1999年 アメリカ
監督:ラッセル・ハルストレム
出演:トビー・マグワィア、 シャーリーズ・セロン、
マイケル・ケイン、 デルロイ・リンド
青年の成長を描く文芸もの。 ★★★☆
(文芸ものなので、ネタバレと言うことではありませんが、ほとんどのあらすじに触れています。ご注意下さい。)
ジョン・ア-ビングの原作で、舞台は第二次大戦中の東部アメリカ、メイン州。
孤児のホーマー(トビー・マグワイア)は、他の孤児たちと一緒に、産婦人科医のラーチ先生(マイケル・ケビン)が院長を務める孤児院で育った。
ラーチ先生と二人の看護師のもとで、孤児たちが肩を寄せ合って生活している様が暖かい眼差しで描かれている。
孤児たちの就寝前に本を読み聞かせたラーチ先生は、「おやすみ、メイン州の王子たちよ、ニュー・イングランドの王たちよ」と言葉をかける。
愛情にあふれていることがよく伝わってくる。
そして、成長したホーマーは、ラーチ先生の医術の手伝いをしたりもするようになる。
ラーチ先生は、孤児院のことを考え、確固たる考えのもとに違法である堕胎手術をおこない、という信念の人。
その一方で、当時の麻酔薬であるエーテル吸入を自らにしないと眠れないという人間的な弱さも持っていた。
そんなラーチ先生を演じるマイケル・ケインがよかった。
この作品でアカデミー助演賞をとったのも容易にうなずける。
この作品では堕胎手術をめぐる登場人物たちの行動や思いが、重要な位置を占めて描かれている。
ラーチ先生は堕胎手術をあえて行っていたのだが、それは、孤児を慈しんで育てるという行為に自分のすべてを捧げているからこそ、孤児をこの世に作りたくないという思いが強いのだろう。
しかし、ホーマーはそれを受け入れることができない。
産めない子のことを考えての堕胎を正義とするならば、生まれてしまった自分の命をどう考えればよいのか、ということになってしまうからだ。
一定の理由のもとでは堕胎手術が認められている現在のわが国でこのことを考えるとき、とても複雑な気持ちとなる。
やがて外の世界に憧れたホーマーは、堕胎手術を受けに来た恋人たちと一緒に、孤児院を去る。
そしてサイダーハウスに寝泊まりをしてリンゴ農園で働くようになる。
タイトルのサイダーハウスというのは、リンゴ園へ働きに来る季節労働者の宿舎のこと。
そして、サイダーハウス・ル-ルというのは、その宿舎の壁に貼られていた規則のこと。
しかし、季節労働者は誰も文字が読めなかったので、ホーマーが来るまでは誰も内容を知らなかったのだ。
つまり「サイダーハウス・ルール」は、誰も守ることのない規則だったのある。
この映画は青年の成長が縦軸にあるのだが、横軸には生きていく上でのルール、規則をどう考えるかということがあるように思える。
先にも触れた堕胎は当時の法律という規則に反しており、ホーマーがおかす不倫も(相手はまだ婚約中だから正しくは不倫ではないのかもしれないがあ)や、ある登場人物がおかす近親相姦も人の規則に反している。
そういったなかでホーマーは成長していく。
人を幸せにするためなら規則は破ってもよい、という考えでラーチ先生は堕胎手術を行っていた。
規則はなんのためにあるのか。
そして、規則は誰のためにあるのか、その問いがこの映画の根底にはあるように思えた。
人が成長するということは、社会の規則をどのように考え、社会のどんな規則を守っていくか、ということを学んでいくことなのかもしれない。
広大に広がる農村や港の風景は美しい。
登場人物の行動は必ずしも肯定できることばかりではないのだが、みな一生懸命に生きていこうとしている。
みな相手のことを思いやっている。それが風景のなかで清々しい。
ヒロインのシャーリーズ・セロンは清楚な美しさだった。
肝心のトビー・マグワイアは表情の変化に乏しく、一本調子の感じがあった。
わざとその感じをねらったのだろうか? そうだとすれば、あまり効果的ではなかったように思えたのだが・・・。
エーテル麻酔の無理な吸入でラーチ先生が亡くなったあと、ホーマーは孤児院にもどってくる。
そして、ラーチ先生のあとを継いで孤児たちの面倒をみていく。
孤児たちの就寝時にホーマーも声をかける、「おやすみ、メイン州の王子たちよ、ニュー・イングランドの王たちよ」と。
あつかわれている内容は暗いものですが、映画は淡々と描かれているので、それほど悲壮感はありません。
青春ものとしてお勧めの作品です。