あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「ロビンとマリアン」 (1976年) 二大名優の顔合わせ

1976年 イギリス 107分 
監督:リチャード・レスター
出演:ショーン・コネリー、 オードリー・ヘップバーン、 ロバート・ショー

ロビン・フッド物語。 ★★☆

 

シャーウッドの森に立てこもって悪代官と戦ったロビン・フッド
誰でも少年少女時代に読んだ物語で、もともとは中世の叙事詩から生まれたらしい。
その物語をショーン・コネリー、 オードリー・ヘップバーンという顔合わせで描いている。

 

18年ぶりに十字軍遠征から故郷に戻ってきたロビン・フッドと親友のリトル・ジョン。
シャーウッドの森の仲間たちは昔ながらだったが、民衆はあいかわらずジョン王の悪政に苦しんでいた。
そのあたりの代官は、ロビン・フッドの宿敵のノッチンガム(R・ショウ)だった。

 

なに、ロビン・フッドが戻ってきたって。
あの野郎、俺様に逆らったらただじゃ済まないことを思い知らせてやるぞ。

 

そしてかつてのロビン・フッドの恋人マリアンは尼となって近くの修道院長になっていた。
私を置いて勝手に十字軍で言ってしまって、今さら帰ってきたって、何よ。
と言いながらもマリアンは今でもロビンを愛していたのである。
ロビンの奴め、幸せ者だな。

 

この映画の時、ショーン・コネリーは46歳。
そしてヘップバーンは47歳。彼女の前作は「暗くなるまで待って」で、ほぼ10年ぶりの映画出演だった。
さすがに2人に若々しさは望むべくもないのだが、齢を重ねた重々しさ、臈長けた上品な美しさがあった。

 

ロビンとその仲間は、マリアンと一緒に修道院からやって来た尼僧たちと、シャーウッドの森で暮らし始める。
美しい森林の木もれ陽、小川の澄んだ流れ、色とりどりに咲く花の群れ。
幸せそのものの暮らしだったのだが、悪代官の農民苛めは激しくなっていく。
彼らはロビンを頼って森へやってくる。一緒に悪代官と闘ってくれ。

 

そうか、代官たちが攻めてくるぞ。我々もそれに備えなければ。
ロビンやリトル・ジョンは人々に戦いの訓練をおこなう
そして代官率いる兵隊が森の入り口にまでやってくる。さあ、決戦の時は近いぞ。

 

ここからの展開が意外な方向に向かって行く。
なんと農民たちと兵たちの戦いを避けるために、ロビンは代官との一騎打ちを申し込むのだ。
代官も代官で、その申し出を受けて、皆の見守る中での決闘が始まるのだ。

 

ここからのアクション場面は、派手な映像になれてしまった今の目でみると何ともぬるい。
共に初老となっているロビンと代官なので、その一騎打ちは観ている者も疲れてしまうぞ(汗)。
なんとか代官を倒したロビンだったが、彼もまた深手を負ってしまう。

 

(以下、映画の最後に触れます)

 

自分も瀕死の重傷を負い痛みに苦しむロビン。修道院で必死に彼の介護をするマリアン。
すると、マリアンは、なんと毒入りのワインをロビンに飲ませて安楽死をさせようとするのだ。ええっ!
マリアンは自分も一気にその毒ワインを飲みほすのだ。ええっ!

 

ロビンは、この矢が落ちたところに我々を埋葬してくれとリトル・ジョンに頼んで、最後の力を振り絞って矢を放つ。
矢が大空のなかを飛んでいく画面で映画は終わっていく。
う~ん、こういう結末かあ。

 

王道といえば王道、冗長といえば冗長。そんな映画。
まあ、二人の名優の共演を楽しむ映画でした。

 

 

「KNOCK 終末の訪問者」 (2023年) 世界を救うために誰かひとりが死んでください

2023年 100分 アメリカ 
監督:M・ナイト・シャマラン
出演:デイブ・バウティスタ

不条理ドラマ。 ★★★

 

