あきりんの映画生活

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「エル・トポ」 (1969年)

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1969年 メキシコ 123分
監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:アレハンドロ・ホドロフスキー、 ブロンティス・ホドロフスキー

伝説のカルト映画。 ★★★★☆

すごい映画を観てしまった。
物語といい、あざやかな色彩の画面といい、とにかく強烈な作品。

この作品は、「もしフェリーニが西部劇を、クロサワがキリスト映画を撮ったらこうなったであろう」と絶賛されたという。
寺山修司がこの映画を絶賛して、一度は大々的に上映されたのだが、あまりの不評に3日で打ち切りになったという話も残っている。
しかし、熱狂的なファンもいるということで、その題名だけは聞いていた映画だった。
まさか、今ごろ再上映されるとは・・・。

広大な砂漠が広がる冒頭の画面は美しい。
黒い傘をさして馬にまたがったガンマンのエル・トポは、裸の少年を後ろへ乗せている。
そして砂漠の一角で、わが子と思われる少年に、お前ももう7歳になったのだから、と言って、母の写真と玩具の人形を砂に埋めさせる。静謐な場面である。

しかし、そこからはすさまじい光景となる。
カルト映画というとどうしてもグロい映像が出てくる。この映画も例外ではない。
エル・トポはおびただしい数の老若男女が惨殺された村に行き着く。
大佐と名のる男に率いられた山賊の仕業で、わずかに生き残っている聖職者たちも裸にされ辱めを受けている。

あのマカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒」のノリで(もちろん、真面目な画面ではなく、滑稽で醜悪なのだが)、エル・トポは山賊達を倒す。
その地に我が子を置き去りにして、エル・トポは大佐の愛人と砂漠の旅を続ける。

エル・トポは女に、愛の証拠に砂漠にいる4人のマスターガンマンを倒せと言われる。
それぞれのマスターは、石の塔の中の地下室に住んでいたり、たくさんの鶏を飼っていたり、飄々と風の吹きすさぶ中に座りこんでいたりする。

そして、たとえば盲目のマスターは、弾丸を心の空白に導くことで打たれても死ぬことがない。
こんな相手に通常の方法では勝てるはずがない。
そこで、エル・トポはそれぞれのマスターを、とても卑劣な手段で(たとえば砂に落とし穴を掘ったりする。落とし穴だよ、落とし穴! セコイ!)倒していく。主人公がこんなセコイことをしていていいのかいな。
エル・トポは決して正義の味方などではなく、狡猾の人物像である。

4人目のマスターにいたっては、杖で銃の弾を跳ね返すことができるのだが、わしを倒しても何も得るものはないといってエル・トポの前で自らの命を捨ててみせる。あれ?
こんなの、勝負に勝ったと言えるのか?

とてもふざけた出鱈目な場面があるかと思えば、なにかとても哲学的な意味があるんじゃないかと思わせる場面がつながっていたりする。
それらが強烈な色彩の画面で、次から次へと繰り広げられる。

考えはじめたら、いくらでも解釈はこじつけられるし、そんなことはこの映画には無意味だと考えれば、それはそれで成り立ってしまう。
観る人によって、どうとでも受け取ることができる。
それはやはりすごいことだと思える。

4人のマスターを倒したエル・トポは空しさを覚える。
そんなエル・トポを二人の女が一緒になって撃ち殺してしまう。そして二人の女は去っていく。
ここからはがらりとおもむきが変わる後半となる。

死なずに長い眠りについていたエルトポはフリークスたちの暮らす洞窟で目覚める。
寺山修司が率いていた劇団「天井桟敷」での舞台を思わせるようなフリークスである。
エル・トポは洞窟にトンネルを作り、隔絶されたフリークスたちを救おうとする。
そう、エル・トポは聖者として復活したのである。
なんというすごい展開だ。

エルトポは、こびとの女と町に下り、大道芸で資金を集め、トンネルを掘り続ける。
そこへ、かつて自分が捨てた息子が、父親への恨みを復讐しようとあらわれる。おお、またなんという展開だ。

やがてトンネルが完成するのだが、洞窟から外へ出たフリークスは、街の人々によってあっけなく惨殺されてしまう。
エル・トポのしたことがフリークスたちを死に至らしめてしまったのだ。
怒ったエルトポは町の住人を全員撃ち殺し(やはり、エル・トポは聖者ではなかったのだな)、自らは焼身自殺をする。

こびとの女が生んだエル・トポの赤ん坊が残される。
後に残された息子は、エル・トポの子を抱いた女を馬の後ろに乗せて砂漠へ旅立っていく。
映画の冒頭を思わせて、そうか、まるで輪廻のようである。

エル・トポとはモグラのこと。
冒頭に”モグラは光を求めて地中を掘り進むが、求めていた光にであったとたんに視力を失う”といった意味の警句が提示される。

哲学的に捕らえるべきなのか、ただ格好良いことを言ってみましたというだけなのか、どちらにも取れるところが面白い。
その振幅の大きさがこの映画の魅力の本質であろう。

う~む、刺激的な映画を観てしまったなあ。