのようにして成り立つのか?

 

エリート社員である野々宮良多(福山雅治)と妻のみどり(尾野真千子)には6歳になる息子の慶多がいた。
しかし、慶多が生まれた病院からの連絡で、平和な家庭は乱れ始める。
慶多は赤ん坊の時に取り違えられた他人の子だというのだ。
えっ、今まで育ててきた息子が他人の子ども? そんな馬鹿な!

 

意図的でない新生児取り違えは、実際にかってはかなりあったのだろう。
自宅分娩から施設分娩になり、沢山の赤ちゃんが同じ場所で管理されるようになったことによるのだろう。
これによる悲劇はこれまでにもドラマになったりもしていた。

 

慶多が取り違えられた相手の家は、田舎の小さな電器店だった。
その夫婦、斎木雄大リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)は、決して裕福ではないが息子の琉晴をのびのびと育てていた。

 

戸惑いながらも両夫婦は顔合わせをする。
取り違えられてこれまで他人に育てられてきた子どもたちをどうすればよいのか。
病院側は、過去の取り違え事件では必ず血のつながりを優先していた、という。

 

育ての親か、血縁上の親か。どちらが本当の親なのか?
共に過ごした時間の長さは、親にとっても子供にとっても大きな意味を持っているだろう。
血のつながりはそれを凌ぐものになり得るのか。
この問題に直面すれば誰でもが考えてしまうだろうし、唯一の答えがあるものでもない。

 

野々宮良多と斎木雄大の父親像が、ややステロタイプに描かれすぎている感じはあった。
端的に言えばその違いは、子供を自分に寄りそわせようとする父親(良多)と、自分を子供に寄りそわせようとする父親(雄大)だ。

 

リリー・フランキーの父親像は「万引き家族」の父親と通じるものを感じた。
やることは一見無茶だが、根底には子供を慈しむ気持ちがしっかりとある。
そんな父親を補完するような勝ち気でびしっと意見を言う真木よう子の母親像も良かった。

 

一度は野々宮家に引き取られた琉晴が斎木家に逃げ戻ってしまう場面がある。
そして良多が慶多に接しようとすると、慶多が逃げ出してしまう。
雄大が良多に言う、俺は慶多君を引き取ってからだけでも今まで貴方が慶多君と一緒に過ごした以上の時間を一緒に過ごしましたよ。

 

う~ん、それぞれの家庭の問題だから一概には言えないことなのだろうが、やはり、子どもにとっての親は何なのかということなのだろうな。
子どもに寄り添える親であるか、どうか。そこが根本なのではないだろうか。

 

映画はこれからの2つの家族を暗示して終わっていく。
是枝作品はこうしていつも後に残るものを置いていくなあ。