ナイト・シャラマン監督である。
ということでそれなりの心構えで(どんな心構えや?)で観る。世評は芳しくなかったようだが、私は面白く観た。

 

ゲイのカップルであるエリックとアンドリュー、そして養女のウェンは山小屋で休日を過ごしていた。
すると見知らぬ4人の男女が訪れ、エリックたち3人は訳がわからないままに彼らに拘束されてしまう。
手にそれぞれの武器を持った男女は、3人に「お前たちの中の誰かひとりが犠牲になる必要がある。誰を殺すかを選択しろ」と迫る。
ええっ、なんだそれ? そんな理不尽な選択なんてできるものか!

 

さらに、「誰かが犠牲にならなければこの世は終焉を迎える。犠牲が必要なのだ」といわれても、なんだ、それ、新興宗教か、それともカルトか?と思ってしまうわけだ。
しかし、TVニュースでは世界各地で起こっている災害を伝えてくるぞ。
これフェイクだろ? それとも本当?
という具合に、観ている者も疑問符だらけの展開となっていく。

 

実際、この映画の世評が悪かったのもシャラマン監督が何も説明しないところに大きな理由があるようだ。
この映画はヨハネの黙示録をモチーフにしているとのこと。そして最後の審判という終末感。
だから(私のように)キリスト教に疎い者には何がなにやらということになるわけだ。

 

4人の訪問者もヨハネの黙示録に出てくる四騎士をあらわしているとのこと。
この四騎士はそれぞれが地上の四分の一を支配していて、剣、飢饉、病、獣により地上の人間を殺す力を持っているのだとか。
冒頭に訪問者はノックを7回するのだが、これも世界の終焉の際に天使がラッパを7回鳴らすところからきているようだ。

 

そんな理屈づけを知らなければ、不条理感いっぱいの映画ということになるのだが、私はそういうのは嫌いではないので、訳などわからないままに楽しんだ。

 

エリックたち3人は当然だが誰が死ぬべきかなんて考えられない。
そりゃそうだ。でも、そうしているあいだにも世界の終焉はどんどん迫ってくるのだよ。
すると、驚くことに、4人の訪問者たちは1人ずつ自らの死を選択するのだ。

 

彼ら4人も特別な者ではなく、普通の人だったのに未来予知能力を授けられてこの任務に就いたのだ。
そしてエリックたちが犠牲者を決めることができなければ、犠牲者が決まるまでその代わりに自分たちが死んでいく運命なのだ。
なんだ、これ。不条理だな。神様ってそんなことを人類に求めてくるの?

 

これ、いったいどうなるのだ?と思いながら観ていたのだが、おお、そういう展開になるのか、という事態となって映画は終わっていく。
そして、エンドロールの最後にまた7回のノック音が響く。

えっ、これって・・・? 
世界の終末はいつまでも人類に突きつけられるのか?

 

納得出来るような説明は一切ないままに物語は終わっていった。
それを不満と思う人もいるだろうが、私はそういう設定での究極ドラマだと思って観た。
かなり楽しめた。

 

「ナイチンゲール」 (2018年) 復讐の果てに希望はあるのか

2018年 オーストラリア 136分 
監督:ジェニファー・ケント
出演:アシュリン・フランチオージ

復讐劇。 ★★★

 

映画祭では気分を害しての退席者が多数いたと言われる問題作。
レイプ場面と暴力場面が容赦ない描写だったために、非難する人も少なからずいたとのこと。
そんな噂を聞いていたので、気の小さい私としてはおそるおそる鑑賞。

 

舞台は19世紀のオーストラリア、タスマニア島
当時、この地域を支配していたのはイギリスで、先住民のアポリジアはもちろんのこと、アイルランド人も被支配者だった。
おまけに当時のオーストラリアは流刑地だったのだ。

 

