あきりんの映画生活

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「惑星ソラリス」 (1972年)

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1972年 ソ連 165分
監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:ドナタス・バニオニス、 ナターシャ・ボンダルチェック

哲学的SF映画。 ★★★★☆

レムのSF小説「ソラリスの陽のもとに」を原作としたあまりにも有名な映画。
さすがにタルコフスキー。十分に魅力的、そして充分に眠気を誘う(苦笑)。
165分と長めで、ちょうど中ほどで”小休止”が入る二部構成。

未踏の惑星ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーションで異常事態が発生した様子。
その調査のためにクリスが派遣される。
ステーション内は荒れ果て、先発の3人の科学者は異様な幻影を体験していた。

哲学的な映画、というのがよく見られるこの映画の形容だが、哲学的と言うよりも詩的であった。
冒頭の川の流れの映像が美しい。水のなかで揺れる藻。
そしてふいに降り始めてすべてを濡らしていく雨。
そして惑星ソラリスもその表面は海なのだ。
水が画面を覆っている。水が映画を、物語を覆っている。

けだるく流れる音楽も好みだった。原曲はバッハのコラール前奏曲とのこと。
前半に未来都市のイメージ映像が出る。
なんとそれは当時の東京首都高速道路を車で走っているだけのもの。
う~ん、モノクロで見せられると、これは充分にレトロっぽい。未来映像の筈なのだが懐かしさを感じてしまう(苦笑)。

さて、ステーションで暮らし始めたクリスの前にも、自殺したはずの妻ハリーがあらわれる。
それは、人間の潜在意識を反映し惑星ソラリスが作り出したものだった。
ハリーはクリスの想念が作り出した幻影なのだが、その一方でそこに実在もしている。
クリスの想念の中にハリーがいるかぎり、ハリーは死ぬこともなく、何度でもあらわれる・・・。

クリスの立場に立って観てしまうのだが、クリスによって存在させられたハリー自身はどんな風に感じているのだろうか。
ハリーの記憶は、かってのハリーの記憶と同一である。
その意味では存在させられたハリーは生身のハリーと変わらない。
ハリーの出現に喜びと困惑と恐怖を感じるクリスだが、そのハリーも自分が本物のハリーでないことに悩み傷つきもするのだ。

ソラリスの海こそは心の鏡であったのだ、という解説文句がどこかにあった。
そして、その鏡を覗き込んでしまった男の悲しい物語なのかもしれない、ということだった。
とても肯きやすい解釈だと思える。

渦巻いているようなソラリスの海の映像も妖しげで魅力的だった。
先の解説に付け加えるならば、それならばソラリスの海はどこにあるのだろうか、ということになる。
乱暴な言い方をすれば、ソラリスの海自身もクリスの心の中にあったと言ってしまえるかもしれない。

映画の最後、ソラリスの海に島ができ、そこにはクリスの家がある。
幻影の妻が自ら去り、幻影の母が現れる。
幼いクリスが怪我をした腕を洗ってもらう。すると腕の傷は消えていく。
ラストシーンは、窓から家を覗くクリス。その両脇に燃える焚き火と滴りおちる水がある。
この火と水もなんらかの象徴であるのだろう。

火といえば、タルコフスキー監督の「ノスタルジア」ではろうそくの火を消さずに空になった野外浴場を歩き通すという場面があった。
あれも象徴的な場面だった。

傑作である。
差し出された現象の解釈は、観る人によってどのようにもできる。いろいろと自由に考えることができる。
その現象自体は捉えやすいものなので、タルコフスキーの作品の中では観やすいといえるのではないだろうか。