2015年 アメリカ 118分
監督:テレンス・マリック
出演:クリスチャン・ベイル、 ケイト・ブランシェット、 ナタリー・ポートマン
美しい映像詩の世界。 ★★★★☆
映画が映像と音で何かを伝えるものだとしたら、伝えられるものが物語である必要はどこまで求められるのだろうか。
そんなことも考えさせてくれる”映画”である。
ここには物語と呼べるものはとても曖昧で、映像を繋ぐための役割しか果たしていないようにさえ思える。
主人公は脚本家として成功しているリック(クリスチャン・ベイル)。
舞台はハリウッドとラスベガスで、華やかなセレブの世界のパーティがくり返されている。
そんな享楽的な日々に流されている主人公だが、次第に自分の人生が失われていくような不安を抱いてもいるようだ。
章立てになっていて、各局面にはタロットカードがあらわれる。
そのカードの意味するところが描かれているとのことなのだろうが、残念ながらその点についてはよく判らなかった。
ここにはない何かを探してさまよい始めたリックの前には、別れた妻、現在の現恋人、ゆきずりの愛人、など6人の女性があらわれる(ケイト・ブランシェッ、ナタリー・ポートマン、など)。
彼は彼女らと、柔らかく、しめやかで、それでいて捉えどころのないような時を過ごす。
映像は息を呑むほどに美しい。どの場面を切りとっても絵になっている。
カメラは3年連続でオスカー受賞をした撮影監督エマニュエル・ルベツキ。
素足で歩く砂浜、打ち寄せる波。水量が減った運河の川底。高速道路のトンネルの連なる灯り。
喧噪に満ちたパーティ会場、気怠い目覚のベランダ。・・・
あまりに美しいので(苦笑)、思わず眠気に誘われてしまう。
そう、これはアンドレイ・タルコフスキーの映画を観ている時と同じような眠気の時間なのだ。
そこには神経を逆立てるような違和はまったくなく、ただただ美しい画面が差し出されてくる。
この眠気はとても贅沢なものなのだ。
女たちとの逢瀬の一方で、父親や弟との葛藤と愛憎を思わせる映像も入ってくる。
主人公にはすでに亡くなっているもう一人の弟も居たようで、彼の存在が家族に悲しみをもたらしているようなのだ。
しかしそれらは断片的な映像と短い会話などで伺い知るだけである。
台詞はリックや女性たちの独白にも似たもので、詩的である。
何も説明されることはない。
物語を求めることなく、ただこの映像をメッセージとして受け取れる人には至福の時間を与えてくれる映画である。
そうでない人には・・・退屈な映画だろうなあ。