あきりんの映画生活

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「蜜蜂と遠雷」 (2019年)

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2019年 日本 118分
監督:石川慶
出演:松岡茉優、 松阪桃李、 齋藤由起

ピアノに賭けた青春。 ★★★

 

原作は恩田陸の同名小説。
直木賞本屋大賞を獲っている人気作品だが、残念ながら未読。

 

物語の舞台は世界の登竜門とされている国際ピアノコンクールで、そこに出場する4人の若者を描いている。
7年前に突然表舞台から姿を消した元・天才少女の英伝亜夜(松岡茉優)。
“生活者の音楽”を信条にしたもう若くはないサラリーマン奏者の高島明石(松坂桃李)。
優勝大本命のマサル森崎ウィン)は、亜夜の幼なじみだった。
そして。亡くなった世界的ピアニストから推薦された天衣無縫な少年の風間塵(鈴鹿央士)。

 

私はピアノはもちろんのこと、楽器はまったく演奏できない。
小さい頃にバイオリンを少し習い始めたが、まったく才能がなく、すぐに止めてしまった。
二人の子供にも小学生の頃にピアノを習わせてみたが、数年でもう止めたいと言いはじめた。
私の家系には音楽の才能は流れていないのだろう。

 

だから、この映画の4人のような天賦の才の領域で技量を磨きあげていく様には、ただただ感嘆する。
そうか、こういう領域の人たちっているんだ・・・。
そしてその中でも(音楽の神様から)与えられたものには差があるのだな。

 

亜夜と塵が一緒に月を見て、「月の光」、「ムーンライト・セレナーデ」、「月光」と連弾をしていく場面は素晴らしかった。
楽器が上手に弾ける人って、こういうことが出来るのだ、今さらではあるが羨ましい。

 

映画ではかなりの尺が演奏シーンで占められている。
しかしこの映画ではそれが必要だったということがよく判るし、演奏シーンの迫力もあった。
小説では、音楽の迫力をどうやって言葉で表現していたのだろう?

 

物足りなかったのは、タイトルの”遠雷と蜜蜂”が軽く触れられていただけだったこと。
遠くから響いてくる音と、近くで繊細に聞こえる音と、なにか音楽の本質的なことに関係するようなことがあったのだろうか。
このあたりは、どうしても原作でどんな風だったかが気になってしまう。

 

しかし、映画を小説と比べるのはよい鑑賞方法ではないのだろう。
映画はあくまでも映画だ。映画として完結しているはずのものだ。

 

若い男女が出ているのに、物語にまったく恋愛模様を絡ませなかったのは潔かった。
たとえば、この映画の亜夜とマサルのように幼なじみの設定では、「ちはやふる」では淡い三角関係模様だった。
あれはあれで好かったのだが。

 

最後に発表される4人のコンクールの結果には、なるほどと納得だった。
しかし、将来の音楽会を背負って立つのは(超・天才の)風間塵だろうな。