2008年 アメリカ 106分
監督:ギジェルモ・アリアガ
出演:シャーリーズ・セロン、 キム・ベイシンガー、 ジェニファー・ローレンス
母娘の重いドラマ。 ★★★★
冒頭に、荒れ野でトレーラーハウスが激しく炎上している光景が映る。
そして画面が変わったかと思うと、シャーリーズ・セロン演じるシルヴィアの情事の場面となる。行為が終わったあとの虚しさを漂わせて窓辺に佇むシルヴィア。
この2つの場面はどうつながっていくのだ?
ギジェルモ・アリアガ監督は、「21グラム」や「バベル」の脚本を書いた人。
時空を撹拌させて物語を差しだしてくるのが特徴だが、この映画でも時間が撹拌されている。
そのために始めはまごつく。
はて、この物語は(この人物は)、さきほどまでの物語と(人物と)どのような関係なのだろう?と。
シルヴィア、ジーナ(キム・ベイシンガー)とその娘のマリアーナ(ジェニファー・ローレンス)、そしてマリアの3つの物語が交互に描かれる。
しかも、ジーナとマリアーナの物語も2つの異なる時間のできごとが描かれている。
これらの物語の関係が判りにくい。あれ? これはどういう関係?
そのうちにジーナの娘マリアーナ(ジェニファー・ローレンス)を軸にしてつながっていることが判ってくる。
ああ、なるほど、そういうことだったのか。
海辺の高級レストランのマネージャーであるシルヴィアは、行きずりの相手ともひとときの情事をくり返している。
何が彼女をそのような行為にはしらせているのか・・・。
断崖の上で煙草を吸いながら太股に自傷行為をするシルヴィア。
何が彼女の心をそんなにも苦しめているのか・・・。
一方で、南部の農家の主婦ジーナは、優しい夫や愛する子どもたちもいるというのに、不倫をしていた。
逢い引きの場所は荒れ野のなかのトレーラーハウスだった。
そうなのだ、あの炎上していたトレーラーハウスなのだ。
ジーナは、不倫相手とともに炎に包まれて亡くなってしまったのだ。
さて、もう一つの物語。
マリアの父親はセスナ機で農薬を散布するのが仕事のパイロット。
ところがある日、マリアの目の前でセスナ機は墜落し、父は瀕死の状態となってしまう。
そんな父が親友に頼んだのは、マリアを生んですぐに出奔した母親を捜してくれ、というものだった。
どのエピソードにもそれぞれの苦悩が描かれている。
と、こう書いてくるととても複雑でややこしいように思えるかもしれないが、それぞれの物語がかっちりと描かれているので、それほどまごつくことはない。
それぞれが印象的に描かれているので、観ている者も混乱はしないようになっているのだ。
逆に、これらの物語がどのようにつながっていくのだろうと、期待しながら観ることができる。
(以下、ネタバレ気味)
どっしりとした物語がくり広げられていく。
死んだ母の娘と、死んだ父の息子は・・・、ああ、そうなっていったのか・・・。
そして、母になった娘は、ああ、そういう選択をしたのか・・・。苦しい、弱い心だったのだなあ。
それにしてもこの邦題は、ちょっと酷いのではないだろうか。
なんだか際物的なイメージで、内容とはかけ離れている。
この邦題で観るのを引いてしまった人がいたとしたら、実に勿体ない話である。
セロンもベイシンガーも文字通りに身体を張っての演技をみせてくれる。
二人ともすごい女優だ。
そして、この映画で、18歳だったジェニファー・ローレンスはヴェネチア国際映画祭新人賞を取っています。彼女もすごい。