2008年 アメリカ 119分
監督:サム・メンデス
出演:レオナルド・ディカプリオ、 ケイト・ウインスレット
不満と苛立ちを抱えた夫婦がたどる道は。 ★★★☆
レボルーショナリー・ロードと名付けられた住宅街に住むフランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイブリル(ケイト・ウインスレット)夫婦は子供にも恵まれ、外見的には幸せそうに見えている。しかし、二人はともに満たされないものを抱えていた。
冒頭でそれぞれの苛立ちからはじめる夫婦喧嘩で、二人の置かれている状況が端的に示される。
住宅街の周囲の夫婦は受け入れている平凡な結婚生活を、二人はそれぞれの野心や希望から受け入れられない。
そんな生活を変えるための計画を立てるのだが、ここでも夫の出世話や新たな妊娠といった、どこまでも二人を現実につなぎとめる出来事が立ちふさがる。
くり返される二人の口論。
家族や、そこに形作られる家庭よりも、エイブリルはまず自分自身を愛してしまっている。
そのために言ってしまう言葉の数々が、ますます二人の関係を非現実なものへと向かわせてしまっているように思える。
しかし、このあたりは観る人の夫と妻の立場で感想がかなり変わってくるのだろう。
フランクは惰性の仕事に嫌気がさしながらも、しっかりと浮気をしているし。
それを口にしたら二人の関係は終わってしまうことまで言ってしまった翌朝、決定的な破局の朝なのだが、なぜか二人の朝食場面は静かだ。
お互いが相手を思いやっているような言動が交わされる。
特にエイブリルのおだやかな表情がぞっとするほど印象的で、これからつづく出来事を予感させている。
人に干渉されない決断をしたときに、はじめて人を赦すことが出来る、とでもいったように。
二人の結末は絶望的だ。
見終わったあとのこちらも重い。どんな夫婦のあいだにも必ず紛れ込んでいる罅を、この映画はむき出しにして見せている。
二人が住んでいた家の大家をキャッシー・ベイツが演じているのだが、あの家に住むのは幸せな夫婦でなければいけないのよ、といった意味の台詞があった。
幸せになるはずだった、だから幸せであるはずだ、と、自分からの脅迫観念にとらわれて、現実との解離にもがいていく二人を象徴的に表している台詞だった。
(余談)
この主演の二人であれば、どこかで「タイタニック」を思いうかべながら映画を見始める。
しかし、そんな甘い幻想は最初の5分で霧散して、あとはひたすら全く別の二人の物語に引き込まれる。
「タイタニック」のときにはそれほど良いとは思わなかったケイト・ウインスレットは、すさまじい表現力を持つ女優になっていた。