あきりんの映画生活

映画鑑賞だけのブログです。★★★★が満点評価ですが、ときに思い入れ加算があります。約2000本の映画について載せていますので、お目当ての作品を検索で探してください。監督名、主演俳優名でも検索できます。

「気狂いピエロ」 (1965年)

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1965年 フランス 109分 
監督:ジャン・リュック・ゴダール
出演:ジャン・ポール・ベルモンド、 アンナ・カリーナ

ヌーベル・バーグ映画の傑作。 ★★★★★

破綻した物語、どこを切り取っても絵になる画面構成、そして鮮やかな色彩。
若い頃に初めて観たこの作品は、私の美意識、芸術意識(そんなものがあるとして)に決定的な影響をおよぼした。
不滅の5つ★評価の1本である。

ストーリーとしては、ギャングから大金を盗んだマリアンヌ(アンナ・カリーナ)がピエロ(ジャン・ポール・ベルモンド)と一緒に南フランスへの逃避行をする、海の見える断崖の上で、自分を裏切ったマリアンヌを射殺したピエロは、自分もダイナマイトで自爆する、というもの。

しかし、そんなストーリーは映画を撮るための道具のひとつで、ストーリーを伝えることが目的ではない。
映画全体がコラージュのようで、風景や、情景が貼りあわせられている。
二人が行く先々で出会う人物も、いったい何の意味を持っているのか判らない人ばかりで、どこか変わっている。
妄想にとりつかれているような亡命貴族の老嬢、ピエロにお金を貸していて妻を寝取られたと話しかけてくる男、音楽が聞こえてくると訴える男、などなど。

海。この明るく広がるもの。水平線。限りなく遠くにあるもの。
同じ年に作られたゴダール監督の「アルファビル」が、珍妙なSF映画の様相を呈しながらも全体でひとつの寓話となっていたのに比べて、この「気狂いピエロ」には寓意性すら感じ取ることができない。

それに、ゴダールの映画はやたらに言葉が多い。
それもいったい何の意味があるのか判らない言葉ばかりだ。登場人物が本を読み上げたり、ナレーターがぶつぶつと呟いたり。
この映画でもピエロはベラスケスの解説書のようなものを延々と読んでいたりする。

逃避行の間中、ピエロとマリアンヌは、お互いに、愛している、と言い合う。
しかし、二人が恋人同士だったとかという雰囲気は全くない。どちらかといえば、共感しあった同士という感じである。
ピエロを裏切って、船員帽をかぶったアンナ・カリーナはとても魅力的である。

この映画はゴダール監督がカリーナと別れた直後に作られており、ゴダールはまだカリーナに執着していたとのこと。。
地中海の陽の下で、撃たれたカリーナがピエロの腕の中に倒れ込んでくる場面は美しい。
そしてピエロはダイナマイトを顔に巻きつけて自爆する。しかも爆発する直前になって慌てて”こんな死に方は嫌だ”と言ったりしている。
このあたりを、ゴダールがカリーナへの惜別を表しているとみる向きもあるようだ。ま、それも面白いかも知れない。

映画のどの場面を切り取っても、物語性のある絵になっている。
画面の構図、色彩、それらを覆う空気のようなもの。ゴダールのすごい美意識に、今さらながら感嘆する。

主人公たちの行動は、一応は逃避行なのだが、本質的には無目的。
なにをして空間を埋めるか、何をして時間を埋めるか、そのために行動しているように思える。
目的のために行動するのではなく、映画の”今”を埋めるために行動している。
その時点で映画の物語性は消え失せて、今の時間を埋めていく画面ばかりが作られていく。
物語性に捕らわれていないところに、この映画の美しさがあり、魅力の大部分もあると思える。

だから、判るとか判らないとか、そんなことはどうでもいいのだろうと思う。
作中のマリアンヌがピエロに向かって言うように、「思想は感情なの」だ。

思想も感情も美しくなければ意味はない。いや、美しくない思想や感情などあり得ない。
さあ、私には、”海と溶けあう太陽”が見えるのか、”永遠”は見つかるのか。

何度観ても、そのたびに新しい満足感を得ることができる作品です。