あきりんの映画生活

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「炎のランナー」 (1981年)

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1981年 イギリス 124分
監督:ヒュー・ハドソン

走ることに賭けるものは。 ★★★

 

アカデミー賞で作品賞など4冠に輝いている作品。
音楽賞を獲ったヴァンゲリアスの音楽も話題になった。
オリンピックで走った実在の2人のランナーを描いており、ジョギングを趣味としている者としては観ておかなくてはならない映画だろう。

 

時代は1912年。
ユダヤ人のエイブラハムスは、誰よりも速く走ることで皆に自分を認めさせたい。
そうなのだ、この時代はユダヤ人というだけでの差別や偏見があり、彼はそれを受けて生きてきたのだ。
ケンブリッジ大学という名門校に入った今でも、だ。

 

だから彼は、誰よりも勝利への執念が強い。
その走りの強さを認めさせることによって、周囲の差別や偏見をはねのけようとする。
そのためには、プロの個人コーチを雇ったりもしたのだ。
マチュアリズムに反するとして大学幹部からも批判されることを承知の上で。

 

勝利のためにすべてを賭ける、そんな彼の行為は少しやりすぎのようにも思える。
しかしそこまでしなければ、ユダヤ人の彼は正当に評価されない時代でもあったのだろう。
そう考えると、彼の頑張りもそれだけ必死だったのだなと思えてくる。

 

もう一人はスコットランド出身のリデル。
牧師でもある彼にとっては、早く走れることは神から与えられた恩寵のようだったのだ。
彼は神の意思を全うするためにもレースに勝たねばならない。
彼にとっては、走ることは神に仕える手段でもあったわけだ。
だから、走ることに対しての考え方がエイブラハムズとは根本的に異なっている。

 

クライマックスは1924年のパリ・オリンピック。
二人はそれぞれイギリス代表としてオリンピックに臨む。
しかし、リデルに大きな問題が降りかかってくる。なんと、彼が出場する100走の予選が日曜日だったのだ。
日曜日はキリスト教徒にとって安息日であり、神の教えに従えば何もしてはならないことになっている。
競技をするなんてとんでもないことなのだ。

 

しかし、オリンピックだぞ。国の代表として来ているのだぞ。
お前の個人的な信仰心でイギリス国民の期待を裏切るのか?
さあ、リデルはどうする?

 

30年ほど前の世界陸上走り幅跳びでも似た事例があった。
競技日が日曜日だったために、世界記録保持者であるジョナサン・エドワーズが競技をボイコットしたのだ。
彼も敬虔なクリスチャンだったのだ。
当時はかなり話題になったのを覚えている。

 

この映画だが、冒頭のヴァンゲリスの音楽にのって若者たちが浜辺を走るシーンは有名だった。
ただこの映画、主役二人の絡み合いがほとんどなかったのが肩すかしだった。
同じ年のオリンピックに100m走の選手として出場した2人のイギリス選手を、平行して追っている、という作りだった。
物語として、もう少し二人の交友など描けば、面白くなったのだがなあと、これは無い物ねだり。

 

さて。
リデルはどうしたのか。エイブラハムズはどうだったのか。
映画は淡々と100m走と、400m走(!)の様子を映し出す。
なるほど、そういう結末だったのか。