あきりんの映画生活

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「セブンス・コンチネント」 (1989年) これがハネケ監督デビュー作

1989年 オーストリア 109分 
監督:ミヒャエル・ハネケ

ありふれた家族の日常ドラマ? ★★★☆

 

映画は三部構成。各部であるありふれた家族の1日を断片的に映し出していく。
第1部、会社務めの夫、夫と娘の世話をそつなくこなす妻、学校に通う娘の穏やかに暮らす日常。
娘は学校で目が見えなくなったふりをしたりもしたが、およそ何の変哲もない暮らしが続いている。

 

しかし、映像はなにか不穏なものを伝えてくる。
洗車されている車からの映像が何回か映る。その何でもない映像ですら、この映画の中では何か不吉なものの予感のようにも思えるのだ。
各カットの変化時の画面暗転もやけに長い。あ、なんかぞくぞくとした違和感があるな、と思わされる。

 

1年が経ち第2部になると、夫は会社で昇進したりもしている。
家族での外出時に彼らは事故現場を通り過ぎたりもする。死の現場を見てしまったのだ。

 

さらに一年が経った第3部で物語が大きく歪んでいく。
夫の両親を訪ねた後、夫は仕事を突然辞め、夫婦は「オーストラリアに移住する」と言って預金を解約する。
観ている者は何かが起きるぞ、と秘かに覚悟をする。もしかすると・・・。

 

(以下、この後の物語の展開に触れます)

 

物語は急変する。
豪華な晩餐を食べたあとに、家族は夫が購入した工具で家の中を次々に破壊しはじめるのだ。
文字通りに家具や家電を打ち壊し、本やアルバムを引き裂いていく。家族写真も容赦なく破っていく。
お金も次々にトイレに流してしまう。
(せめて慈善団体に寄付すればいいのに、とか、もっと簡単に燃やしてしまってもいいのに、とか思ったりもするのだが、そんな行為はハネケ監督の美意識に合わないのだろう)

 

家族は無言で黙々と作業をする。
そうなのだ、まるで家族が生きていた証しを残さないようにしていると思えてくる。

 

遺書を残した後で、3人は唯一残ったテレビを観ながら最期の時を過ごす。そして毒を飲む。それぞれが死んだ日時を壁に書き残して・・・。
タイトルをそのまま訳せば”七番目の大陸”と言うことになる。
この世界の6つの大陸ではないところへ向かう行為だったのだろうか。

 

最後に画面はTVのホワイトノイズを映し続ける。
その合間に家族のこれまでの生活の一場面がフラッシュバックのように切りとられて挟み込まれる。
その断片映像によって生きていた日々があったことを改めて感じさせる。
そして、それによって死の意味を改めて突きつけてくる。

 

彼らが死を選んだ説明は一切ない。説明をすれば、それはその人だけの解釈になってしまう。
この映画を観た人が一人ひとりで死を思え、それこそメメント・モリと言われているようだった。

 

静かなのにものすごい不協和音が響いているような映画。
さすがにハネケ監督、デビュー作からただ者ではなかったな。