2017年 アメリカ 92分
監督:デビッド・ロウリー
出演:ケイシー・アフレック、 ルーニー・マーラー
静かなファンタジー映画。 ★★★☆
C(ケイシー・アフレック)とM(ルーニー・マーラー)は郊外の小さな一軒家に住む若い夫婦だった。
しかし、ある日、夫のCは交通事故で亡くなってしまう。
霊安室で白シーツをかけられた夫Cの遺体は、シーツを被ったまま静かに起き上がり、妻Mのいる自宅へと戻っていく。
そして、誰も自分の存在に気づいてはくれないまま、シーツを被った幽霊となったCは愛する妻を、妻と共に暮らした家を、ただ見守り続ける。
この映画はただそれだけを淡々と映す。
死んだ夫が幽霊となって妻を見守る、という設定の映画では、有名な「ゴースト ニューヨークの幻」や、オードリー・ヘップバーンの最後の出演作「オールウェイズ」があった。
これらの映画では、死者は生者にとっての幽霊として存在しており、生者の時間とともにある存在だった。
しかし今作では死者から見た世界が映像化されている。幽霊にとっての生者なのである。
だから時間の進みも、生者の過ごす時間観念を超越するのだ。
時は流れ、新しい恋人との新しい人生を歩むことを決めた妻M。
彼女は1枚の小さなメモを柱の隙間に隠し、その家から去っていく。
Cは妻の後を追わず家に残る。そして、妻の残したメモをなんとか隙間から取り出そうとするのだが上手くいかない。
製作費はわずか10万ドルという低予算だったとのこと。
画面はほぼ正方形のアスペクト比なのだが、これはとても狭い視界での物語ということで、映画の内容には合っていると感じた。
Mはほとんどの場面でシーツを被っているのだが、実際にケイシー・アフレックが演じたとのこと。
そうなんだ・・・。
残されたCの家には移民家族が引っ越してきたり、パーティー好きの人が引っ越してきたりする。
ほとんど台詞のない今作なのだが、唯一そのパーティのひとすみである男が長い独白をする。
彼は、人間は生きた証を残したがるが、すべて物事には結局終わりが来るので、すべては虚しいのだと熱弁する。はて、これは?
Cは時間の流れの中を彷徨う。
開拓時代のある家族は、その場所に家を建てようとしている。そこの少女が歌っていた歌は、なぜか、Cが作った曲だったりする。
Cが目を上げると、過去のCとMがこの家に引っ越してくるところだったりする。
そしてふたりの過去の生活が再現され、死んで幽霊となった自分と向き合ったりする。
死者から見た世界というのは、どのような存在なのだろうか。
おそらくは生者にとっての世界とはまったく異なる存在の仕方なのだろう。
この映画は、そんな曖昧でとらえどころのない世界を上手く映像化していた。
最後、Mの残したメモをやっと柱の隙間から取りだしたCがそれを読む。
そして、Cはふわっと消滅いていく。
生者の知らない次元で、死者は成仏したりしているのだろうか。
不思議な味わいの、形而上的とも言える映画です。
身構えずに、意識を無にして淡々と観ましょう。