1951年 アメリカ 92分
監督:ロバート・ワイズ
出演:マイケル・レイニー、 パトリシア・ニール
50年以上前のSF映画。 ★★☆
ワシントンDCに銀色の円盤が突如現れ、中から人間の姿をした宇宙人クラトゥと絶大な破壊能力を持ったロボットのゴートが現れる。クラトゥが地球を訪れた目的はなになのか?
本格SF映画の先駆的作品として評価の高い作品。
人類と異星人との友好的なファースト・コンタクトを描いていて、子供用映画のように長くあった宇宙人の地球侵略ものとは一線を画している。
もちろん今から見れば、宇宙船にしてもロボットにしても稚拙な造形であるが、それは致し方ないこと。
この映画はそんな視覚的な面白さではなく、物語の展開で見せるものとなっている。
クラトゥは地球人と同じ姿形をしているので、アパ-トの住人となって地球人の生活を体験しようとする。知り合った少年との交流もよい感じ。
科学者に自分のメッセージを分かってもらうために、未だ解けていない物理の数式を解いてみせたりもする。
SF映画だからといってハチャメチャな展開ではなく、地道に物語を組み立てている。
一方で、宇宙人がやってきて、これからなにをするのか分からないという、こんな地球にとっての一大事が起こっているのに、街の様子が妙にのんびりしているところがおかしい。
人々は普通の日常生活を続けているし、肝心の円盤の見張りは銃を持った兵士が二人だけである。いいのかいな。
クラトゥは人類に警告を発するために、電力を始めとするすべての動力を30分間だけ止めてみせる(これがタイトルの由来)。
しかし、病院や飛んでいる飛行機の動力を無力化しないところが彼の友好的なところである。なにかほのぼのとしている。
地球の陣類が原子力を使っての争いをおこなえば、宇宙全体の監視体制によって地球は滅ぼされるだろうと警告を残して、クラトゥは去っていく。
よく考えれば、これは、核の抑止力によって世界平和を保とうとする考えに通じているような気がするのだが、この時代の世界情勢を反映しているのかもしれない。
ヒロインのパトリシア・ニールはどこかで観た人だと思っていた。
やっと分かった。あの「ティファニーで朝食を」でオードリー・ヘップバーンと恋の鞘当てをする富豪夫人だった。
昨年、キアヌ・リーブス主演でこの映画のリメイクが作られているが、その邦題は「地球が静止する日」と、一文字だけ変えている。
あちらの出来はどうだったのだろう?