1926年 ドイツ
監督:フリッツ・ラング
100年前に描かれた未来社会は。 ★★★☆
世界で初めてのSF映画といえば1902年の「月世界旅行」。荒唐無稽のすごい空想力の映画だった。
そしてその20年あまり後の本作は、未来都市とロボットを登場させた本格SF映画の始祖である。
もちろん無声白黒映画。
オリジナル・フィルムには欠損部分があり、今回観たDVDはその部分は黒画面として物語の解説の文字を入れていた。
21世紀の近未来世界が描かれている。
科学が飛躍的に発展し、資産家階級は地上で楽園のような環境の生活をしている。
その一方で、労働者階級は地下の巨大工場で黙々と単純労働を強いられている。
100年も前にこのようなディストピアが描かれていることに感嘆する。
二つの世界大戦の狭間の時期であるし、現実の社会情勢は不安定だったのだろう。
高層階や上空に暮らす支配層、そして低層階や地下で暮らす被支配層という構図は象徴的。
何年か前のマット・デイモンの「エリジウム」などでもその設定は応用されていた。
近未来都市の映像も素晴らしいものだった。
地上には超高層ビルが連なり、その間を縫うように遥か高みを鉄道が走っている。
そして地下の大工場はいたるところから水蒸気を噴き出させ、労働者たちは機械的に働き続けている。
勤務交代時に整列した労働者たちがロボットのようにエレベーターに乗り込む図は、いくつもの映画で模倣されている気がする。
物語は、この世界の支配者の息子が労働者の娘マリアに魅せられることから始まる。
マリアは労働者たちが一致団結して支配者層に立ち向かう運動のシンボルとなる。
支配者階級とそれに反発する労働者階級があり、その間の恋物語である。
作品としては、社会を律していく頭脳とそれを支える労働は心で繋がらねばならない、という命題に結びついていく。
さて。
狂気の科学者が、マリアの顔かたちを写してアンドロイドのヘルを作っていた。
このヘルは、今でいうところのAIを備えていて、そのAIが暴走し始める。
この映画が作られたのは、人間と同じ動きをする人形がいずれは出来るだろうと想像されていた時代である。
ちなみに、真空管によるコンピューターが登場したのは1940年代後半である。
その20年近く前にアンドロイドを登場させて、しかもAIまで考えたのだ。
すごい想像力だったわけだ。
このアンドロイドのヘルの姿を見れば、ああ、「スター・ウォーズ」のC-3POだ!と誰でもが思う。
ちゃんとあの映画でリスペクトされていたのだ。
社長は、労働者階級のシンボルのマリアを監禁しようと手をまわし、社長の息子は恋したマリアを助け出そうとする。
一方、ヘルをマリアだと思い込んだ労働者たちは、ヘルに扇動されて工場の打ち壊しを始める。
おいおい、そんなことをしたら地下社会は水没してしまうぞ。
繰り返しになるが、100年前の映画である。
それでこれだけの物語性と、想像力を掻き立てる映像を有している。
支配者階級と労働階級の対立という社会性のあるテーマ、それに未来都市の造形やアンドロイドの登場。
本格的SF映画の記念碑的な作品と言っていいだろう。