あきりんの映画生活

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「アニアーラ」 (2018年)

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2018年 スウェーデン 106分
監督:ペッラ・カーグルマン

20**年宇宙の彷徨。 ★★★

 

さて今度は2年前に作られた”宇宙の旅”。
宇宙に対峙するということは、必然的に哲学的なものになるのだろうか。
しかし時代が変われば、かってのようにそこにあるのは希望ばかりではなくなってくる。
この映画ではどうか。原作はスウェーデンノーベル賞作家のものとのこと。

 

核汚染された地球を捨てて、宇宙船アニアーラ号は8000人の乗客を乗せて火星を目指す。
3週間後には到着するはずだったのに、アニアーラ号は不慮の事故で燃料なし、制御不能となってしまう。
ただ宇宙を彷徨うだけのアニアーラ号。これからどうなる?

 

2001年宇宙の旅」のディスカバリー号は丸い頭部と細長い胴部という形状だった。
その形から生命の元となる精子の形だと言われたものだった。
アニアーラ号は矩形でまったく平らな形をしている。
まるで広大な土地が建物を乗せたまま宇宙を飛んでいるようなのだ。
もしかすれば、アニアーラ号は地球そのもの喩なのかもしれない。

 

船内には藻を材料とした食料があり、空気や水、電気の供給などにはなんの支障もないようだった。
すると、いつまでだって船内で暮らしていけるではないか。
それがこの映画の鍵となっている。
肉体的に生きることにはなんの問題もない。問題となるのは、希望がないという精神的なことなのだ。

 

実はアニアーラ号にはMIMAというAI装置が積まれていた。
MIMAは人の記憶の風景を再現して感情を整えてくれるもののようだった。
しかし希望を失った人々があまりにもMIMAに依存したために、MIMAの知能は耐えられなくなって自爆してしまう。
あのHALの反逆とはちょっと異なるが、AIは人類を救ってはくれなかったのだ。

 

(以下、物語の最後にまで触れています)

 

映画は、3か月がたち、1年がたち、と、船内の様子を章立てとして映し出す。
そしてなんと5年もたってしまったある日、彼方に槍状の宇宙船が現れる。
希望を取り戻す人々。さあ、お祝いだ、さあ、乾杯だ。
燃料さえ手にできればこの状況から逃れられるぞ。

 

しかし、その槍状の物体は何物ももたらしてはくれなかったのだ。
一度は湧いた希望が失われた時、そこに待つのは絶望というよりも虚無のようである。

 

人々はカルト宗教を作り出したり、怪しげな性交を行ったり・・・。
10年がたち、アニアーラ号はただ人類が死に絶えるための場所となってしまったよう。
これが地球の縮図なのだろうか。

 

そして最後。
3百万年後(!)に無人となったアニアーラ号は琴座近くの地球そっくりな星に流れ着く。
果たしてそこには人類とは異なる生命体がいたのだろうか?

 

2001年宇宙の旅」は、物語そのものが想念となっていき、人類の起源とか生命の起源とか、そんなものを考えさせるものとなっていた。
名作と言われる所以である。
それに比して本作は、事実(!)だけが淡々と映し出されていく。
観ている者もその事実描写に閉じ込められて、ただ宇宙を彷徨っただけだった。