1956年 アメリカ 98分
監督:フレッド・マクロード・ウィルコックス
65年前のSF映画。 ★★☆
1968年の「2001年宇宙の旅」はSF映画のマイルストーンだと思うのだが、この映画はその10年以上前のもの。
初めて観たのだが、驚いた。
この後に続くSF映画のあらゆるものに影響を及ぼしているのではないだろうか。
時は23世紀。20年前に調査隊が行方不明になっている惑星に探査隊がやって来る。
するとそこには以前の調査隊の生き残りであるモービアス博士が娘のアルティアと、ただ2人だけで暮らしていた。
立派な住居設備、必要なものは何でも作ってくれるお仕事ロボットのロビー。
もちろん今の目で見ればチープなセットなのだが、当時としては斬新だったのだろうな。
そして博士は、20年前に他の調査員たちは地球に帰ろうとしたときに、正体不明の怪物に襲われて死んでしまった、と告げる。
えっ、怪物って? 今もこの星にいるのか?
なぜ博士だけは無事だったんだ?
博士はやって来た探査隊のメンバーに、私たちはこの惑星で幸せに暮らしているから、君たちも早く地球に帰りたまえ。ここにいると命の保証はないよ。
博士はなにか隠しているんじゃないだろうか?
どうも、我々を厄介払いしたいみたいだぞ。
お仕事ロボットのロビーの造型は、その後のSF映画ではお馴染みのものとなっていく。
ポスター写真を見てほしい。
格好いい。この映画が現在のSF映画の原点だと誰でもが思うのではないだろうか。
しかし、実写のロビーはバランスからいうとやけに足が長い。
CGもなかった時代だから、きっと着ぐるみで、中に人が入っているのだろうな。
白いミニスカートで無邪気にふるまうアルティア(アン・フランシス)。可愛い。
この惑星で生まれた彼女は父親以外の人間とは初めて会うのだから、禁欲生活を送ってきた隊員たちがどんな目で自分を見ているかなんて、判らない。
それをいいことにして、健康にいいからとキスを迫る隊員たち。
とんでもないセクハラである。こういう笑いを取ろうとしていたのだな。
さて。
着陸地点で地球と交信しようとする探査隊を、ふいに半透明の怪物が襲う。
隊員たちの原子砲(?)の集中砲火を浴びてもびくともしない。
この半透明の怪物の映像にも感心した。どうやって撮ったのだろう?
それにしても、この怪物はいったい何ものなのだ?
解決策を求めて隊員たちがふたたび博士の住居を訪ねると、その奥にはこの惑星の古代文明が残した広大な研究室があった。
この左右にも上下にも延々と続くような研究室の造形はすごいもの。
まるでクリストファー・ノーラン監督が作ったのではないかと思ってしまうほど。
それほどに斬新な映像であった。
優れた古代文明に魅せられた博士は20年間もの間、その研究をしていたのだ。
古代文明の知性は非常に高度で、博士はそれを使って自分のIQを増幅してロビーも作ることができたのだ。
(以下、ネタバレ)
あの怪物は、実は博士の潜在意識が創り出したものだったのだ。
映画では”イド”と言っていたが、ラテン語の”id”からきているのだろう。
心理学の用語で、自我や超自我をあらわす言葉のようだ。
地球に帰りたくないという博士の無意識の欲求が具現化されてしまったと捉えればよいのだろう。
よくもまあ、こんな形而上的なことを映画に取り入れようと、あの時代に考えついたなあ。
DVDには当時のオリジナル予告映像が入っていた。
そのオープニングを観て驚いた。
なんと、状況を説明する文字が斜めに傾いた台形状で星空を上方へ流れていく映像ではないか。
そう、「スターウォーズ」のオープニングのあの映像である。あの元ネタはこれだったのか!
やはり先駆者として確固たる位置を占める作品なのだな。