2001年 アメリカ
監督:コーエン兄弟
出演:ビリー・ボブ・ソーントン、 フランシス・マクドーマンド、 スカーレット・ヨハンソン
ブラック・ユーモアもの。 ★★★★
義弟の床屋で一緒に働いているエド・クレイン(ビリー・ボブ・ソーントン)は無口な男で、平凡な毎日を送っていた。
そんなある日、客の一人から新しい商売への投資を勧められ、乗り気になる。
彼はもとでの資金調達のために、妻(フランシス・マクドーマンド)と浮気をしている彼女の上司を脅迫する。
ボブ・ソーントン演じる無口なエドはいつでも煙草を吸っている。
立ち上らせる煙があとかたもなく消えていくように、エドが仕事としている散髪は、時が経つともとの状態に戻ってしまうのだ。
自分のしていることに、自分の存在に、なにも確かなことがない、空しい! エドはそう考えたのだろうか。
そこで大金を投資するということを思いついたのだろうか。
エドが自分のことを”顔のない幽霊”のような存在だと表するところがある。
結局、幽霊ではない存在になろうとして浅はかな冒険に手を出したわけだ。
それなのに、事態は予想もしていなかった悪い方へ悪い方へと、どんどんころがっていく。
コーエン兄弟の本領とでもいうべき展開。
愚かな人物が思いつきで悪事をしたところ、雪だるま式に事態がどんどんところがってしまい、取り返しのつかない状態になっていくという、お馴染みの図式である。
(彼らの映画には、「バーン・アフター・リーディング」でもそうだったが、脅迫をして金をせしめようと考える人物がよく登場する。)
しかし、魅せてくれるなあ。
愚かな存在である人間を極端に誇張して、その行為を誇張して描き、だから、それによって引き起こされる事態も非常に誇張される。
まさか実際の人生ではこんなことにはならんだろう、と思わせる。そこが狙いであろう。
ビリー・ボブ・ソーントンが素晴らしい演技であった(これまで彼のことは、アンジェリーナ・ジョリーの元夫としてしか知らなかった)。
彼の寡黙な演技でこの映画は成功したと言えるのではないだろうか。
それにしても、スカーレット・ヨハンソンにあんなことをさせるなんて、コーエン兄弟もワルよのぉ(笑)。
(以下、完全にネタバレ)
だいたいが、エドは、自分が犯した殺人の犯人に奥さんがなってしまっても、全く意に介していないように無表情なのだ。
一度だけ、俺が殺した、と弁護士に言うのだが、奥さんをかばっているととられてまるで相手にしてもらえない。
ここでもエドは、その存在がないかのように、殺人犯にもしてもらえなかったのだ。
それなのに、とでも言うべき、自動車事故からエドが目ざめてのどんでん返しにはすっかりやられた。
自分の起こした殺人では疑われもせずに、自分が殺したオカマが犯した殺人の犯人にされるなんて、まあ、なんという皮肉であろうか。
コーエン兄弟はあまりそりが合わないと思っていたのだが、この作品はすっかりツボにはまってしまった。
やはりコーエン兄弟、並みではない。