あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「欲望の翼」 (1990年) 彷徨う若者たち、すれ違う思い

1990年 香港 95分
監督:ウォン・カーウァイ
出演:レスリー・チャン、 マギー・チャン、 カリーナ・ラウ、 アンディ・ラウ、 トニー・レオン

切ない青春群像劇。 ★★★★

 

ウォン・カーウァイ監督の第2作。長い間観たいと思っていたのだが果たせないでいた。
ところが、そのことを知った親切なネットの友人が輸入DVDを貸してくれて、観ることが出来た。感謝、感謝。

 

あの傑作「恋する惑星」の4年前の作品。
作品の雰囲気、たたずまいはもう「恋する惑星」「天使の涙」に通じるものだった。
あれらの作品では赤や青色が乱舞していたが、この作品の基調は緑色だった。
冒頭にフィリピンのジャングルの俯瞰が映り、ラテン音楽が流れる。
この導入場面からウォン・カーウァイそのものでうっとりとしてしまう。

 

主人公は刹那的に女性を求めて彷徨うヨディ(レスリー・チャン)。
売店売り子のスー(マギー・チャン)に声をかけ、難なく籠絡してしまう。
「今夜、夢で会おう」
「1960年4月16日、3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない」
まあ、キザなセリフである。しかし、格好いい。レスリー・チャンが言えばなおさらである。

 

カーウァイ監督はラテン音楽を効果的に使う。
花様年華」では「シボネー」を使ったりしていたが、この映画ではザビエル・クガートやロス・インディオス・タバハラスを流していた。
軽快なリズムの曲なのだが、彼の画面にかぶって流れると、なぜか郷愁を帯びたものに聞こえてくるから不思議である。

 

その後、ヨディはスーと別れ、ナイトクラブ・ダンサーのミミ(カリーナ・ラウ)と恋仲になる。
しかしスーはヨディが忘れられず、夜ごと彷徨い、巡回する警官タイド(アンディ・ラウ)と知り合う。
一方で、ヨディの親友サブは出くわしたミミに一目ぼれしてしまう。
しかしミミはヨディに一途なのだった。
やがてヨディはミミとも別れ、顔も知らない生みの母に会いにフィリピンに出かけてしまう。

 

夜の街で出会っていくうちに、タイドはスーに惹かれていくのだが、スーの方はヨディのことを忘れられずにいる。
このように、好きな相手には振り向いてもらえず、好意を寄せてくれている人には気づかない。
若者たちの実ることのない恋心が、香港の雑踏と夜の中で寂しく空回りをしている。

 

人気もない夜の街外れでタイドがスーに言う、「話し相手が欲しくなったらここへ来たらいい。この時間にはここにいる。」
しかしそこの公衆電話はいつまでも鳴ることはなかったのだ。
緑色がかった夜の街が切ない。

 

時は過ぎて、フィリピンの夜の街でヨディは、ひょんなことから船乗りに転職したタイドと出会う。
(映画を観ている者は二人をそれぞれに知っているが、映画の中の当の二人は初対面である。)
地元のやくざといざこざを起こして逃げるヨディ。巻き込まれるタイド。
あてもなく夜汽車に揺られていく二人。

 

ヨディは脚のない鳥の話をする。
脚のない鳥は飛び続けるほかはなく、疲れたら風の中で眠る。そして生涯でただ一度地面に降りる時が最期の時なのさ。
ヨディはかつてスーにこの話をしたことがあった。
そしてタイドにも話す。しかしタイドは冷たく言い返す、女には受ける話だな。
せっかくの好さそうな話を、登場人物があっさりと否定してみせる。カーウァイらしい皮肉っぽさがある。

 

この映画は、ある部屋で身支度をしているトニー・レオンの場面でいきなり終わる。
この唐突さは何?
実はこの映画は、ついに作られることのなかった続編が企画されていたとのこと。なあんだ。
(ついでに余談)
ミミ役のカリーナ・ラウはトニーレオンの奥さんだった。知らなかったなあ。

 

街中に熱気が充満していて、すべてが湿っているような、そんなカーウァイの世界を堪能しました。
10年後にカーウァイは、トニー・レオンマギー・チャンの秘められた恋物語花様年華」を撮っています。