2015年 オーストラリア 111分
監督:キム・ファラント
出演:ニコール・キッドマン、 ジョセフ・ファインズ、 ヒューゴ・ウィービング
狂気の母親。 ★☆
ニコール・キッドマンが25年ぶりに母国オーストラリア映画に出演ということで鑑賞。
しかし、なんだ、これ?
キッドマン、よくもまあこんな映画に出たなあ。
舞台は、オーストラリアの砂漠地帯の小さな町。
この町にマシュー(ジョセフ・ファインズ)とキャサリン(ニコール・キッドマン)夫妻は2人の子供と一緒に越してきた。
実は、15歳の長女リリーが教師と肉体関係となり、一家はこの町に逃げてきたのだ。
挑発的な衣服のリリーは、この狭い町でも若い男たちと奔放な関係を持ってしまう。
そしてある夜、リリーと弟のトミーは一緒に家を抜け出し、そのまま行方不明となる。
ベテラン警官レイ(ヒューゴ・ウィービング)が必死に二人の行方を探るが、洋としてその行方は判らないまま。
町の人たちの無責任な噂も相まって、キャサリンは強い不安と緊張から精神状態が不安定となってくる。
思わせぶりな展開にみせながら、その実、内容は薄い。
邦題も酷い。”虹蛇”はアポリジニの伝説に出てくるようだが、ほとんど関係しない。
この邦題は、ちょっと変わったタイトルで目を引こうという魂胆以外の何物でもないだろう。酷いなあ。
物語は子ども達を案じる母親の焦燥が描かれているのだが、主軸は、女としての欲望を露わにしていくキャサリンの変容。
リリーの日記を発見しキャサリンは、そこに書かれていたリリーの解放された性行動に触発されていくのだ。
キャサリンは手当たり次第に男を誘惑しようとして、ついには発狂したようになって全裸で町中を歩いたりする。
(以下、ネタバレ でもこの映画を観る人は少ないだろうな)
結局は、リリーはどこかの男と一緒に家出しただけだったのだ。
なぁんだ、どんでん返しみたいのもなかったのか。
なんだか、この母親にしてこの娘ありといった感じで、全くすっきりしないものだった。
キッドマンには悪いのだが、はっきりと申し上げて、お勧めしません。