些細な罪でここに流刑されているアイルランド人のクレア(アシュリン・フランチオージ)には、ともに暮らす夫と幼子もいた。
しかし彼女を気に入ったイギリス軍将校のホーキンスは、クレアを愛人として扱っていたのだ。
差別をされるアイルランド人で、しかも罪人であるクレア達には抗する術もなかったのだ。

 

やがて彼女の夫が刑期を終えても釈放されないことにたまりかねて、クレアはホーキンスに抗議する。
すると逆上したホーキンスは夫の目の前でクレアをレイプし、さらに彼女の目の前で夫と幼子を殺してしまう。
おお、なんという惨いことを! この胸くその悪い展開で鑑賞を断念した人がいたわけだ。
(念のために書いておくと、監督は女性ですよ。すごいね。)

 

クレアは復讐を誓う。必ず夫と我が子の仇を取るわ。
ホーキンスは昇進直訴のために険しい森を越えた遠い町へ二人の部下を連れて旅立つ。
そのことを知ったクレアの復讐の旅が始まる。
もちろん道もないような深い森を横切っての旅路なので、案内人がいなくては進めない。
クレアはなけなしのお金で先住民アボリジニの若者ビリーを道案内として雇うのだ。

 

ここでは人種差別が明確に描かれている。
クレアはイギリス人から差別される側だが、それでも白人である。
先住民のアポリジニはさらに差別されており、見かけられただけで白人に殺されかねない状況なのだ。
逆に言えば、アポリジニにとってはクレアもまた侵略者であるわけだ。

 

クレアとビリーは、はじめは互いを探り合うような関係を持つ。
道案内のため、お金のため。互いに利用するための関係で、どこかに敵対心がある。そんな関係。
しかし野宿をして野生の動植物を食料とした旅を続けていくうちに、二人の間に信頼関係も生まれてくる。
この共に悲惨な立場の二人の気持ちの交流が、復讐劇という物語りを支えていく。

 

映画タイトルの「ナイチンゲール」は歌の上手いクレアのあだ名。
鳴き声の美しいナイチンゲールは夜も鳴くのだが、それは襲ってくるヘビを恐れて夜の間中、棘に胸を押し付けて目を覚ましており、その痛みのために夜通し鳴くのだという中世の言い伝えもある。
なにか悲惨なイメージもともなっている鳥である。

 

旅の途中でホーキンス達は遭遇したアポリジニの男は殺し、女性はレイプする。
もう鬼畜としか言いようのない酷い奴らなのである。
そんな奴らが追ってくるクレアに気づく。
生意気な。なに、反対に彼女をまた慰み者にしてやるだけだ。

 

困難な復讐を誓ったクレアだったが、その勇ましい気持ちとは裏腹に無力感にも襲われる。
亡くなった夫と我が子の夢を見て生きる気力も失いそうになる。
そんなクレアをアポリジニのビリーが励ます。

 

やがて町に近づいたとき、ビリーはクレアに言う、その銃を私に突きつけてください、あなたが奴隷を連れていくふりをしないと私は白人に撃ち殺されてしまいます。
なんという社会なのだ、こういう時代を人間は歩んできたのだな。

 

物語としては、クレアの決意が最後に鈍るところは不満だった。
もう少し果敢に行ってしまって欲しかったとも思うのだが、それでも重い内容の見応えある作品だった。
ベネチア映画祭で審査員特別賞を獲っています。

 

「ウィンストン・チャーチル」 (2017年) 徹底抗戦だ、これがそのVサインだっ

2017年 125分 イギリス 
監督:ジョー・ライト
出演:ゲイリー・オールドマン、 クリスティン・スコット・トーマス、 リリー・ジェームズ

実録伝記もの。 ★★★☆

 

第二次世界大戦時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルゲイリー・オールドマン)を描いた実録もの。
副題は「ヒトラーから世界を救った男」。

 

