2021年 97分 フランス
監督:マチュー・アマルリック
出演:ビッキー・クリープス
人間ドラマ。 ★★★
この映画についてはあまり多くを語ることはためらわれる。
物語の展開自体にこの映画の大きな狙いがあるので、それを未見の人に知らせてしまうわけにはいかないのだ。
実際にフランスでの劇場公開前に明かされていたのは「家出をした女性の物語、のようだ」ということだけだった。
ということで、監督(個性俳優でもあるマチュー・アマルリックである)の意図を侵害しない範囲内で書き始めてみる。
途中で「以下、ネタバレ」を入れるので、未見の人は絶対にそれ以後は読まないようにしてほしい。
いいですね、念を押しましたよ。
夫、二人の子どもと暮らしていたクラリス(ビッキー・クリーブス)は、ある夜明け前に小さな鞄に身のまわりの品を入れて家を出る。
書き置きを残そうかともするのだが、結局は何も残さずに家を出る。
映画は、クラリスのそれからの行動と、家に残された家族を交互に映していく。
クラリスは一人車を駆って行く先も決めないままに遠くへ行こうとしているようなのだ。
一方家では、朝になって起きだしてきた弟が、お母さんは?と尋ね、姉はジョギングに行ったのよと答え、父親は買いものに行ったんだろうと答える。
映画を観ている者は、はて、クラリスは何故家族を捨てて家出をしたのだろうと思いながら映画を観ることになる。
途中では、観ている者はあれ?と思う場面も出てくる。
残された夫と子供たちの会話や行動をクラリスは知ることができるようなのだ。そして独り言のように口をはさんだりするのだ。はて、これはどういうこと?
そして時間の流れはかなり前後する。
はて、これはいつの出来事なのだ? クラリスが家出をする前の状況? それにしてはつじつまが合わないところもあるぞ。
不可解な映像が挟み込まれるのだ。はて?
(以下、ネタバレ)
終盤近くになって物語の構造が明らかになる。
そうだったのだ、夫と子ども二人はすでに雪山での事故で亡くなっていたのだ。
残されたクラリスは一人彷徨い、もう今はいない家族の言動を彼女が妄想していたのだ。
だから彼女がいない場での家族の言動をクラリスは感じることができ、目の前にいない家族に話しかけたりもできたわけだ。
なるほど、喪失感にうちひしがれた精神がなんとかバランスをとろうとしていたのだな。
現実空間、妄想空間が入り混じり、さらに時間もシャッフルされていたために、物語の構造は複雑に見えていた。
主人公の演技が好くて、つい引き込まれてしまった。
こういった設定の作品はこれまでもあったわけだが、好く出来ていた。
この構造を知った上で、もう一度鑑賞する? そうすれば、異なった作品として観ることができる?