
2023年 70分 フランス
監督:マン・レイ
音楽:ジム・ジャームッシュ&カーター・ローガン
シュールな無声映画。 ★★★★
マン・レイは20世紀初めに前衛的な写真やオブジェで多方面に大きな影響を与えた。
現代美術を語る上では欠かせない人物だろう。我が国でも瀧口修造を初めとしてその影響を受けた人は少なくない。
その彼は1921年にパリへ移住してから4本の短編映画を制作している。
今から100年余り前の作品だが、彼の前衛的な映像の異様な美しさには感嘆してしまう。
4本のこれらの無声映画を4Kレストア版に仕上げ、音楽ユニット「SQURL (スクワール)」が曲をつけたのが本作である。
この音楽ユニットは映画監督のジム・ジャームッシュと、彼の作品のプロデューサーであるピーター・ローガンの二人から成る。
つながれた映画は制作順とはなっていない。
まずは1928年の「ひとで」から始まるが、これはマンの第3作である。
男と女が道を歩くシーンから始まるのだが、女性はマン・レイの当時の恋人とのこと。
映像は揺らいで靄の中にいるような感じとなっているのだが、これは曇りガラスのようなゼラチンフィルターを使っているため。
このあとに全裸となった女性が男を挑発する場面が出てくるのだが、ここを検閲を通すための工夫でもあったようだ。
映像につけられた音は幻想的である。
男は女を残して立ち去り、映像は風に舞う新聞を追ったり、手のひらの黒い線や星空を映し出す。
そしてそれらの場面の合間にひとでが映る。性的なほのめかしがあるのかも知れない。
男はひとでの入った瓶を見つめ、「彼女は美しい」という字幕で終わっていく。
2番目は1926年の「エマク・バキア」。
芸術愛好家の夫妻が自分たちの別荘で映画を撮ってくれと依頼した。
タイトルはこの別荘の名前に由来するとのこと。
闇夜のネオンサイン、踊る女、バンジョー弾き、波打ち際、泳ぐ魚、回転する彫像などが次々に映し出される。
休みなく動きのある映像が流れ、まぶたに目を描いた女性が目を開いたり閉じたりする映像でフェイドアウトしていく。
この映像は斬新な事象の組み合わせで驚きもつれてくるようなものだった。さすがにマン・レイである。
次が1923年の最初期の「理性への回帰」。
まったく脈絡もない3分弱の映像は抽象的な絵柄を映しつづけている。
塩や胡椒を直にフィルムに振りかけた撮られた映像とのこと。
つけられた音楽もパーカッションが中心になったリズミカルなものだった。
これは意味も全くつかめず、個人的にはおもしろさは感じられなかった。
最後の「サイコロ城の謎」 は最も長い27分の作品である。
丘の上の瀟洒な邸宅、そして夜のカフェでストッキングを被ってサイコロを振っている人物たち。
サイコロの出た目で決めた行き先に出かけるようだ。そして田舎町を車で疾走し、南仏の白い邸宅にたどり着く。
そこでもストッキングを被った人物たちがサイコロを順に振ったり、水着姿で屋内プールで泳いだり、器械体操をしたりする。
ふいにブルーの映像となり、木製の手から二個のサイコロが転がり落ちて映画は終わる。
一言で言えば、この映画も、なんだ、こりゃ?なのだ。
しかし感性に届くなにか美しいものが確かにある。
この映画はルイス・ブニュエルとサルバトーレ・ダリによるあの「アンダルシアの犬」と共に上映されたとのこと。すごい歴史である。
なお、初演の時にはエリック・サティの「ジムノペディ」の第1番と第2番が映像に合わせて演奏されたとのこと。
サティか、なるほど、合うかもしれない。
今回の試みに関してジャームッシュは、「ぼくらがやろうとしていること、そしてマン・レイがやったことは、結局、ある種の恍惚状態を作り出すことだったと思う。」と語っている。
映像に込められた意味はわからないが、これを観た、ということは刺激的な体験だった。