映画は、ヒトラーの侵攻が始まりチェンバレンが首相を退任したところから始まる。
そしてチャーチルが首相に就任し、あのダンケルクの戦いまでの4週間に絞って描かれている。
へえ、たったこれだけの時期のことしか描かないのか、とはじめは思ったのだが、物語時間を限ることによってチャーチル人間性をくっきりと捉えることに成功していた。
まったく緩むことがなかった。

 

当時のヨーロッパ戦線の状況はすさまじいものだったのだ(思っていた以上だった)。
ナチスドイツにベルギーやポーランドは呆気なく占領され、フランスも陥落寸前。
イギリス本土にまで侵略の脅威が迫っていたのだ。
どうする、このままでは我が大英帝国も危ういぞ。本当にイギリス本土での防衛戦になるぞ。

 

そんな情勢の中でイギリス政府も大揺れに揺れる。
このままではイギリスは滅ぼされてしまう。今のうちにイギリスの主権保障の元にヒトラーと和平交渉をしようという意見も多くなってくる。
しかしチャーチルは頑として演説する、徹底抗戦あるのみ!

 

世界的な荒波のなかで偉業を成し遂げた人物というのは、やはり並の神経の持ち主ではないということを、あらためて感じた。
このチャーチルという人物、尊大そのものではないか。
おまけに怒りっぽいし、他の者を見下しているし、自分勝手。
まあ、周りを気にしていては信念は貫き通せなかったのかもしれないのだが。

 

チャーチルは弁舌の達人だったようだ。
諸君はバッキンガム宮殿に鍵十字の旗がひるがえってもいいのか?
たしかにこれはイギリス人にしてみたら耐えがたい光景だろうな。こういうイメージを想起させて奮い立たせるところが巧みだなあ。

 

要所要所でチャーチルは演説原稿や書簡を秘書(リリー・ジェームズ)にタイプさせる。
この機械的でリズミカルなタイプライターの音が好いアクセントになっていた。
リリー・ジェームズも可愛らしかったしね。

 

中盤で話題の焦点になるダンケルクの撤退戦は、クリストファー・ノーランの「ダンケルク」で描かれていた。
しかしあの撤退作戦の裏でカレー戦線の3000人を見捨てて時間稼ぎをしたことは知らなかった。
政治的決断の残酷さを浮かび上がらせていた。
一般的な倫理観からすれば疑問符だらけになるところだが、30万人の命を救うためには3000人の犠牲はやむを得ない、とすごい決断もしなければならないわけだ。
しかしそれにしても非情な決断だ。

 

チャーチルだって人の子である以上は悩むわけだ。私の徹底抗戦の考えは正しいのだろうか・・・?
ここで街に出たチャーチルが地下鉄のなかで一般市民とかわすやりとりは、おそらく史実ではないのだろうが、映画としては好い場面だった。

 

結果的に連合国がナチスドイツに勝利したから好かったものの、これでイギリス本土が焦土となっていたらチャーチルは責められたのだろうな。
そして、第二次大戦終了までつづいていたイギリスのインド支配・搾取は、ヒトラーにも通じる民族支配だったのではないか、という思いもある。

 

歴史ものはいくつもの要素が絡み合うので単純には楽しめない部分もある。
話題の「オッペンハイマー」はどうなのだろうか?
本作はアカデミー賞で主演男優賞およびメーキャップ賞を獲っています。

 

「サイバーネット」 (1995年) 30年前のコンピューターってFDを使っていたんだ

1995年 アメリカ 105分 
監督:イアン・ソフトリー
出演:ジョニー・リー・ミラー、 アンジェリーナ・ジョリー

高校生のハッカーたち。 ★★

 

アンジーの2本目の出演映画で、前作「サイボーグⅡ」の2年後。20歳の時の作品。
ポスターの2人はアンジェリーナ・ジョリーと、彼女の最初の結婚相手のジョニー・リー・ミラー
この映画で共演した翌年に結婚。しかし4年で離婚している。

 

