1962年 メキシコ 95分
監督:ルイス・ブニュエル
不条理映画。 ★★★☆
ブニュエル監督と言えば、なんといっても「アンダルシアの犬」。
あの映画のシュールな展開には魅せられたものだった。
ブニュエル監督の前期の傑作があの映画だとすれば、後期の傑作が本作だとする意見も少なくない。
さあ、メキシコで撮られた本作はどんな感じだろうか。
ある貴族の館でのパーティに着飾った人々が集ってくる。
オペラ鑑賞帰りの上品な人たちのようで、なかには歌手や指揮者もいるようだ。
館の十数人もの召使いたちもその準備で大忙しだったのだが、宴が始まる前に、なぜか執事のフリオを残してみんないなくなってしまう。
少なくともうわべは優雅で上品なディナーが終わり、お酒も飲み交わす。
夜が更け、眠気も疲れも出てくる。それなのに、何故か誰も帰ろうとしない。ついには夜も明けてしまう。
それなのに、自分でもどうしてか判らないままに、誰も館から帰ろうとしない。
何故、誰も帰らない?
強制されているわけではない。物理的な障壁があるわけでもない。
原因とか説明とか、そんなものはいっさいなし。
言ってみれば、そんなことはどうでもよいことであって、とにかくパーティに集まったお金持ちたちが館から帰ろうとしない状態を描いている。
交わされる会話は内容のない空疎なものばかり。
何日間も館に閉じ込められた(閉じこもった?)人々のために、部屋の中は汚物だらけとなっていく。
ついには食料もなくなってしまう。
本能がむき出しになっていく人々。それでも誰も館から出て行こうとしない。
館の外には、出てこられなくなった人々を心配して親族や友人たちが集まってきている。
その騒ぎを鎮圧するために軍隊も出動してしまっている。
この膠着状態はいつまで続くのだ?
もちろんこの映画が通常の結末を迎えるはずもない。
何故か突然、人々は気づく、そうだ、外へ出ればいいんだ!
館から解放された人々が先を争うように外へ走り出す。
そしてその外では、軍隊が発砲して騒ぎを武力鎮圧しているのだ。
鬱々としていて、どこまでも袋小路に閉じ込められていくような映画だった。
これは何かの隠喩なのか? 何を意味しようとした寓話なのか? そんなことを考えてみてもいいのかもしれない。
しかし、そんなことを考えなくても、ただこの(愚かな?)人々を観ているだけでよい映画なのだろう。
まともな(ストーリーのある)映画も撮ったブニュエルだが、晩年になってこんな映画を撮るとは・・・。
やはり、まともじゃないね(これ、褒め言葉です)。
J.L. ゴダールが映画「ウイークエンド」で本作にオマージュを捧げているとのこと。
ドロンの恋人だったミレイユ・ダルクが主演だったあの映画、そのことには気づかなかったなあ。もう一度観てみよう。