1972年 アメリカ
監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:マーロン・ブランド、 アル・パチーノ
仁義なき戦いのマフィア版。 ★★★★
冒頭、コルレオーネ家の庭では明るく華やかな娘コニーの結婚式がおこなわれている。
その一方でブラインドをおろした薄暗い書斎では、マフィアの首領であるドン・ビトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)が友人の頼みごとを聞いていた。
明と暗、動と静。コルレオーネ家の二つの顔を象徴する幕開けだった。
マーロン・ブランドといえば、このゴッド・ファーザーが真っ先に思い浮かぶ。
それほどに含み綿をしたような頬としゃがれ声は印象的だった。
圧倒的な重々しい存在感である。ヤクザ映画でいうところの、並の者とは”貫目が違う”ところをまざまざと見せつけていた。
このゴッド・ファーザー役で2回目のアカデミー賞主演男優賞に選ばれたが、アメリカ映画界の人種差別に抗議して受賞を拒否したのは有名な話である。
コルレーネに助けを求めてきた俳優のために映画プロデューサーを脅す逸話が入る。
コルレーネの指示を受けて組織の幹部がプロデューサーに交渉に行くのだが、彼はマフィアの脅しなど怖くもないと嘯く。
さて、彼には何にも代えがたい愛馬がいたのだが、ある朝、彼が目覚めるとベッドが血で汚れている。
シーツをめくると、そこには切り落とされた愛馬の首が転がっていた・・・。
ショッキングなシーンで、目的のためには手段を選ばないシチリア・マフィアのやり方が端的に描かれていた。
音楽はニーノ・ロータ。主題曲の「ゴッド・ファーザー 愛のテーマ」は、言うまでない名曲だと思う。
それに個人的に好きなのは、結婚式で流れていた民族舞踏の曲。
明るく華やかな裏になにか寂しいものを孕んでいるようだった。
ある日、別マフィア組織の後ろ盾をもつソロッツォがドン・コルレオーネに麻薬販売の仕事を持ちかけてくる。
コルレオーネは政界や警察とのパイプをもっており、それを利用しようという腹づもりだったのだ。
しかし、コルレーネは麻薬だけはいかんとその話を丁重に断る。
さあ、ここからが仁義なき戦いである。
コルレオーネの長男・ソニーが麻薬取り扱いにまんざらでもないことを知ったソロッツォは、コルレオーネの暗殺を謀るのだ。
冬の夕暮れの街中での襲撃シーン。一命を取り留めるものの重傷を負ったコルレオーネ。
そして、今までコルレオーネが支配していたニューヨークのマフィア・ファミリーが一斉に動き始める。
仁義なき戦いのマフィア版と書いたが、大きく異なる点がある。
それはシチリア・マフィアの血を分けた者への家族愛である。何よりもその絆を重んじる。
そして、組織に属する者同士の連帯感である。それこそファミリーなのである。
登場人物は、家族やファミリーの子分たちと大変に多い。
しかし人間関係に迷うことはない。
コルレオーネに絶対的な服従を誓う子分たちも、彼らの人間性が描き分けられている。
これだけの登場人物をちゃんと描いているところは、さすがにコッポラ監督の手腕だなと思う。
倒れたドン・コルレオーネの後を継いだ長男のソニー。
しかしそのソニーも内通者の情報によって襲撃されてしまうのである。
父によって一度は堅気の道を歩み始めていた末子のマイケル(アル・パチーノ)が、ついにコルレオーネ一家を率いることとなる。
アル・パチーノはこの映画のとき32歳。若々しく、思慮深い。
しかし組織の維持のためには冷酷な決断もしていくような、やはりその筋の人間。
終盤近く、マイケルが生まれた赤ん坊の名付け親になる。
シチリア人社会にとってはこの名付け親(ゴッドファーザー)になるというのは大きなことであるようだ。
その子の行く末を見守る誓いを神にするような意味合いもあるようだ。
その一方で、同じ時にマイケルは対立組織の壊滅を命じていたのだ。
街のいたるところでコルレオーネ一家の血の粛清がおこなわれているのだ。
神聖で静かな教会のシーンと、繁華街での容赦のない銃撃・殺劇シーンが交互に映される。
見事な静と動、明と暗の対比だった。
久しぶりに再見したが、やはり堂々たるドラマだった。
3時間近いシチリア・マフィア一家の物語がまったくダレることなく展開されていた。
この映画の魅力は、なんといっても、単なるマフィアの抗争劇ではなく、重厚な人間描写、そしてファミリーを中心にした人間関係の綾をていねいに描いているところだと思う。
2年後の「Part Ⅱ」とともに、アカデミー賞の監督、作品、脚色の3冠に輝いている。
(正編、続編ともにアカデミー賞を受賞しているのはこのシリーズだけなのでは?)