物語は、高校生ハッカーが何気なく大企業のコンピューターから持ち出してしまったファイルをめぐる騒動。
そのファイルには企業の不正が記録されていて、悪人プログラマーが攻撃を仕掛けてくるというもの。
その友人のために、主人公である天才高校生ハッカーが電脳世界で大活躍をする、といった、まあ、いかにもという物語。

 

アンジーが出ていなければ、いまさら30年前のハッカーの映画なんて、まず観る気にはならないだろう。
彼女は主人公の同級生で、実は彼女も凄腕のハッカーだったという設定。
超短髪のボーイッシュな髪型のアンジーは、かなり攻撃的な雰囲気である。
あの挑戦的な眼差しと、誘惑するような厚い唇が否応なしにオーラを放っている。

 

30年も前の映画で、それもコンピューター題材なので、時代の変化は致し方ない。
主人公が、最新鋭機のコンピューターの処理速度に驚いたりするところとか、記録媒体に3.5インチのフロッピー・ディスク(FD)を使っているところとか、ね。
(ちなみに30年前というと、私が使っていたのはゲイトウェイのDOSマシーンで、ペンティアムⅡ(266MHz)、ハードディスク容量はたったの6.4GBだった)。

 

主人公とアンジーは顔を合わせていながらも、互いが電脳世界での凄腕ハッカーだということを知らなかった。
あるときにハンドルネームを知って、えっ、あなたがあの事件を起こしたハッカーだったの? そう言う君こそあのハンドルネームの奴だったのか!
これはなかなか愉快な場面だった。

 

当時、アメリカでは結構ヒットした映画だったらしい。
会話にはコンピューター用語を挟み込み、それらしい雰囲気を出そうとしている。
しかし映画としては、今わざわざ観るかと問われれば、否と言うほかはない。

 

ボーイッシュで豹のような野性味のあるアンジーを楽しみたい方だけの映画です(汗)。

 

「サイボーグⅡ」 (1993年) これがアンジーの初映画

1993年 アメリカ 99分 
監督:マイケル・シュローダー
出演:アンジェリーナ・ジョリー

サイボーグの逃避行。 ★★☆

 

これがアンジェリーナ・ジョリーの初出演映画(細かいことを言えば、父ジョン・ボイドの映画に幼い頃に子役で1回出ているらしいのだが)。
この映画のときアンジーは17歳。そして、なんと初々しい裸身も披露している(!)。

 

舞台は、高性能なサイボーグが兵士や売春婦にまでなっているという近未来。
サイボーグは喜怒哀楽の感情までも持っているという、もう見かけだけでは人間と見わけられないほどに進化したもの。
だから死に対する怖れもあるし、恋もするのだよ。

 

アンジー扮するするキャッシュ(アンジェリーナ・ジョリー)はそんなサイボーグの一体。
しかしそれは、自爆装置を取り付けられた暗殺用サイボーグなのだ。
しかもハニートラップ用で、標的との性交渉をおこなうことによって起爆装置が作動するのだ。
なんという設定! これ、B級映画丸出しの設定だなあ。

 

なんでもアンジーは自分がジョン・ヴォイドの娘であることを隠してオーディションを受けてこの役を獲得したとのこと。
この映画でアンジーは女優として認められるようになったとのこと。

 

さて。
キャッシュはやがて自律知能を獲得して、組織からの脱走を試みる。
協力してくれるのは、彼女に格闘技を鍛え込んだインストラクターのコルト。
さあ、こんなところからは一緒に逃げだそう!

