1997年 アメリカ 151分
監督:ロバート・ゼメキス
出演:ジョディ・フォスター、 マシュー・マコノヒー、 デビッド・モース
地球外知的生命体と人類の接触。 ★★★
宇宙科学者のカール・セーガンの同名小説を映画化したもの。
オープニング画面は、地球上からカメラがどんどん引いていく映像。
あっという間に地球を離れ、太陽系を離れ、銀河系を離れ、外宇宙へ。すごい映像である。
セーガンは映画の監修にも携わっていたとのことだが、残念なことに完成前に亡くなっている。
天文学者のエリー(ジョディ・フォスター)は、宇宙からの電波を探求して地球外知的生命体の存在を研究している。
ある夜、未知の電波をキャッチしたエリーたちは、それがヴェガ星からのものだと突き止める。
ヴェガ星ってどこだ? この電波には意味があるのか?
なんと、その電波にはヒトラーの映像が映っていたのだ。
ヴェガ星人は地球のことを観察していたんだ。地球人の存在を知っていたんだ・・・。
ここで通常のSF映画で問題となるのは、このヴェガ星人が友好的なのか、それとも侵略の意図があるのか?
まあ、侵略するつもりだったらこんなコンタクトは取ってこないよねえ。
よし、ヴェガ星人は友好的地球外知的生命体だと考えよう。
さらに謎の電波の解析を勧めるエリーたち。
このあたりは暗号解読要素も加わって、どうなるのだろうと思わせてくれる。
やがて膨大な記号は設計図であり、そこに描かれていたのはどうやらヴェガ星への輸送機関であるようなのだ。
おいおい、これは一大事だぞ。国家プロジェクトだ、いや、全地球規模のプロジェクトだ。
さあ、そうなると、誰がその機械に乗り込むか、だ。
そうなのだ、その輸送機械には一人しか乗れないのだ。
当然エリーは乗りたい。だって、私が一番最初にコンタクトに成功したのよ。
物語は科学と宗教の問題にも絡んでいく。
幼い頃に突然のことで父を亡くしたエリーは、それ以来は神の存在を信じら得なくなっている。
搭乗員の選考会で、神の存在を信じるかとの質問に否定をしたエリーは落選する。
実は一夜を共にした宗教学者パーマー(マシュー・マコノヒー)の考えと対立したのだった。
この問題はこの映画の根幹にもかかわっている。
科学は、現時点での人間が考えた範囲のものに過ぎない。
人間の存在など取るに足らないものであるような全宇宙のことを考えれば、人間を越えた何者かの存在を感じることもありうるだろう。
そういったものも受け入れられるか、どうか。
宇宙には人智を越えたものが存在すると認められるか、どうか。
原作者のセーガンは科学者であったが、科学も突き詰めれば宗教だ、という考えも持っていたようだ。
さて、輸送ポッドのプロジェクトは、テロリストの妨害爆破工作があって失敗する。
しかし、予備のポッドがなんと日本の北海道で作られていたのだ。えっ?
そしてエリーがそれに乗り込むことになる。
(以下、ネタバレ)
エリーと地球外知的生命体との接触は、なるほど、こんな風にあらわしたか、と感心した。
彼女の記憶にあった亡父(デヴィッド・モース)の姿を現出させる。
思いうかべたのは「惑星ソラリス」(1972年に映画化されている)だった。
惑星ソラリスも、主人公たちの記憶にある人物を現出させてきていた。
輸送ポッドに乗り込んだエリーは、17時間も異世界に行っていたのに、見守っていた人々の目の前では1秒後にあらわれる。
エリーが身につけていた記録用の機械にも何も記録されておらず、ノイズしか入っていなかった。
だから誰もがエリーの体験を妄想、夢と考える。誰もエリーの体験を実際のことだとは捉えなかった。
しかし、機械に記録されていたノイズは17時間分だったのである。
2時間半の長尺だが、長さを感じさせることはなかった。
原作が学者が書いた真面目なSF小説なので、エンタメ性にはやや乏しいところがあった。
しかし、それこその真面目で骨太なSF映画だった。