女性心理を追った(ミステリー)ドラマ。 ★★★☆
英国の人気ミステリー作家サラ・モートン(シャーロット・ランプリング)は、愛人の出版社社長の別荘で執筆をすることになる。きれいなプールもそなえた南仏の別荘は静かで落ちついていたのだが、そこへ社長の娘ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)がやってくる。
前半は、中年を過ぎたサラと、若く奔放なジュリーの、女性同士の間に生じる葛藤が描かれる。
ジュリーは見事な肢体をさらしてプールで泳ぎ、行きずりの男を連れ込んではセックスをおこなう。
もはや自分にはない若い身体、奔放な気持ち、そういったものをジュリーはいやがおうにもサラに見せつける。
ジュリーは見事な肢体をさらしてプールで泳ぎ、行きずりの男を連れ込んではセックスをおこなう。
もはや自分にはない若い身体、奔放な気持ち、そういったものをジュリーはいやがおうにもサラに見せつける。
そんなジュリーの若さに、嫉妬し、苛立つサラを、シャーロット・ランプリングが実に上手く表現している。
自尊心を傷つけられまいと、必死に自分を鼓舞している姿が哀れにもなってくる。
自尊心を傷つけられまいと、必死に自分を鼓舞している姿が哀れにもなってくる。
老いを自覚するということはこういうことなんだなと思わされる。
やがてサラはジュリーを主人公にした小説を書き始める。
小説のなかにジュリーを閉じこめることによって、ジュリーに対する劣等感を克服しようとする無意識の気持ちがあったのかも知れない。
そのうちにサラも水着姿となってプール・サイドにあらわれるようになる。
小説のなかにジュリーを閉じこめることによって、ジュリーに対する劣等感を克服しようとする無意識の気持ちがあったのかも知れない。
そのうちにサラも水着姿となってプール・サイドにあらわれるようになる。
しかし、それにしても説明されない”謎”がいくつも映画の中にはちりばめられている。
たとえば、ジュリーの顔面に何者かに殴られた痕がついてくる。あれは誰が殴ったのだろうか。
ジュリーの母親はすでに死んでいるようなのだが、そのことについて訊ねられた使用人の娘がひどく怯えたのはなぜだったのだろうか(この娘も奇怪な風貌をしている)。
たとえば、ジュリーの顔面に何者かに殴られた痕がついてくる。あれは誰が殴ったのだろうか。
ジュリーの母親はすでに死んでいるようなのだが、そのことについて訊ねられた使用人の娘がひどく怯えたのはなぜだったのだろうか(この娘も奇怪な風貌をしている)。
サラがこっそりと読むジュリーの手記のようなもの、あれには何が書いてあったのだろう?
それに、意識が朦朧としたジュリーが、「ママ!」と言ってサラに抱きついてくるのだが、その背景に何があったのだろうか。
それに、意識が朦朧としたジュリーが、「ママ!」と言ってサラに抱きついてくるのだが、その背景に何があったのだろうか。
そのほかにも、何の説明もされない奇妙な事柄がいくつもある。
(まるでデヴィッド・リンチの映画みたいだ)。
後半になり、ふいにある事件がおこる。
この事件が起こる経緯も不透明なのだが、とにかくそれをきっかけにサラとジュリーの関係は一変する。
そうか、二人は結局こういう風な仲になったんだ。
この事件が起こる経緯も不透明なのだが、とにかくそれをきっかけにサラとジュリーの関係は一変する。
そうか、二人は結局こういう風な仲になったんだ。
サラはこれで満足したのかな?
そしてラストにジュリーに関する思いもかけなかったようなことが映しだされる。
えっ? それじゃあ、今までの物語はなんだったんだ?
えっ? それじゃあ、今までの物語はなんだったんだ?
フランソワ・オゾン監督は、観た人が自由に解釈してくれればいい、と言っているそうだ。
そうか、それなら私の解釈は・・・。
そうか、それなら私の解釈は・・・。
見終わったあとに、物語がもう一度自分のなかで反芻されるような、そんな奇妙な思いを残す作品です。