2013年 フランス 94分
監督:フランソワ・オゾン
出演:マリーヌ・バクト、 シャーロット・ランプリング
17歳の危うい性。 ★★☆
女性心理のミステリアスな部分を描くのが得意なフランソワ・オゾン監督。
今作は自分でも理由が判らないままに身体を売っていく17歳の少女を描く。
名門高校に通う17歳のイザベル(マリーヌ・バクト)。
家族と一緒に避暑に来たリゾート地で、たまたま知り合った青年と初体験をおこなう。
恋心とかがあったわけではなく、ただ好奇心というか、雰囲気に流されたというか、そんな感じ。
ふ~んという感じで経験してしまう。
何歳か年下の弟とはあけすけな性についての冗談も言い合っている。
いまどきの少女は日本でもそうなのだろうか。
それともやはりこれは遠いフランスの物語?
パリに戻ったイザベルは年齢を偽って、SNSで知り合った男たちに身体を売るようになる。
お金のためではなく、また快楽を求めているわけでもない。
必要としているわけでもないお金は無造作に溜めているだけ。
男たちの要求にも淡々と応えて身体を重ねていく。
イザベルは何のために身体を売っていたのだろうか。
ところどころで流れる気怠い歌声がフランソワーズ・アルディに似ているなあと思いながら観ていた。
あとで調べたら、やはりアルディだった。
彼女の歌では、青春の儚さを歌った「もう森へは行かない」が特にお気に入りである。
そんなある日、馴染みとなっていた初老の男が性行為中に死んでしまう。
急いでホテルから逃げ出したイザベルだったが、警察につきとめられ、売春の事実は家族に発覚してしまう。
母親は動揺し、周りのイザベルを見る眼も変わる。
そりゃそうだろうな。
もし自分の娘がこんなことになったらどう対応していいのか、わからない。
当のイザベルだって自分がなぜ売春をくり返したのか、判ってはいないのではないだろうか。
精神科を受診させられたイザベル。
している間も特に楽しくはなかったわ。でも、少しするとまたしたくなるの。知らない男の人とね。
セックス依存症とは違っている。単なる好奇心でもないのだろう。
イザベルが求めていたのは、性行為そのものではなく、性行為に向かう自分だったのかもしれない。
そのように行動することで自分を確かめていたのかもしれない。
最後近くにシャーロット・ランプリングが登場する。
ものすごい存在感である。圧倒されるオーラがある。
彼女が言う、私もあなたぐらいのときに勇気があったら男からお金をもらってセックスをしてみたかったわ。
特に救いが示されるわけでもなく、映画は終わっていく。
「スイミングプール」を観てからオゾン監督は気になる監督の一人となっているのだが、どの映画を観てもなにか落ち着かない気持ちにさせられる。
どうも居心地が悪くなる。
そこがオゾン監督らしさなのだろう。