難民三部作のひとつ。 ★★★☆
難民・移民問題、そして社会の底辺の弱い者同士の助け合いが描かれている。
カウリスマキ監督特有の、無口で真面目で、それでいてどこか滑稽さもただよう作品だった。
内戦の地シリアからヘルシンキへ密航(?)してきた青年カーリド。
長旅のあいだにたった一人の家族の妹とも離ればなれになってしまった。
そんな彼の望みは、その妹をなんとかしてフィンランドへ呼び寄せることだった。
アメリカではトランプ大統領が難民に対して冷たい処遇をとり続けている。
ヨーロッパの国々では、難民政策は国によって微妙に違うようだ。
たしかに大勢の難民がやってきた国は、自分の国の人たちの生活維持とどのようにバランスを取っていくか、難しい問題もあるのだろうと思う。
しかし、ことは命に関わることだしなあ。
カーリドの難民申請は却下されて、彼は収容された施設から脱走する。
そして、レストラン・オーナーのヴィクストロムに出会い、彼の店で働かせてもらえることになる。
このヴィクストロムがまた淡々とした、ちょっと捉えどころのないような人物。
無愛想な、人付き合いの悪そうな雰囲気なのだが、しかし実は人間味には溢れているのだ。
彼はアルコール中毒の妻と別れて、賭けでぼろ儲けをした大金でレストランを始めたのだ。
居抜きで雇った2人の従業員も、真面目なのだか惚けているだのかよく判らない。しかし、根っからの善人なのだ。
所々で響く音楽はとても素敵だった。
ヴィクストロムたちはレストランを流行らせようと、なんと日本食レストランに改装する場面が出てくる。
で、妙ちくりんな寿司を作り始める。
わさびの量なんて半端じゃないぞ。
こんなとんでもないずっこけを、大真面目にやっている雰囲気があるところがカウリスマキ監督らしい。
ゆっくりとした寡黙で地味な映画。
華々しいことは何も描かれない。暴力場面ですらひたすら静か。
それなのに飽きることはない。このゆっくりさ、静かさが心地よい。
自分たちも貧しく弱い存在なのに、それでも弱っている人に助けの手をさしのべる。
そういう人たちが描かれている。
最後、カーリドはネオナチに刺された体で浜辺で横たわる。
邦題は「希望のかなた」だが、英語題をそのまま訳すと「希望の反対側」となる。
”かなた”には希望があるのだろうか、それとも、希望はどこまでもかなたにあっていつまでも届かないものなのだろうか。
ベルリン映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞しています。