2017年 101分 イタリア
監督:パオロ・ジェノベーゼ
出演:バレリオ・マスタンドレ
苦いファンタジーもの。 ★★★
カフェ「ザ・プレイス」の奥のテーブルにいつも座っている男(バレリオ・マスタンドレ)がいた。
男のもとには、何かしらの深刻な悩み、願いごとを持つ人がやってくる。
分厚いノートを繰りながら、男はそれらの人の願いをかなえてあげるという。
ただし、その代償の任務を果たしてください。
物語のもとになるアメリカのテレビドラマがあったらしい。
確かに何人もの登場人物のドラマなので、連続ものとして放送されていたのだろう。
その骨子を活かして映画化したようだ。
やってくる人々は、たとえば、気持ちが離れてしまった息子を取り戻したい刑事、認知症になってしまった夫の回復を願う老婦人など。
信仰に自信が無くなってもう一度、神の存在を感じたいと願う尼僧もいる。
夫にもう一度愛されたいと願う若妻、それに、癌に罹っている幼い息子の命を救いたい男、もう一度見えるようになりたいと願う盲目の若者。。
中には高望みに近い理想の恋人を求める修理工や、美人になりたいという女とその恋人といった、あまり深刻ではないものまである。
物語は、この謎の男が座っているカフェでだけで展開される。他の場面はあらわれない。
舞台劇のように、このカフェでの会話だけで映画は進んでいくわけだ。
しかしそれぞれの登場人物が抱えている物語が変化に富んでいるので、退屈するようなことはない。
人の欲望はときとして自己中心的である。他人のことを省みずにおのれの欲望を果たそうとする。
この映画の眼目は、願いごとを聞き届ける代償として男が与える任務である。
それは往々にして自分の大事なことを犠牲にしたり、他人に不幸をもたらすことであったりする。
運命を変えたいならば、何かを犠牲にしなければならないというのだ。
たとえば、癌の息子を助けたい男は見知らぬ少女を殺さなければならない。
自分の大切な者の命を救う代わりに、他人の命を奪うなんて・・・。それは許されることなのか?
信仰を得たい尼僧は妊娠しなければならない。私は処女の尼僧なのよ・・・。
認知症の夫を救いたい老婦人は手製爆弾を作ってマーケットにしかけなければならない。夫が回復するために大勢の人を危険にさらすのは、許されるのかしら?
ここで面白いのは、殺されかける少女を守れという任務を与えられる者もいるというところ。
盲目の男は女性をレイプする任務を与えられ、妊娠する任務を与えられた尼僧と知り合う。
人々の運命が交差する。
変えようのなかった自分の運命を変えるためには、誰か他人の運命も変えなければならないのだ。
ある人の密かな欲望が全く無関係な人の運命に連鎖していく。
そうか、じつは私の運命も誰かに変えられていたのかもしれないなあ。
それにしても、人の運命を変えてしまおうとするこの男は、いったい神なのか、それとも悪魔なのか?
映画はそんな説明は一切しない。
分厚いノートを繰るただの男なのである。そんな男にカフェのウェイトレスが親しげに近づく。
男もまた何か重い運命を背負っていたのかもしれない。
自分の欲望とはどこまでだったら願ってもいいのだろうか?といったことを考えさせてくれる作品だった。
哲学的なものにまでつづくテーマをエンタメ的に見せていました。