 

17歳のアンジーは初々しいのだが、もうこのときからただ者ではない華のある美しさに満ちている。
目力、そして”たらこ唇”と言われるあの肉厚な唇のなんと魅力的なことか。
組織からの闘争に伴ってのマーシャルアーツ的な格闘や銃撃戦など、アクションもちゃんとこなしている。
これがのちの「トゥムレイダー」や「ウォンテッド」につながっていくのだろうな。

 

脱出に成功した二人だったが、キャッシュの体内に仕掛けられた起爆装置が作動してしまう。
イムリミットは9時間。はたして二人は追っ手から逃れ、起爆装置を解除することができるのか。

 

なんてもっともらしく書いたが、ストーリーはありふれたB級映画そのもの。
そして、そのとおりの映画。これといって傑出した部分はない。
ただ一点、初々しく華のあるアンジーが出ているということだけの映画だった。
もちろん、私はなんの文句も言いませんよ(笑)。

 

「コヴェナント」 (2023年) 俺が必ず助け出す、それが俺の誓いだ

2023年 123分 イギリス 
監督:ガイ・リッチー
出演:ジェイク・ギレンホール、 ダール・サリム

アフガニスタン戦争もの。 ★★★☆

 

2018年当時、アメリカはタリバン壊滅のためにアフガニスタンに武力介入をおこなっていた。
主人公のキンドリー(ジェイク・ギレンホール)はタリバンの武器や爆弾の隠し場所を探す部隊を率いる米軍曹長
彼はアフガン人のアーメッド(ダール・サリム)を通訳として雇っていた。

 

この映画はアフガニスタン問題、そしてその最中に起こった兵士と現地人通訳の絆を描いている。
それは死と隣り合わせの状況の中での物語であった。
ガイ・リッチー監督は正攻法でまったく緩むことなく、この重い物語を描いていた。

 

キンドリーの部隊は突き止めたタリバンの武器弾薬貯蔵地を急襲するのだが、タリバンの猛烈な反攻にあう。
この戦闘場面は凄まじい。リアルに、戦闘というのはこんなにも怖ろしいものなのだということが伝わってくる。
そしてキンドリーとアーメッドの二人だけが辛うじて生き延びる。

 

しかしキンドリーは意識も定かではないような重傷状態だった。
その彼を、アーメッドはなんと基地まで連れて帰ろうとするのだ。

 

もちろんタリバンは必死になって二人を探し出そうとしている。見つかれば即殺される状況である。
そのなかで生死の境目にあるキンドリーを、あるときは背負い、あるときは手に入れたボロ車で、そして粗末な荷車で運ぶのだ。
整備された道を行けばすぐに見つかってしまう。だから道もない山を必死に越える。

 

アーメッドのこの逃避行は凄まじく困難なものであり、辛さを伴うもの。
重たそうな荷車ででこぼこの荒れ地を進む。
どうしてここまでしてキンドリーを助けようとするのだろうと訝しくなるほど。
しかしその甲斐あってキンドリーはなんとか生還できて、傷病兵としてアメリカに帰国するのだ。

 

帰国したキンドリーは退役軍人として平和な生活に戻ったのだ。
しかし、アメリカ軍通訳をすれば米国移住の書類がもらえるはずだったアーメッドはそのままアフガニスタンに置き去りにされてしまったのだ。

これは辛いぞ。

 

アーメッドはタリバンに厳しく追われることになる。
友人や身内の手助けを受けながら身を隠し、逃げのびる日々を送っていたのだ。
通訳として米軍に協力したアフガン人は、タリバンにとっては同胞を裏切った敵である。
米軍兵士以上に憎まれており、実際に、米軍通訳をしたアフガン人は多数殺されている。

 

一方のキンドリーもアフガニスタンでの記憶が心の平安を蝕んでいた。
アーメッドがアフガニスタンに取り残されていることを知ったキンドリーは、アーメッドを探し、保護するために再びアフガニスタンへ向かう。
キンドリーはアーメッドに対して恩義と共にある種の後ろめたさのようなものを感じていたのではないだろうか。

 

映画の後半はキンドリーとアーメッドの再会、そして決死の脱出劇。
この部分も緊張感にあふれる見事なものだった。

 

この映画の副題は「約束の救出」。
映画の最後には”コヴェナント”の意味が映された。いわく、契約、誓い、約束。
その通りに熱い友情と信頼を、いささかのぶれもなく骨太に描いていた。
ガイ・リッチー監督が大きく飛躍した作品だと思えた。