2015年 アメリカ 101分
監督:ジャン・マルク・バレ
出演:ジェイク・ギレンホール、 ナオミ・ワッツ
再生への人間ドラマ。 ★★☆
一緒に乗っていた車の事故で、妻だけが亡くなってしまったら、残された自分はどうすればいい?
この映画は、そんな絶望的な状況に心が打ちのめされた主人公の物語。
妻を失ったデイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、なぜか悲しみを感じていない自分に気づいてしまう。
なぜだ? 自分はどうしたんだ?
自分は妻を愛してはいなかったのか?
同じような設定の主人公を描いた邦画に「永い言い訳」があった。
自分の浮気中に妻が事故死したあちらの映画の主人公は、赤の他人の子どもたちの面倒をみることで再生していく。
こちらの主人公は、破壊衝動に突き動かされていく。
義父が言う、心の修理も車の修理も同じだ、まず分解して点検したのちに、再び組み立てて直すのだ。
そうか、とばかりにデイヴィスは身の回りの物を壊しはじめる。
会社のパソコンを壊したと思ったら、ついには自分の家まで壊しはじめてしまう。
狂気につかれたように壊しつづける主人公を、ギレンホールがあのぎょろ目で演じる。
彼はこうしたものごとに取り憑かれた人物を演じると、まさに迫真となる。
その人間性が怖ろしく思えてくるほどだ。
一方で、彼は自動販売機へのねちねちとした苦情の手紙を会社へ何通も送る。
そして、その会社の苦情処理係のカレン(ナオミ・ワッツ)と知り合う。
彼女も真夜中に苦情のお詫びの連絡をしてきたりと、ちょっと変わっている。
ともあれ、二人はなんとなく意気投合してしまう。変わり者同士?
シングル・マザーのカレンの子どもクリスがよかった(子役もとても印象的)。
デイヴィスはクリスに常識外れのアドバイスをして、二人ともに世間に立ち向かっていけるようになっていく。
思わせぶりのこの長い邦題は原題の「破壊」とは似ても似つかない。
内容ともそれほど合っていない邦題になってしまっている。しかしこの邦題で興味をそそられたのもたしか。
(この邦題は死んだ妻が生前に書いていたメモの言葉から来ている。そのメモは車のサンバイザーに挟んであったのだ。
雨の日はあなたは私の方を向いてくれない、晴れの日にサンバイザーを降ろしてこのメモを見つけるのね、といった意味だろうか。)
紆余曲折があって、やがてデイヴィスは妻を愛していたことに気づいていく、ということのようだが、どうもすっきりとはわからなかった。
だって、妻は・・・していたんだよ。それでも?
とにはかくあれ、ギレンホールの演技で見せてくれた映画でした。